英雄になりたいだけなのに、 周囲の勘違いで神扱いされてしまった件(仮)

ゆパ

第1話 捨てられた世界と


 ここは魔王の城。


 かつては誰もが畏怖し、足を踏み入れることすら恐れた地。

 果てしなく広がる謁見の間は天を突くような天井を誇り、等間隔に立ち並ぶ柱には数多の魔族の旗が掲げられていた。

 赤地に金糸を織り込んだ絨毯は玉座へとまっすぐに延び、その威容は訪れる者の膝を自然と折らせる。


 ――かつては、そうであった。


 今そこにあるのは、廃墟。

 石柱は折れ、壁画は裂け落ち、天井は幾筋も崩れ落ちている。

 人と魔とが幾度も血を流した末に残されたのは、壮麗さの残滓と、静まり返った空虚のみだった。


 その廃墟の中心に、一人の老人が立っていた。

 白髪は乱れ、杖を支えにしながらも、その目には未だ消えぬ光が宿っている。


 仲間を失った夜から二百年。

 彼を動かしたのはただ一つ――あの巨影を斃すことだけだった。


 彼は静かに目を閉じ、遠き日の記憶を反芻する。


 ーーー


 我らは相手を見誤った。


 勇者、聖騎士、紅蓮の魔術師、暗殺者、そして私――万識の賢者。

 人類連合が希望と呼んだ五人は、幾多の戦いを乗り越え、魔王城最深部へ辿り着いた。


 だが。


 “格”が違った。


 不沈要塞と謳われた聖騎士は、盾ごと両断された。

 勇者の渾身の一撃は吐息一つで霧散し、次の瞬間には胴と脚が引き裂かれていた。

 紅蓮の魔術師の最大火力は、届くことすら叶わなかった。

 そして、暗殺者の一閃は、逆に背後を取られるという悪夢で終わった。


 彼らが命を賭して作った一瞬の隙。

 その時、私が選んだのは「隔離」の魔法。


 本来ならば、通じるはずのない術。

 空間ごと切り離し、別次元に封じるという高位魔法だが、相手が魔王である以上、抵抗値が高すぎて成功の可能性は皆無のはずだった。


 ――それでも。


 銀の粒子が舞い、魔王の巨躯を包んだ。

「無駄だ」そう言い放った瞬間、魔王は掻き消える。


 神の気まぐれか、悪魔の悪戯か。

 偶然の果てに、奇跡は起こってしまったのだ。


 魔王軍は崩壊し、人類は勝利を謳った。

 だが仲間は皆、屍となった。


 ーーー


 それから二百年。


 私はひたすらに力を求めた。

 魔物を倒せば己の“存在格”が一段高まる――人類が知る唯一の成長法。

 それを狩り、錬金を積み重ね、召喚を繰り返し……辿り着いたのは“99”回目の格上げ。

 人として到達できる限界であった。これ以降はいくら魔物を狩ろうとも“格上げ”は起きなかった。


 それでもなお、魔王の影は大きかった。


 ーーー


「とうとう来たか……」


 今、時は満ちた。


 城を震わせる軋み。

 空間が割れ、ガラスのように砕け散る音。

 そこから現れる、かつての悪夢。


 三つの顔を持つ仮面。

 六本の腕に握られた異なる武器。

 漆黒の巨躯が歩を進めるたび、砕けた石片が宙を舞う。

 仮面の三つの口が同時に嗤い、六本の刃が互いに火花を散らす。


 魔王。


「……これは?」

 奴の剣は空を切り、困惑の眼差しをこちらへ向ける。


「久しいな、魔王」


 私の声に、魔王は一瞥で理解した。


「時の牢獄か。羽虫ごときに囚われていたと?」


 嘲笑う声が城を震わせる。だがその笑いも、次第に低くなった。


「ほう……貴様、99に至ったか」


 その眼差しには、わずかに愉悦の色。


「だが分かるだろう。我には勝てぬ」


「確かに、わしではな」


 杖を握る手に力が籠る。

 口の端が、静かに吊り上がる。


「ネムや。おいで」


 その一声で、空気が震えた。

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