第3話 異世界転移(アーリア神聖国)

 ネムは転移門を抜けて自室に戻った。

 ふわふわと移動して、ガラスケースを装置に固定する。

 そしてケース上部と下部のホースを繋ぎ、原始の水を循環させた。


 ネムはこの水がないと死んでしまうのだ。冗談抜きで。


 以前、ケースから出ようと水から手を出したことがある。

 その瞬間、肌の表面から泡立つように煙をあげ、手が崩れ落ちてしまった。

 即再生したけど。


 頭を出したら頭が崩れ、足も尻も同じだった。

 ……もちろん、全部再生したけど。


 おじいちゃんは「不便じゃろう」といつも呟いてくれるが、こればかりは仕方がない。


 まあ、ケースごと切り離せば一時間くらいなら問題なく動けるし、おじいちゃんのいう【念動】があれば、大好きな物語を読むのに不自由はない。


 ネムは本棚に並ぶ英雄譚から、お気に入りの『黒の英雄』を取り出す。

 ふわりとケースの前に浮かぶ本のページがめくれていく。


「やっぱりここが一番盛り上がるんだよね」

 ひとりごちて笑う。


 おじいちゃんは転移門を通過できないから、多分一月以上は帰ってこない。

 暇つぶしに全部の物語を見かえそう。


 そう考えた時だった。


 ネムの周りに強力な魔力反応が生じる。


(これは……おじいちゃんの使う魔法に似てるね)


 青白い光の筋が円を描き、その中に見たこともない文字で魔法陣が作られていく。

 だが、ネムは初見の文字をすらすらと読み取る。


(ふーん。転移系かな、召喚も混じってるね)


 魔法陣はどんどんと書き込まれ、積層してネムを包み込む。

 青白い光は一層強くなり、周囲には高周波がキーンと響き渡る。


(ほえー、すごい密度の魔力だね。五おじいちゃん分くらいありそう。

 壊しちゃうのも勿体無いけど、ここから離れると私、死んじゃうし……

 まあいっか。適当に遊んで、また転移で戻れば)


 そうと決まれば、先読みして魔法陣を完成させよう!


 書き込まれるスピードの数百倍で残り部分を補い、魔力を生成して流し込む。


 その日、山脈方面から天へと伸びる光の柱が観測されたという。


 ◇


 まばゆい光が支配する白銀の世界で、光源となる光が慌て出す。

「!? 

 あの子達なにやってるの!?

 第一世界に繋がってるじゃない! ダメよ、あそこは!!

 キャンセル!! キャンセルです……え、何!? 加速した?

 ああ!?」


 静寂が白銀の世界を重く包み込む。


「ま、マズいわ……

 確かに召喚は指示したけど、なんで……!?」


 光の動揺は世界に大きな影を落としていた。



 ◇



 ところ変わって、アーリア神聖国。


 大陸の中央に位置する女神アーリアを信仰する大国で、国民の九割は敬虔な信者という宗教国家である。

 その首都である聖地アーリアは「白亜の街」と呼ばれ、大教会を中央に据え、堅牢な防壁に囲まれた大都市だった。


 名は大教会といえど、見た目はほとんど城。

 しかも都市計画の段階から組み込まれていた――この街自体が巨大な魔法陣でもある。


 国民すべてが祈りに参加し、異界より“勇者”を召喚するために。


 勇者召喚は北の獣人の国、東のエルフの国、西南の人間諸国の三者の代表によって可決され、基本中立を貫く神聖国で行われる。

 前回は二百年前。召喚された勇者により魔神を押し返したと記録されている。


 そして今、再び魔神復活の啓示を受け、勇者召喚が執り行われた。


 大教会の天窓から一筋の光が差し込み、それが奔流となって柱を形作る。


 儀式の間には魔法陣が刻まれ、その周囲を十名の術者が囲んで祈りを捧げる。

 最奥に立つのは、女神アーリアの神託を受ける聖女――ルナ。


 周囲を守るのは、各国の代表。

 人種代表であり、かつて召喚された勇者タクマ。

 獣人族代表にして獅子族の族長、ガウガ。

 そして五百歳を超えるとされるハイエルフ、リリアラート。


 まばゆい光が収束した時、そこに鎮座していたのは――。


 人の背丈を超える円筒状のクリスタル。

 その上部からは不気味に触手のようなものが垂れ下がり、内部には“純白”を体現する美女がたゆたっていた。


 完璧なシンメトリー、美を極めたかのような造形。

 だが、それは人知を超えた“異様”でもあった。


 全員がその姿に動きを止める。

 聖女ルナが真っ先に口を開いた。


「……い、異界の勇者よ。突然の召喚に驚いておられるでしょう。私はルナ。

 この世界の危機を救って頂きたく、やむを得なかったことをお詫び申し上げます」


 真摯に頭を下げるルナ。


 だが、応答はない。

 漆黒の双眸がゆっくりと辺りを見回し、好奇心の光を宿したかと思えば、次の瞬間には焦りを滲ませる。


「あの……」


 聖女が声をかけた、その瞬間。


「対象から魔力反応!」


 リリアラートが叫んだ。


 各国代表が即座にルナを守るように前へ出る。

 未知の存在。過剰なくらいの警戒がちょうどいい。


 今回の召喚は――何かがおかしい。

 最年長のハイエルフは、その不穏を肌で感じ取っていた。

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