第5話 三つの秩序

鳥達が朝の訪れを知らせる。

カメリアはその鳴き声に叩き起こされ、目を開けた。

眩しさに目を細めながら窓を開けると、春の陽気に優しく包み込まれる。

横を見ると、木々に止まった鳥達がカメリアをじっと見ていることに気づいた。


――簡単には国の外へ出られない。


昨日その事実を突きつけられたカメリアには、羽を持つ鳥達がまるで自由の象徴のように思えた。

「お前らはどこにでも行けていいよな――うわっ!?」


鳥達にぼんやりと語りかけていると、顔が突然びしょ濡れになった。

慌てて袖で顔を拭き、水が飛んできた方を見ると、建物の下にフードを深めに被った人物が立っている。

目を凝らして見ると、見覚えのある顔だった。

お得意の嘘くさい笑みを向けて、手をヒラヒラと振っている。

「あ、レイ!今行く!」

カメリアは慌ただしく身なりを整え、宿を出た。




眠たい気配を宿したままの街を歩きながら、カメリアは頬を膨らませ、苦言を呈した。

「何もあんな風に気づかせなくてもいいじゃないか」

レイは金色のピアスを揺らしながらカメリアの方を見る。

「目が覚めたろ?」

涼し気な目を細めた。

その瞳の奥は、笑っていない。


「……で、どこに行くんだ?」

カメリアはその笑みに内心ムッとしながらも、行き先を尋ねた。


「オルドトリアのところ」


その名を聞いて、目を見開いた。

「ああ、そうか!」

レイの態度に腹立ち、つい記憶から抜けていたが、今日はついに謎のオルドトリアとのご対面だ。

オルドトリアになれば、外へ出られる。

カメリアは腹立った気持ちなど一瞬で忘れて期待で胸を躍らせた。



少し歩くと、街の心臓部に出た。

昼間や夜よりも人がずっと少ない。

カメリアは焼きたてのパンの香りを胸いっぱいに吸い込んで、顔を綻ばせる。


「美味そうな匂い!」

体が香りの方に引き寄せられる。


「そっちじゃないよ。こっち」


レイはカメリアの肩を掴み、路地の方を指差した。太陽の光が当たらない、鬱蒼とした路地だ。

「えー、こんな場所ばっかりだな。そっちになんか食べ物あるのか?」

顔を顰め、名残惜しそうに香りの方を振り返る。

「あるよ。とは言っても君は一文無しだろ。どっちにしろ空腹との戦いさ」

そうだった、と肩を落とすカメリアを横目に、レイはクスリと笑い、再び歩き出した。



ありふれた路地を数十分歩いた。

始めのうちは店があったが、奥に行くにつれて何も無い道に変わっていった。


――そして、着いた先は、壁だった。

「なんだよここ、何もないじゃないか」

怪訝そうな顔をするカメリアを無視して、壁に手を添える。

そして、祈るように目を閉じた。

風がレイの周りで渦を巻く。


すると……


――なんと、壁が扉のようにパックリと割れた。

開きゆく扉の先が道になっている。


「すげー!!秘密の通路!!」

「ふふ。ここは秘密の場所なんだ。内緒にしててね……」

レイが人差し指を立て、どこからともなく炎を出す。

灯りがレイを下から照らして、切れ長の睫毛に縁取られた瞳を光らせた。


……その眼光はまるで獲物を狙う蛇のようだった。

カメリアは息を呑み、頷く。


「……絶対に言わない」


その言葉を聞いてレイは微笑み、扉の中へ入った。

カメリアはその背中を眺めて、唾液を飲み込む。

「おお、怖ぇ……」

そう、小声で呟いて、すぐにあとを追った。




秘密の通路は、石が積まれたような造りなっており、石の間から差し込んだ光が、仄暗い空間に溶け込んでいる。


レイは無言で歩きながら、肩の荷が降りたようにため息をついてフードを下ろした。


「……ずっと気になってたけどなんで顔隠すんだ?」


レイの瞳が一瞬揺らいだ。

しかし直ぐにいつもの調子で、内緒、と笑う。

軽くはぐらかされ、カメリアは肩をすくめた。

しかし問い詰めるつもりはなかった。

他人の事情に口を出すつもりはない、という理由もあった。だが、そんなことよりも、カメリアは昨日の夜から何も食べておらず、兎に角腹が空いていた。

ぎゅるる、と腹の音が狭く静かな空間で木霊する。


「うう、お腹空いた」

空腹で萎れた花のように膝から崩れ落ちた。

見兼ねたレイが、懐から袋を取り出し、カメリアに手渡す。

首を傾げながら中を見ると、見たこともない豪華なパンが三つ入っていた。


「うわぁー!美味そう!食っていいのか?」

「この先一緒に歩く人に、人前でお腹を鳴らされたら恥ずかしいからね」


質素なパンしか食べたことがないカメリアは、頬を染め、口いっぱいに頬張った。


「美味すぎる……!」


カメリアが感動の余り目を潤ませてレイを見る。

レイにとってはおやつ程度のそれを、余りにも感動的な表情で食べるので、おかしくてつい、一瞬心からの笑みが漏れた。


「ふふ。……さて、本題だけどオルドトリアについて、君に話しておきたいことがあるんだ」


カメリアは口いっぱいにパンを詰めて、んんん!と声を出した。

レイは彼が何を言っているか分からなかったが、無視してそのまま続ける。

「昨日も言ったけど、オルドトリアっていうのは、この国の騎士団のこと。"三つの秩序"という意味を持った三部隊で、唯一国の外に出ることが許された人達だよ」


カメリアは歩きながらパンを頬張り、眼差しは真剣な色を宿して頷く。


「攻撃に特化した魔術師が集まる蒼炎師団ブルーフレア。教会直属の治癒と祈祷の部隊、聖鐘団ホーリーベル。剣術を極めた者たちが集まる白獅団ホワイトライオン。この中のどれかに入団しなければいけないけど、おすすめは蒼炎師団 ブルーフレア。団長が軽い人間だから、入団が一番しやすいよ。君、魔力はどれくらいなの?」


突然質問を投げられたカメリアは、慌てて口の中の物を飲み込んだ。

「う、……ん?魔力、ってなんだ?」

「は?」


レイが足を止め、ポーカーフェイスを崩す。

「いや、魔力だよ。生きている者ならみんな持ってる。生命力のようなものさ。まさかそれも知らないのかい……?」

眉をひそめて見つめられ、カメリアは知らない事が悪だと責められているような気がして、恐る恐る、頷いた。

それを見たレイは信じられないというように目を丸くして一歩後ずさる。


「……驚いた。そんな人いたんだね……。君の魔力がどんなものか見たいな。試しに初歩的な魔法を教えるからやってみてよ」


レイは真似してみて、と人差し指を立てる。カメリアもそれに倣う。


「目を閉じて、炎をイメージするんだ。炎がどんな風に揺らめいて、どんな風に君を照らしているか、できるだけ具体的に想像して……」


沈黙が空間を支配する。

カメリアは一心に炎のことだけを考えている。


「――そして、想像の世界からそれを引き出す!炎よ!」


レイの人差し指には、蝋燭に点るように小さな炎が揺らめいていた。

それに合わせカメリアも、炎を呼ぶ。


「炎よ!」


――しかし何も起こらなかった。

カメリアは二、三回炎を呼んでみたが、やはり何も起こらない。


「……君、才能ないね」

「そんな……」

カメリアはレイの呆れた表情を見て、心底落ち込んだ。

レイが簡単に炎や水を操るので、実は結構憧れていた。

しかし、自分には出来ないと知り、地面に膝と手をついて項垂れる。

……だが、カメリアは剣には少し自信があった。


「……剣じゃだめか?」


恐る恐る上を見ると、レイの表情は一変して険しくなっていた。

「……剣ね。白獅団ホワイトライオンには入れないだろうね。団長の合格基準がかなり厳しいんだ。最年少入団者は十四歳と、他の団に比べると高い。しかもその人は剣聖と謳われた三大勇者のキア。他の人間は早くても十八歳が多いね。最前線で戦う部隊だから、経験が浅く、精神が未熟な若者は足手まといとされ、入団難易度が最も高いよ。諦めて教会の修道士になって、一人前になってから聖鐘団ホーリーベルに入るのが無難だね」


――三大勇者のキア。

国を救った存在でありながら、国中で嫌われている謎の存在。カメリアの憧れでもある。

――もし、そんな勇者を越えられたら。

そんな馬鹿げた考えがほんの一瞬カメリアの脳裏を過ぎった。

すぐに、そんなことは無理だろうと思った。だが、肩を並べることは出来るかもしれないと思った。


オルドトリアになり外に出て、母の仇を打つ。それがカメリアの目標だった。

……だが今は、それと同時に三大勇者の真実を知りたくて仕方がない。

焦がれていた三大勇者が悪者などとは、到底思えなかったからだ。

その為に、三体勇者と肩を並べ、謎を突き止める冒険に出るのだ!

それは、まだ若いカメリアには大きな壁に感じられる。だが、若さ故に、頑張れば乗り越えられる気がした。


カメリアは眉間に力を入れて、立ち上がる。


「それでも入る。白獅団ホワイトライオンに!」


カメリアと視線が交わったレイは、いつものように、笑顔を作ることができなかった。


拳を強く握りしめて声を上げるカメリアの瞳は

、あまりにも真っ直ぐで――。

レイは呆れた振りをしながらも、その瞳に目を奪われていた。


そんなことは無理だ。


そう、頭では理解していたが、その瞳を見ていると、何故だか可能性があるような気がしてくる。

寧ろ、初めて出会った心の底から清らかな人間に、賭けてみたいと思った。


「……はあ。わかった。じゃあ、やってみればいいよ。ほら、オルドトリアの訓練場があるお城はすぐそこだよ」


レイが誤魔化すように道の先を指を差す。

目を凝らして見ると、少し先に道の終わりが見えた。


終点でレイが再び手を添えると、壁が割れて扉のように開いた。



抜けた先は庭だった。

木々や草花は美しく整えられ、池の水には鱗をキラキラと反射させた魚が泳いでいる。

「おお……」

カメリアはその美しさに目を奪われ、呆然と立ちつくしてしまった。


「ここは城の中庭。実は今、丁度オルドトリアの入団者試験の時期なんだ。君は応募してないから、正面から入ると怪しまれる。だから秘密の通路を使ったって訳。さあ、そろそろ訓練場で試験が始まるから、急いで向かおう」


既に歩き始めたレイの声で現実に戻り、曖昧に返事を返して背中を追った。




足早に進むレイに置いて行かれまいと、小走り気味について行く。

大理石の床は綺麗に磨かれ、水面のように二人の姿を写し、歩く度に靴音が反響する。

天井までそびえる柱には金色の装飾が施されており、荘厳な雰囲気が漂っていた。


無言のまま暫く進むと、大人が縦に五人は並べそうな程の、青銅の扉が現れた。

厚い扉の奥からは微かに叫び声のようなものが聞こえた。


「試験が始まっているみたいだ。……いいかい、ここからは僕の話に合わせて。僕と君はたった今出会ったってことにしてね。試験を受けに来た君を、僕が見つけてここへ案内した。あと、礼儀正しくしてること!何を聞いても冷静に……いいね!!!」


珍しく必死な声色で、力強く肩を掴んでくるレイに圧倒され、カメリアは小さくなる。

「わ、わかった、けど、なんで……?」

「いいから!!!」


カメリアが小さくはい、とだけ言ったのを確認して、細い腕で扉を押した。

開かれた扉から熱気のような歓声が波のように飛んでくる。


扉の先では、若い剣士が地面に叩きつけられていた。


――その中央には、一人の男が立っている。


その男は、人を寄せ付けない、盾のような威圧感がある。


何百人と人がいる中で、カメリアはその男から目を離せずにいた。


剣を鞘に戻す音が静かに響いた。

白髪混じりの黒髪を無造作に流す素振りさえ、隙がない。


男がゆっくりと顔をあげると、カメリアと視線がぶつかった。

その瞬間、肺が縮むような感覚に襲われる。

……勝てない。

理屈ではなく、肉体の深い部分がそう告げていた。

沈黙が、重い鎖のようにカメリアの四肢を掴む。


しかし、震える膝を押さえつけるように、右手は自然と剣の鞘を掴んだ。

その指先だけが、唯一「逃げない」と叫んでいた。

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