第3話 光の路地裏

指輪と金貨が奪われた。淡い夕日が差し込む部屋、カメリアは焦りで息を切らせる。

こうしてはいられないと、椅子の上に投げ捨てた外套と剣を無造作に手に取り、勢いよくドアを開けた。


バン!!ドタドタドタ!!!


受付の女が驚く間もなく、カメリアが二階から駆け降りて来た。

「おばさん!!」

カウンターにぶつかるようにして止まり、息がかかりそうな程の距離で女に詰寄る。


「おきゃくさま、どうし――」

「俺の金貨と指輪が消えたー!!!」


どうしましたか、と問う前に答えが返ってきた。カメリアはただならない様相で、どうしよう、どうしたらいい、と喚き続ける。

女は一呼吸を置いてから、顔にかかった唾を裾で拭き、彼の肩を掴んで叫ぶ。


「落ち着いてください!!」

「!!」


カメリアはその声にビクリとし、同時に焦った脳が冷静さを取り戻す。

「あっご、ごめん……」

「いえ。それで、金貨と指輪を無くされたんですか?」

「そうなんだよ……!大切なものなんだ……。おばさん、俺の部屋に誰か来たりしなかったか?」

普段は元気に釣り上げた眉をへの字にして、声に焦りを滲ませる。

女は少し考えてから、閃いたと言わんばかりに目を見開いた。

「あっ。そういえばつい先程、お客様と一緒に来られた兵士の方が、忘れ物を取りに来たと部屋に向かわれました」

「……!」

カメリアは息を呑んだ。

( ――あの兵士が盗んだんだ……!)

優しい振りをして、騙していた。

その事実がカメリアの心をじわじわと蝕む。

初めて経験する裏切りだった。唇を噛んで、爪が食い込む程拳を握る。

そんな彼の様子を見て、女は全てを察した。そして同時に、何の疑いも持たず兵士を部屋に向かわせた事に酷く罪悪感を覚えた。


「……申し訳ございません。私がもっと注意するべきでした」

「いや、おばさんは何も悪くないよ。騙された俺が悪いんだ」

そのあまりに真っ直ぐな瞳に、胸を打たれる。人は心に余裕が無いとき、こんな事を言えるだろうか、と。

「い、いえ、私の責任です。まだ近くにいるはずですから、探してきます」

「おばさん、本当にいい人だね。でも、大丈夫だからここにいて。俺が探しに行く!」


カメリアは言いながら既に体が動いていた。そして、ありがとう、と言い残して宿から飛び出す。その言葉は閉まる扉によってかき消された。


残された女は、あの真っ直ぐな瞳を、かつて恋をした男と重ねていた。若かりし頃の純粋な記憶。あの真っ直ぐな瞳は、どこかその人と似ていた。女は暫く忘れていた、トキメキという気持ちを思い出したのだ。

「やだ……私ったら、あんな子供に……」

その声は誰もいない部屋で宙を舞った。





夕日が街を焦がし、茜色に彩る。仕事を終えた人々はどこか嬉しそうな表情を浮かべている。それに脇目もふらずにカメリアは来た道を風の如く走った。


何度か過ぎ行く人の肩にぶつかり、その度に反射的に謝る。ただ、彼は正直、人の事など考えている余裕はなかった。


呼吸の弾む音だけがカメリアの聴覚を支配する。建物が、人が、避けるように広がる。その道を一心不乱に駆け抜けた。

荒い呼吸に支配された聴覚が解放され、波のようなざわめきが広がる。

ここは、昼夜問わす賑わい続ける街の心臓部だ。


「はあ、はあ」


空はもう、紺色と赤が混ざり合う頃だった。

カメリアは辺りを見渡す。中心街は昼間よりも人が増え、賑やかさが増している。珈琲の香りは遠くに消え、酒や香水の香りと、憂いを忘れた大人たちの笑い声で満ちている。


カメリアは肩で息をしながらキョロキョロと首を振った。しかし、何人か兵士の姿は見えたが、鎧が違かったり、体格が違かったりする。

このままでは埒が明かないと思い、片っ端から兵士の事を聞き回ることにした。



花のような香りを纏う女性、ベンチでくつろぐ男性、鎧を着たガタイのいい兵士達。その全ての人が、カメリアの言う兵士の特徴に首を傾げた。人が多い場所で、誰かを見つける事は至難の業だ。カメリアは諦めて西の門で待ち伏せをしようと考えた。

最後に声をかけた若い男性二人に軽く礼をして、門に向かおうとする。だが、街の一角にある路地の手前、小さな店が目に付いた。

古い壺や石ころなどの、ガラクタにしか見えない品を揃えた店だ。深く帽子をかぶった店主と、細身で青髪の男が立っている。


カメリアはついでにあの人にも兵士を知っているか聞こうと思い、一歩踏み出した。

しかし、歩みを進めるうち、カメリアの表情は曇っていった。青髪の男の手元から、見覚えのある紫が煌めいたからだ。

歩む速度が自然と落ちる。

その横顔は笑っていた。誰かによく似た垂れ目を細めて。

カメリアは完全に足を止めた。店主は金貨と引き換えに指輪を受け取ろうとしている。その緩んだ表情が酷く憎たらしかった。


「おい!」


カメリアは殆ど無意識に声を出した。その声に青髪の男はビクリと肩を震わせ、弾かれるようにカメリアを見る。

やはり、あの兵士だ。カメリアは兵士が鎧を脱いでいたので、気付かなかったのだ。

男の表情が一瞬にして歪んだ。対する店主は、シワだらけの顔を顰め、怪訝そうにカメリアを見ている。


「なんだ?お前このガキ知ってるのか?」


男は店主の問に答える前に脱兎の如く走り出した。

「あ!待てよ!!!」

カメリアもそれを追って走り出す。

店主はその光景をただ呆然と見ていた。





男が逃げた細い路地は、沢山の枝分かれで入り組んでいる。男は曲がる度に、また曲がるを繰り返し、カメリアは何度も見失いそうになった。


カメリアは必死だった。あの指輪は母が残した秘密であり、自分が何者なのかを見つける唯一の手掛かり。それを奪われたままにするなど到底できず、執念に近い気持ちで男の背中を追った。


追って、曲がって、また追う。

しかし、またひとつ曲がった所で、完全に男を見失った。なんと、そこは行き止まりだったのだ。


「え、え!?どこだ!?どこいった!?」


上を見ても横を見ても道らしきものは見当たらない。

「一体どうなってんだ!?」

ここで何も出来ず、金貨も指輪も失ってしまうのかと、焦躁が胸を焦がす。

「くそー!!」

沈みかけの真っ赤な夕日がカメリアの背中を焼いた。悔しさで目頭が熱くなり、地団駄を踏む。

すると、後ろから黒猫が現れ、横のゴミ箱の上に優雅に飛び乗った。

カメリアには、じっと見つめるその瞳が何かを伝えたそうに見えた。

「……なんだ、俺を笑いに来たのか?……はあ。お前はいいよな。自由でさ」

猫を撫でながらボソリと呟く。

「……!?」

すると突然、カメリアの視界が、砂嵐が起きたように暗転し、映像が映り出した。


~

曲がり角を勢いよく曲がってきた男が、ゴミ箱を避けて、大人一人入れるほどの穴に入ってゆく。ゴミ箱の位置を戻した後、男を追って走ってくるカメリアの姿。

~


白い光が差し込むように、ゆっくりと視界が現実に戻った。

「い、いまのは……お前が見せたのか……?」

黒猫は、低くにゃー、と鳴くだけだった。

ゴミ箱を避けてみると、先程と同じ穴が空いている。

カメリアは驚きと共に、人生で数回しか見た事のない猫の、新たな一面に感心した。

「お前すげーな!ありがとな!」


四つん這いで穴を抜けると、一本道が続いていた。その先の曲がり角を歩く、男の姿。男は後ろを振り返り、目が合ったかと思えば、げっと顔を顰めて、走り出した。

「逃げるなー!!」

カメリアは全速力で走る。今度は曲がり角も人も少ない路地だ。


生ゴミの匂いと共に風がカメリアを避け、鼠が驚いて角に逃げた。男までの距離はまだ遠い。やはり大人の足と子供の足では一歩が違いすぎる。

少しでも届けと願い、手を伸ばす――


刹那、カメリアの視界の端に、黄色い閃光が走った。


ボカン!!


その直後、男の前で小さな爆発が起きる。

「ぐあっ!」

男は爆風でカメリアの前まで吹き飛ばされ、尻もちをついた。

「うお!?」

風が黒い靄を纏いながら路地を一気に駆け抜け、辺りには焦げ臭い匂いが充満する。

カメリアは突然の出来事に動揺し、男との距離が縮まった事など忘れ、辺りを警戒した。


「そこまでだよ」

上の方から声がする。

そちらを見ると、建物の階段の柵に誰かが座っていた。しかし、カメリアからは、逆光でよく見えなかった。

「あ、あなたは……」

男の肩が震え出す。男は、謎の人物が何者なのかしっかりと分かっていた。

カメリアは男の様子から、謎の人物が恐がられる程の強者なのだろうと思い、無意識に警戒の姿勢を取っていた。


目を離せずにいると、謎の人物が突然飛び降りる。

「――危ない!」

カメリアは咄嗟に手が出そうになったが、謎の人物が持つ杖が青く光り、周囲を風が舞う。そして、風に運ばれるようにして、地面に降り立った。


中性的な雰囲気を持つ、凛とした少年だった。

耳の上で揃えた白い髪が、ふわりと靡き、雪のような肌を優しく撫でる。

耳には金色のピアスを遊ばせて、紺色のローブで身を纏っている。なんとも品のある少年だ。神々しいとも言える。


「君達、こんな狭い場所で追いかけっことは、楽しそうだね。どうしたんだい」


その声は透明で柔らかい。けれど、どこか冷たさを孕んでいた。

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