第26話 最後にあの言葉を
「あっ・・・ああ、夢か・・・。」
目を開けると病室の天井が見えた。白い蛍光灯と合板。見慣れた天井。そしてすっかり慣れたベッドの感触。
「あの頃は楽しかったな・・・。」
余命宣告を受けてから4年目の途中くらいまでは、まだ麗華と一緒に出かける余裕もあった。
だけど、病魔は少しずつ、着実に僕の体を蝕んでいたらしい。
4年目くらいから体力が落ちてきて、すぐに熱を出し体調を崩すようになり、遠出が難しくなった。
それでも、自宅で麗華と一緒に暮らせるうちはまだよかった。
5年目の冬に肺炎になって入院した頃から入退院を繰り返すようになった。
しかも、入院の期間はどんどん長くなり、最近ではベッドを離れることすらできない・・・。
ちらっとベッドの脇を見ると、椅子に座った麗華がウトウトしている姿が目に入った。
教師の仕事で忙しいのに、連日、仕事が終わった後に夜遅くまで付き添ってくれている。休みの日もずっとここにいてくれる。
麗華の目の下には濃いくまがある。その疲れ切った寝顔を見ながらため息をついた。
「そろそろ、麗華を過去に戻してあげる時期かもしれないな・・・。」
心の中にそんな思いが去来した。
自分でも死期が迫っているのがわかる。明日それが来てもおかしくない。
でも、麗華と一緒の時間を一日でも、一分でも長く過ごしたい。そんな未練からこれまであの言葉を口にすることができなかった。
でも、さっきみたいに意識が飛んでしまうことも少なくない。もう体も動かない。
もし次に意識を失ったら・・・そのまま死んでしまったら・・・あの言葉を言えず、麗華を過去に戻してあげることができなくなる。
今は意識もはっきりしている。まだ口も動く。今すぐ言うべきだ。
「麗華、麗華・・・。」
僕がやっと絞り出した小さな声で呼びかけると、麗華はゆっくりと目を開けた。
「あっ、ごめんね。ちょっと寝ちゃった。亮くんも目が覚めた?」
麗華の顔は、不安と疲れで憔悴しきっている。だけど、それに気づかれまいとするかのように、僕の前ではいつも明るく振る舞ってくれる。
そんな姿も痛々しい・・・。
「近くに来て・・・話したいことがある。」
「うん・・・いいよ。」
麗華は僕に顔を近づけた。
「麗華、愛してる。これまでありがとう。僕は幸せだった。」
「何よ、急に・・・。私も愛してる。亮くんと一緒で幸せだったわよ。」
麗華が僕の手を握ってくれて不意に胸が詰まった。
もう少しだけ一緒にいたい・・・思わず決意が鈍りそうになる。
だけど、言わなきゃ。言って次の亮くんに麗華を託さなきゃ・・・。
「もう十分だよ。ありがとう。じゃあね。麗華。わか・・・。」
しかし僕はそれ以上言葉を続けられなかった。
僕の口に麗華の手がそっと添えられ口を開くことができなかったからだ。
どうして?
唯一自由になる目で麗華に訴えかける。
「亮くん、あの言葉を言うつもりでしょ?わかってるんだから。だって、私はこれまで100年以上も亮くんと一緒に過ごして来たんだよ。それぐらいお見通し・・・。」
麗華は相変わらず優しく微笑んでいるけど、その口調は少し寂しそうに聞こえる。
「・・・私のことを考えて、またタイムリープして次の亮くんと一から人生をやり直せるように、ずっとその言葉を言おうとしてたでしょ。やっぱり亮くんは優しいね・・・。だけど、私がループしたら、ここから私が消えて亮くんが一人になっちゃう。亮くんを一人残して行けない。約束したよね。死ぬまで一緒だって・・・。」
でも、でも・・・そうしたら麗華は過去に戻れなくなっちゃう・・・。この世界に一人、麗華を残すことになっちゃう。
声を出せないので、少しだけ首をふりながら必死に目で訴えると、麗華は僕の想いをくみ取ってくれたようだ。
「うん・・・。わかってる。だけど、もう過去に戻らなくても大丈夫。私はこの世界で君と添い遂げるって決めてるから。それで、あと何年か、何十年かしたら私も君を追いかけることになるだろうし、それまでは思い出だけあれば十分だよ。ほら、亮くんとの思い出は100年分以上もあるんだから。毎日それを順番に思い出していけば、私の寿命まで、あっという間だよ。」
麗華は微笑みながら軽い口調を装ってるけど、その瞳には強い決意の色が宿っている。
きっとこれから言葉を尽くしても説得するのは無理だ・・・。もっと早く言っておけば・・・。
「亮くん・・・愛してるよ・・・。だから、私に添い遂げさせて・・・。」
麗華の瞳から一筋の涙がこぼれるのが見えたのを境に、徐々に麗華の顔が歪んでよく見えなくなる。少しずつ意識が遠のいているのだろうか。
脳裏に麗華とのこれまでの10年間の思い出が走馬灯のように巡り始めた。
ああ、間に合わなかった・・・。
ごめん・・・麗華。
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