2
イナ・イエヴレワの部屋は簡潔なソビエト軍様式である。
薄い雲の向こうから、湖の光がぼんやりと反射している。
暖房の低い唸りが部屋の空気をわずかに震わせ、静けさの中にその音だけが漂っていた。
机の前に座ると、彼女は両手を膝の上で強く握りしめた。
指先が白くなり、やがて力が抜ける。
「……私、生きて、なにをすればいいの?」
言葉は誰に向けたものでもなかった。
胸の奥に溜まっていたものが、自然にこぼれた。
昨日の夜、湖の前に立ったときのことを思い出す。
冷たい風、真っ黒な水面。
あの水の中に一歩踏み込めば、もう何も感じなくてすむような気がした。
けれど足は動かず、ただ震えた。
「……死は生のかわり……」
自分の声が、他人の声のように聞こえた。
涙は出ない。乾いた息だけが喉から洩れる。
脳裏に浮かぶのは、誰かの笑い声。
冷たい、他人の目。
“死ぬ勇気もないのに、死にたいなんて言うな。”
その言葉が胸の中を焼き、彼女は小さく息を吸った。
「……そうだよね。私、死ぬ勇気なんて、ない。」
部屋には、静寂と暖房の音だけが残る。
まるで世界が凍りついたようだった。
「私の悲しみなんて……」
イナは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。
湖は灰色の空を映して、ゆっくりと揺れている。
遠くで軍の汽笛が鳴り、風がカーテンを柔らかく持ち上げた。
「私は、この世界には向いていない。」
湖の向こうで霧が立ち上り、白く流れていく。
イナ・イエヴレワはその幻想のような光景を見つめ、小さく囁いた。
「……死んだら、だめなのかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます