第17話 ねぐせ
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、と繰り返される電子音。
これは俺のスマホのアラームだ。
腕を伸ばしてベッドから枕元のスマホを手繰り寄せ……るつもりが、腕はヒヤリとした金属に触れた。
そこでようやく、ここがベッドでないどころか家でもないことを思い出す。
「んん……」
ふわぁと大あくびをして眠い目を無理矢理開けば、叔父さんと柊木さんがこちらを見ていた。
「おはよう啓くん、よく眠れたかい?」
「んふっ、おはよう、ござい、ます、んふふっ」
……柊木さんが、なんか必死で笑いを堪えようとしてるんだが?
「啓くん、ねぐせすごいよ」
「あー……」
手で頭を撫でてみれば、なるほど爆発しているようだ。
柊木さんはついに堪えきれなくなったのか、ぶふうと盛大に吹き出した。
まあ、ねぐせなんて一発芸みたいなもんだし、笑ってくれていいけどさ。
柊木さんは時折ごめんなさいと謝りつつ、いつまでも腹を押さえて丸くなって笑っている。
どうやらツボに入ったらしいな。あれ多分、腹痛いんだろうな。
俺は操縦席脇に取り付けていたスマホを操作する。
スマホは俺のも柊木さんのもロボ稼働中に充電されていてバッテリーは十分だ。
操縦席の周りには、図面の引かれた紙が散乱し、定規や鉛筆がその上に転がっていた。
ああ、昨夜は結局、脱出用の案を考えながら寝落ちたんだな……。
手の届く範囲の物を拾える程度に拾っていたら、叔父さんが手伝いに来てくれた。
柊木さんはようやく落ち着いてきたのか、呼吸を整えながら、真っ赤な顔に滲んだ涙を拭いている。
いや、俺のねぐせで泣くほど笑えるか?
ある意味すごいな。
「柊木さん、大丈夫? ちょっと相談があるんだけど、実は昨日門川支局の道角支局長から……」
柊木さんは、話を聞こうと俺の顔を見上げた途端、吹き出した。
「なっ、薙乃さ……、だ、だめですぅ、そのっっ、頭……っっ、っっっ!!」
重要な話なんだが……。
はぁ、仕方ない。まずは俺のねぐせをなんとかするか。
俺は自分の髪を手で押さえる。
しかし撫でつけても撫でつけてもこの髪の跳ねっぷりはどうにもなりそうにない。
「あ、啓くん、ウエットティッシュがあるよ。あとタオルとかパンも差し入れてもらったから、顔を拭いたら朝ご飯にしよう」
俺はタオルをもらって帽子がわりに頭に巻く。こうしときゃそのうち落ち着くだろう。
叔父さんの話によると、これらの差し入れは昨日の迷子の女の子、みのりちゃんの母親からもらったものらしい。
昨夜、道角支局長は避難者の皆に、このダンジョンにはモンスターがもう出ないと伝えていた。
きっとボスを倒した後に探索系コンカー……玄雨さん達がダンジョン内を駆け回って生き残りがいないか調べてくれたんだろう。
自宅に生活用品や貴重品を取りに帰りたい人は、昨夜から順次コンカーの付き添いの元、近隣住民同士でグループを作って図書館と家とを往復していた。
住宅は崩れていて危険なところも多いため、図書館から出る時には必ずコンカーと一緒に移動することが条件だったが。これは空き巣対策でもあるんだろうな。
そんなわけで、図書館の近隣住民の人達はそこそこ食料や日用品を確保できたようで、昨夜からは館内の避難者同士で物々交換が盛んにおこなわれていた。
図書館の1階は、昨夜からは主にコンカー達のスペースとなっていて、隅の方の比較的無事な場所では町内会長や道角さん達が集まって地区ごとに向かう人や順番、付き添うコンカーの配置を考えたりと、一晩中会議が続いていた。
ボスもあんな風に朝から晩まで働いてるんだろうな……。
俺は、昨日の朝会ったばかりの森江支局のメンバーの顔をぼんやり思い浮かべる。
別れたのはほんの昨日だというのに、なんだか色々ありすぎて、遠い昔のことみたいに思えてしまう。
柊木さんが、目尻に少し涙を滲ませたまま俺の隣に上がってきた。
ロボットは今アームを階段状に下ろしているので、誰でも簡単にコックピットまで上り下りできる。
「薙乃さん、叔父様と仲直りされたんですね、よかったです」
小さな声で柊木さんがささやいた。
そうか、柊木さんはそれも心配してくれていたんだな。
「柊木さん、昨日はごめん。無茶させてしまって。あと、……心配してくれてありがとう」
柊木さんは目をぱちくりとさせて、それからエヘヘと照れ笑う。
「はい。いえ、お安いご用です」
いや、安くはないだろう。
一瞬とはいえ、昨日はドでかい図書館の全てに柊木さんの巡力を巡らせたんだぞ?
下手すればあの時点で柊木さんが気を失っていたっておかしくなかった。
しかも俺はそれを、自分の独断で、何の相談も無しにやった。
「いや、昨日のは流石に無茶だった。本当にごめん」
「謝らなくても大丈夫ですよ。薙乃さんはハッキリ無茶するって言ってましたし、私は自分の意思で、その無茶な案に乗ったんですから」
「……そうだったか?」
「はい。薙乃さん、あの時もごめんって謝ってましたよ。なので、もう謝罪は受け取り済みなんです」
「そうか……」
咄嗟の事で、細かい会話までは覚えていない。
なにしろあの時の頭の中は、ほとんどが設計図で埋まってたからな……。
柊木さんが小さく笑って言う。
「薙乃さんって、思ったよりずっと素直な方ですよね」
思ったより。ってとこが引っかからなくもないが、一応褒め言葉として受け取っておこうか。
「そういうところ、とっても素敵だなぁって思います」
追加でしっかり褒められて、俺は目を丸くする。
「柊木さんも、優しくて頑張り屋で、それに、思ったよりずっと勇気があって、素敵だと思うよ」
俺は、貰った分にプラスアルファの賛辞で返した。
そう。彼女は普段は怖がりで、自分に自信もなさそうなのに、土壇場では意外なほどの度胸と根性を見せてくれる。
そこに、俺はいつも助けられていた。
「私が頑張れるのは、薙乃さんのことがあったからですよ」
「俺の……?」
「あの時私は動けなくて、それからずっと後悔していました。でも、だからこそ今は、怖くても、足がすくんでも、あんな風に動かないまま後悔したくないって思うと、また走り出せるんです。助けられるかも知れない誰かを、そのままにしたくないって思うから……」
「柊木さん……」
「だから、今の私が頑張れるのは、全部薙乃さんのおかげなんですよ」
そう言って、彼女はにっこり笑った。
俺の……。
じわりと目頭が熱くなる。
俺は慌てて顔を隠した。
「薙乃さん?」
「いや、ちょっと待って。顔見ないでくれ」
「ど、どうしたんですか?」
「……嬉しくて泣きそう……」
「えっ……ええーーっっ、そんなこと言わないで、見せてくださいよーっ」
「なんでだよっ」
「私もさっき泣き顔見られたじゃないですかぁ」
「あれは笑いすぎて泣いてたんだろ」
「涙は涙ですよぅ」
「今度あくびが出た時見せてやるからっ!」
「ええーーー?」
「おーい、二人とも、朝ごはんできたよー」
叔父さんが下から声をかけてくる。
「あ、ほら、叔父さんが昨日いっぱい泣いてただろ。もうあれでいいじゃないか」
「よくないですよぅ。確かに泣き顔はしっかり見ちゃいましたけどっ」
「……二人とも、なんでそんな話してるの……?」
叔父さんがしょんぼりと呟いた。
***
パンとスープで朝食を済ませて、俺は柊木さんに昨日支局長から依頼された脱出ルート作りの話をした。
「それで今朝はこの状態だったんですねぇ」
と、柊木さんは俺の書き殴っていたボツ案の紙束を眺めて言う。
「柊木さんは俺と一緒に脱出ルート作りに挑戦したいと思う?」
「はいっ、それはもちろんっ!」
「けど今回のゲートは天井までの高さが350メートルほどもあるらしいし、東京タワーより高いんだよ?」
「スカイツリーより低いじゃないですか」
俺と同じこと思ってるな……。
「それに脱出ルートを通るのは一般人だ。万が一途中で建築物が崩れたりしたら、大惨事になってしまう可能性だってあるよ」
「それはなんでもそうです」
うーん、まあ、それはそうかも知れないけどさ……。
「それに、薙乃さんならそうならないように十分気をつけて作業をしてくださると思いますから」
ぅあああぁ……。全幅の信頼って結構ずっしりくるな?
俺は頭を抱える。
結局タワー式も螺旋階段式もキャンプファイア式もエスカレーター式も、どれもが安定性を考えると建築物自体の大きさが大きくなって…………、柊木さんがキャパオーバーになる未来しか見えない。
一体どんなモンを作れば、柊木さんに無理をさせずに、1000人近い避難者とコンカー達をあの高さまで運べるんだ……?
「どうだい? 話はまとまったかな?」
不意に近くで聞こえる声。
俺が顔を上げれば、道角支局長がにこやかに立っていた。
「おっと、お嬢さんには挨拶がまだだったね。私は門川支局の支局長を務める、道角 敢だ。この度はモンスター討伐への協力本当にありがとう。攻略隊を代表して礼を言わせてもらうよ」
「あ、えっと、柊木 菜々㮈(ひいらぎ ななな)です。こちらこそ、昨日はポーションをありがとうございました」
「いやいや、あの一本でまさかボスまで倒してもらえるとは思わなかったからね、対ボス戦の費用としては最小額だったよ」
そう言う道角さんがにこやかに尋ねる。
「それで、今回の件は引き受けてもらえそうかな?」
サラッと言ってくれるけど、1000人近い人の命を預かる話なんだよな……。
何より、俺はまだ350メートル上空に人々を運べて、なおかつ柊木さんの処理能力内で作れそうな建築物を思い描けずにいた。
「いや、えーと……」
俺が返事に悩む間に、柊木さんが「はいっ、頑張ります」と答える。
「柊木さん!?」
「そうかそうか、頑張ってくれるか、それは頼もしいな」
「いや、待ってください、俺はまだ――」
「こちらも無茶を言っているのは分かってるからね、巡力ポーションはもちろん、事故の際にこちらの操作系能力者で避難者の落下を防ぐ手筈は整えておくよ」
う。先に言われてしまった……。
道角さんは俺の書き殴った図面の束を手に取ると言った。
「君達が真剣に向き合ってくれてるのは良くわかった。こちらでもできる限りのことをするし、有事の際の責任は私が取る。他に必要なものがあればいつでも声をかけてくれ」
道角さんに肩をポンと叩かれて、俺は仕方なく「はい」と答えた。
道角さんが姿を消すと、叔父さんが心配そうに声をかけてくれる。
「啓くん、大丈夫かい……?」
今からでも断るなら、僕が断ってあげようか。なんて顔に書いてある。
「うん、まあ。やるだけやってみるよ」
責任は取るからやってみろなんて言われたら、できるとこまでやるしかないよな。
道角さんはすぐに昨日と同じ高いタイプの巡力ポーションを5本持ってきてくれた。
巡力ポーションは回復ポーションとは違ってコンカー以外で欲しがる人は少ないが、それでも、この5本で何十万するんだ……と思ってしまう。
「それで、薙乃さんは何を困ってるんですか?」
柊木さんが不思議そうに尋ねる。
「それって、返事をしてから聞くことか?」
俺はゲンナリと答えてから、現状を説明する。
話を聞いた柊木さんが「私……お返事を早まったかも知れません……」と呟いた。
遅いよ! 遅いんだよ、それに気づくのが!!
全く……。
彼女のこの変な瞬発力には救われるばかりじゃないな、と認識を改める。
「……どうするんですか、薙乃さん」
「俺が聞きたいよ!」
柊木さんは難しそうな顔をして考えはじめる。
「うーん……、350メートルの高さを……上り下りする……」
「いや、下りはしなくていいんだけどさ、上れればそれで……」
……うん? 最近聞いたな。350メートルを上り下りする……。
東京タワーじゃなくて……。
「「スカイツリーのエレベーター!!」」
俺たちは互いに指を差し合った。
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