第4話 冷たい微笑と熱い心
夕日が闇に熔け、空は紺色に染まる。
鼠が蔓延る鬱蒼とした路地に、男が三人。
その中の一人は、この場に似つかない、上品な雰囲気を持つ少年だ。
彼は、カメリアと兵士の"追いかけっこ"を止めに入ったのだった。
どうしたのか、と問う彼の表情は微笑んでいる。けれど、貼り付けたような笑みだ。
少年の微笑みの奥には、威圧感がある。
兵士は全身を震わせ、表情から血の気が引いていった。
そんな兵士を差し置いて、カメリアは堂々と声を上げた。
「この兄ちゃんが俺の大切なものを奪ったんだ!」
「ち、違います!こいつが俺のものを奪おうとしたんで逃げてたんです!!」
「はあー!?」
咄嗟の嘘にカメリアは驚愕する。自分は悪くないとカメリアを指さし、困り果てた表情で訴える兵士に、腹が立ち震える。
カメリアはその顔に殴りかかろうかと迷ったが、歯を食いしばって堪えた。
この不明瞭な状況に、少年も貼り付けた笑みを辞め、首を傾げる。
「お前!!嘘つくなよ!!!」
「なんだと!嘘をついているのはお前だ!」
どちらも証明出来るものなどなく、状況は悪化するばかりだ。
少年はしばらくその様子を眺めた後、やれやれと首を横に振り、兵士の前まで歩み寄る。
兵士は慌てて姿勢を正し、跪いた。
「楽にしていいよ。君、西の門番のローレン・バルドだよね?」
「私の事をご存知とは、恐縮です」
固まったまま下を向くローレンの目線を合わせるように、少年はしゃがんで笑いかける。
「……そういえば、バルド家はあまり裕福ではなかったね」
ローレンは思わず肩が跳ねる。少年の方を向くと、含みのある笑みを浮かべていた。
その笑みに嘘を見抜かれている気がして思わず目を背けた。
「は、はい……」
「いや、ごめんね。だからといって君を疑っている訳では無いんだよ。……ただ、動機にはなると思ってさ」
青ざめたまま動けなくなったローレンを差し置いて、少年は立ち上がり、次にカメリアの方を向く。
「さて、君がどこから来たのかは知らないけど、綺麗な装備を身に付けているね。最近買ったのかな」
「ああ!今日買った!だけど金貨をあいつに奪われたんだ!金貨だけじゃない、指輪もだ!」
カメリアはローレンを指さしながら、怒りの滲んだ声で叫ぶ。
「へえ、指輪と金貨をね……」
少年はほんの一瞬、カメリアを見て目を丸くした。
「指輪はつけていたの?」
「ああ!!」
カメリアは左の人差し指立てて元気よく答える。
それを聞いて少年は顎に手を当て、考える素振りを見せる。そして、すぐに同じ笑みを浮かべて、じゃあこうしよう、と提案した。
「君が指輪をしていたなら、その店の人に君が指輪をしていたかどうか聞けば、本当かどうかわかるね」
「そうだな!それがいい!」
ローレンは青ざめた顔を更に真っ青にして、少年の方を向く。
「そ、それは……」
「どうかした?」
オドオドしだしたローレンに、少年はわざとらしく問い、不思議そうな顔で見つめる。
「もし指輪が君のものなら、行けるよね」
ローレンの吹き出した汗が石畳に落ち、跡を残した。
カメリアは少し後ろで、事の行く末を見守っている。
少年二人の無言の圧に耐えきれず、ローレンは遂に口を開いた。
「……申し訳ございません。俺がやりました」
その言葉を聞いて、カメリアは酷く安堵し、胸を撫で下ろす。
少年は、大きく溜息をついて、跪いたまま動けないでいるローレンを一瞥した。
「稼いでいるはずの国の門番が、こんな子供からお金を盗むなんて……救いようがないね。さあ、早く返してあげて」
低いトーンで言い捨てる。しかし、兵士は一向に動かなかった。
「どうしたの?早くしてよ」
ローレンは唇を震わせながら、重い口を開く。
「……金貨は、全て使いました」
「は?」
「ええ!?」
ローレンの様子を無言で見守っていたカメリアは、驚きで顔を歪めた。
「あんな短い時間にいつ使ったんだよ……!大切な金貨なんだぞ……!」
ローレンは無言のまま唇を噛み締めて、悔しさを滲ませる。
そんなローレンにカメリアは追い打ちをかけるように叫んだ。
「奪うほど金が必要だったのかよ!!」
金貨は元々カメリアのもの。それも、母が残した大切な金貨だ。その金貨が戻ってこないという事実を受け入れられず、感情任せに怒りをぶつける。
「妹が上級の呪いにかかってんだ!!優秀な魔道士を雇うのに金がいるんだよ……!!妹は10年前、ルアナが魔物引き連れて街を襲った日に呪われた!そりゃ、色んな人に見てもらったさ!だけど、誰も治せねーんだよ!!くそ!」
爆発した感情が、狭い路地を何度も跳ね返って反響する。その怒りは次第に、星のない夜空の闇に溶けていった。
少しの静寂が流れる。
カメリアは何かを言おうとして、口を開く。
しかし、直ぐに閉じた。
本当は責め立てたい気持ちでいっぱいだった。でも、大人の涙ぐむ声を聞いて責めることが出来ないジレンマに陥っていた。
「はあ。そんな事は今は関係ない。君は人のものを盗んで、挙句の果てに返せなくなった。これって、どんな事情があっても国が誇る兵士がやってはいけないことだよね。君には兵士の座を降りてもらうよ」
葛藤するカメリアを他所に、少年の冷たい声が放たれる。
ローレンは泣きそうになった。
門番は、なんの特技もないローレンが何とか食らいついて就職できた仕事だった。
本当は妹のためにももっと良い役職につきたかったが、体格に恵まれなかった。
今、その唯一の仕事を失いそうになっている。
「どうかご慈悲を――」
藁にも縋る思いで見上げると、鋭い眼光の少年と目が合う。
背筋が凍りついて、口を噤む。
表情を歪ませて、汚いものでも見るかのようにかのようなその瞳は、あどけなさの欠片もない。
ローレンは、自分よりも年下であるはずの、一分の隙もないその少年に不気味さすら覚えた。
「盗みを働く下賎な人間に慈悲なんていらない」
その言葉は、ローレンを絶望の縁へ突き落とすには十分だった。
夜のせいなのか、少年の冷淡な態度のせいなのか、辺りには氷のように冷たい雰囲気が漂う。
ローレンは今にも泣き出しそうな顔で固まってしまった。
「ちょっと待ってくれ」
カメリアの発声が凍りついた空気を砕いた。
ローレンと少年は同時にカメリアの方を向く。
「なあ、お前。俺は大丈夫だからさ、そいつから仕事奪わないでやってくれよ」
カメリアの発言に、二人は目を見開いた。
特に、少年は信じられないといった顔でカメリアを見つめる。
「……君。良いのかい?大切な物を奪ったこの人を許しても」
「そりゃ、ムカつくよ。……正直、殴ろうかと思った。でも、兄ちゃんの将来を奪ってまで、仕返しがしたいとは思わない。だから、許してやってくれ」
少年はカメリアの真っ直ぐな瞳を受けて、思わず視線を逸らした。そのどこまでも純粋な瞳は、今まで見たどの瞳よりも眩しかったのだ。
ローレンも胸が痛くなり、盗みを正当化していた自分が酷く恥ずかしく思えた。
「……お人好しだね。まぁ、いいや。良かったね。彼がそう言ってるし、見逃してあげるから、指輪を返して早く行きなよ」
ローレンはハッとした後、おぼつかない手つきで自身の袋から指輪を取りだした。
そして、よろめきながら立ちあがり、カメリアの前まで歩く。
「……悪かった」
「うん。もうやるなよ」
ついに、美しいバイオレットがカメリアの指を彩る。
その深い紫の輝きを見つめてカメリアは微笑んだ。
ローレンは、再度二人に向けて謝った後、走ってその場から去っていった。
「助かったよ、本当にありがと。お前が来てくれなかったら指輪もなくしてた!」
カメリアははにかんで笑って見せた。
少年は無言でカメリアを見つめる。
「……?なんかついてる?」
「……いや、君。さっきから思ってたけど僕のことを知らないのかい?」
少年は不思議そうに首を傾げている。
カメリアはローレンの様子を見て、彼が只者では無いとは思っていた。だが、山奥で暮らしたカメリアには街の有名人など、三大勇者を除いて知る由もなかった。
「悪いけど俺、街のことなんも知らねーんだ。山奥から来たからな」
少年は僅かに口角を上げ、ふーん、とだけ相槌を打つ。
「じゃあ、これからは知り合いだね。僕の名前は、レイ。レイ・セレスティア・オルフェリア。君は?」
「なげー名前だな。俺はカメリア!」
「カメリア。なんだか可愛い名前だね。ラストネームはないの?」
「知らない」
レイは変わってるね、と言い更に不思議そうな顔をする。普段人に興味を抱かないレイは珍しくカメリアの出自について興味を抱いた。
「両親は何をしているの?」
その問いを投げかけて、レイはすぐに失言だったと気づく。
カメリアは体をぴくりと震わせ、押し黙ってしまったからだ。
「……言いたくなければ、別にいいけど」
「いや……、大丈夫。父さんは産まれた時からいなかったから何も知らない。母さんは黒いドラゴンに喰われて死んだ」
黒いドラゴンと聞いてレイは絶句する。黒竜は古の竜と呼ばれており、国の歴史上観測されたのは一度きり。
防壁で囲まれているとはいえ、警備の薄い街の外れに魔物が出現することは珍しいことでは無い。民間人を襲う事例も多々ある。
だが、いずれも弱い魔物ばかり。黒竜がこの国に現れるなど、考えにくい。
「……黒竜?見間違えじゃないのかい?仮にドラゴンだとしても、黒はものすごく希少なんだよ」
「そうなのか?まぁあの時は日が暮れてたし、俺もすげー焦ってたからちゃんと見てなかったかも……」
考え込むカメリアに、レイは絶対そうだよ、と後押しする。
「じゃあ君は両親も居なくて、金貨も失ったんだね……可哀想に」
カメリアには可哀想に、という声が若干わざとらしく聞こえた。
「俺、これからどうしたらいいんだ……。母さんの仇を取らないといけないのに……」
夜風が寂しげな声をあげて、二人の間を横切る。
手の打ちようが無くなったカメリアを哀れむかのように、頬を撫でた。
「仇討ちなんて流行らないよ。君みたいに魔物に家族を殺された人は大勢いるからね」
相変わらずレイの言葉は冷たい。
少年から放たれる言葉の冷たさが、この世の現実を物語っている。
何も知らないカメリアは棘のある言葉に胸を刺されるが、それでも可能性を信じた。
「いや、絶対に仇をとる。ドラゴンだけなら探すのは難しいかもな。でも、あのドラゴンは人間といた。母さんがやられてすぐ後に、声を聞いたんだ。"任務は終わりだ"って。ドラゴンと行動を共にする人間を探せば、見つかるはず」
言葉を紡ぐ度に、声が低くなる
その瞳には強い意志が宿っている。
「それは、興味深いね……。もし、君が国の外へ出て、その仇を探しに行くなら、初めにオルドトリアを目指すといいよ」
普段他人に全く無関心なレイは、カメリアの真剣な眼差しに珍しく心を掴まれていた。
実際話に興味をそそられたのは事実ではあるが、それ以上に、カメリアには何か惹かれるものがあった。
「昼も耳にしたけど、オルドトリアってなんなんだ?」
「本当に何も知らないんだね。まぁ簡単に言えば、この国が誇る騎士団だね。……もう夜だし詳しくは明日説明するから、今日はこれで宿をとってよ」
レイは銅貨を一枚カメリアに手渡した。
「いいのか!?ありがとう、お前良い奴だな!」
レイの肩が一瞬跳ねる。夜気のせいか、その頬がうっすらと赤い。
「……別に。僕も一緒に歩く人が汚いのはごめんだし。自分のためでもあるから」
カメリアは苦笑して、汚れた手で受け取った銅貨を見つめた。
「じゃ、また明日。宿に迎えに行くから」
レイは片手を上げ、夜風にローブを揺らして背を向ける。
その後ろ姿が夜の闇に溶けていく。
カメリアは喉になにか詰まっているような感覚に耐えきれず、声を投げた。
「レイ!――あのさ」
「……?」
言ってはいけないとは分かっていた。
けれど、どうしても確かめたかった。
「三大勇者って、悪い奴らなのか……?」
短い沈黙がやけに長く感じられた。
紫苑の瞳が、ほんの一瞬、遠くを見た気がした。
レイの吐く息が、夜の風に混じって消える。
「僕は――そうは思わないよ」
笑みを零して放たれた声は穏やかだった。
カメリアには、その笑みが初めて人間らしく見えた。
夜の静けさが二人の間に戻り、やがて風だけが通り抜けていった。
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