第2話 魔王

「ネムや、おいで」


 わしがそう告げると、その背後の空間から突如として禍々しい巨大な門が出現する。


「転移門? この世界の人間が……!?」


 魔王が初めてたじろいだ。

 六本の腕も無意識に防御へ移る。


 地鳴りとともに両開きの扉が開き、その先の漆黒から奇妙なものが姿を現す。


 それは円筒状のガラスケースだった。上部と下部には機械的な金属製の蓋があり、そこから何本ものチューブやパイプがぶら下がっている。

 ケース内には液体が満たされ、薄明かりが反射して怪しく煌めいていた。

 その中に――頭頂からつま先に至るまで、純白と言える女性がぷかりと浮かんでいた。


「な、なんだ、これは……」


 魔王はそれを凝視し、冷たい汗を流す。


 ガラスケースの女が閉じていた目を開けた。透けるような白い肌に、目は漆黒を切り取ったような黒。


『おじいちゃん。この人を“めっ”すればいいのかな?』


 涼やかな声が脳内に響く。彼女の口は動いていない。


「この我でも測れぬ、だと?」


「そうじゃ。こやつこそ、世界を滅ぼさんとする魔王。

 わしの仲間を無惨にも殺したやつじゃ」


「む。おじいちゃんの英雄譚に出てくる魔王だね。

 悪いやつは懲らしめなきゃ! こいつも滅していいんだよね?」


「かまわぬ。わしでは無理そうじゃ」


「分かったよ!」


 白い髪がふわりと広がり、ネムと呼ばれた女は、ついっと魔王を指差す。


 魔王は本能的に回避行動を取る――しかし何も起きない。

 次の刹那、指をすーっと斜めに動かした時、魔王の直感が正しかったと悟る。


 空間がズレた。


 武器の刃が、腕が、音もなく滑り落ちる。放たれた魔法は途中で断ち切られ、霧散した。

 防御の有無に関わらず、ズレを通過したものはすべて切断される。


 ネムは作業的に指をスイスイと動かし続ける。その度に全方向から立体的に空間がズレていく。


「なんだというのだ、それは!!

 あり得ない!! それは神の業だ! なぜ、なぜぇぇ!!」


 これが魔王の最後の言葉だった。


 細切れとなった魔王の肉体が床に乱雑に広がる。


「おわったよー。今回のやつもたいしたことなかったね!

 じゃあ、お家に帰ってるから、おじいちゃんも早く帰ってきてね!」


 開いたままの転移門へガラスケースは戻っていく。


 半分くらい戻ったところで、ネムが言った。


「そうだ! 新しい物語の本、買ってきてね! 約束だよ!」


 そう言い残すと、転移門は閉まり存在を消した。


 ーーー


「さて、魔王よ。まだ生きているのじゃろう?」


 肉塊と化した魔王に語りかける。


「ぐっ……再生もできぬか。

 我はもう消滅するだろう。消えゆくものに種明かしをしてはくれぬか? アレは女神なのか?」


「わしにも分からぬよ。錬金術や召喚術を使い、魔王を倒し得るものを作ろうとした。その産物じゃ」


「……あんなものを作れるはずがない。いや、神を作ったとでも言うのか?

 アレはこの星界を捨てた女神と瓜二つ」


「女神像は素材の近くにあったが、よく分からぬ」


 本当のことだ。ケースの中に原始の海を作って培養しようと準備して、翌日にはネムがいたのだ。


「意図したものではないのか」


「そうじゃ。女神様の奇跡なのかも知れんのぅ」


「くはは……我は貴様の幸運によって封じられ、再び幸運によって滅せられるのか……。

 最後に貴様のステータスでも見てみるか。どんなスキルなんだ?」


 わしの体を何か得体の知れない力が通り抜ける。まだ、このような力があるのか。


「く……くははは! なんだこれは!!

 死ぬ前に、最後の最後に笑わせてくれるわ!!

 貴様のスキルは“ラッキースケベ”だ!!

 我は……こんなものに破れ……!」


 肉片が光の粒子となり消え去った後、カランと極大魔石が転がる。


「……逝ったか」


 わしはその魔石を拾い上げると、ネムの待つ我が家へと足を向ける。


「ラッキースケベとは、なんじゃ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る