第8話 ランダムゲート

地震か!?

「ひゃ……」

大きくよろけた柊木さんに腕を伸ばすもほんの少し届かない。

もう片腕でブレーキを外す間に、ボスが柊木さんの背中を支えた。


「状況確認!」

ボスの声に、白衣の人たちが一斉に動き出す。

そんな中で、斎賀さんだけがこちらに歩いてきた。

「今日のランゲ対応は僕らじゃないだろ?」

「つべこべ言うな、人命優先だ」

「ランゲって……またランダムゲートですか……?」

柊木さんが不安そうに言う。

ランダムゲートは県下だけで年間300ほど開いているはずだ。

それなら8つの市があるうちの県では、各市内で月3度以上は開いてもおかしくない。

……とはいえ、これは単純に割った数だ。

実際のところランダムゲートが発生するのは大抵が住宅密集地や都市部。

まあ、相手も人間の巡力を求めてやってくるとなれば、人の多いとこを狙うのは当然だろう。

最近では低巡力者優遇住宅とかいって売り出された超大型分譲マンションがネットで大炎上していたな。巡力差別だとかで。そもそもそんなとこ入居して、生まれてきた子の巡力が高かったら親はどうするつもりなんだろうか。

まあよっぽど巡力が高ければ、高巡力な子ども達だけが通う全寮制の学園なんかもあるにはあるが。


ともあれ、県下一のベッドタウンである森江市には、週に一度以上の頻度でランダムゲートが開いていた。

それでも森江市の火災発生件数は週平均4~5回なので、火事にくらべればずっと珍しいか。

ゲートに一生一度も出会わないって人だって、沢山いるんだろうしな……。


もうあれから4日経つ、次のゲートが開いたところでおかしくはない。

さっきの振動からして、ことが起きているのはこの辺りのようだな。

まだ時々、小さな揺れが伝わってくる。

「悪ぃけど、薙乃と柊木はしばらくここで待機だ」

「「はい」」と俺たちの声が重なる。


「ゲートは出現型、場所は笹川河川敷だよ!」

箕輪さんが、ノートPCから顔を上げて叫んだ。


河川敷か。確かこの建物は川沿いに立っていたな。

俺はさっき眺めた上空からの景色を頭に浮かべる。

あの距離でデカいモンスターが暴れれば振動が来てもおかしくないか。

「えー、なんでそんな近くに出るかなぁ」

「うるせぇ、剣離すなよ斎賀」

ボスはそんな言葉を残して俺たちの前から姿を消す。

斎賀さんの姿もないところを見れば、強制連行されたらしい。

出入り口の方を見れば、部屋に出入りする白衣の人達で扉は丁度開いていたようだ。

あそこで止まるなら姿が見えるかと思ったんだけどな。


『出現型ゲート発生。場所は笹川河川敷第三グラウンド。規模は中型。待機中のコンカーは直ちに出撃してください。周辺住民の避難にはD班とE班、医療班は……』と出動要請の放送が館内に流れ始める。


「出現型ってことは、こないだみたいにモンスターが出てきてるんでしょうか……」

柊木さんが心配そうに言う。

「そうだな。今回は結構大型のモンスターなんだろう。ここまで揺れてるくらいだし」

俺の言葉に、柊木さんは「ひぇぇ」と身をすくませた。


ゲートには大きく分けて出現型と待機型がある。

モンスターがこちらにゾロゾロ出てくるのが出現型で、出てこないのが待機型だ。

ゲートは拡大したり移動したりすることはあるが、最終的には時間とともに小さくなって、閉じる。


ゲートが開いてから閉じるまでの間に、中に入ってダンジョンを攻略するのがコンカー達の主な仕事だ。

出現型の場合はそれに加えてこっちに出てくるモンスターを倒す必要があるし、広範囲の待機型の場合は、中に迷い込んでしまった人を時間内に救助することも求められる。

ダンジョンを攻略すると、攻略報酬と呼ばれるアイテムが手に入る。それは大概この地球には存在しない高エネルギー結晶か万病に効く不思議なポーションの類で、コンカー協会の財源は主にこの二つを売却することによって賄われていた。

祖父の頃には攻略報酬も実に様々なものがあったらしいが、ここ数十年はエネルギー結晶とポーションのほぼ二種類だという話だ。


さっきは20人ほどが集まっていたこの部屋にも、今は俺たち以外に3人しか残っていない。


コンカーはいつだって人手不足だ。

そんな中で優秀なコンカーを失うのは痛手だとして、今では待機型のゲートに飲み込まれた人の救助はゲート消失予想時刻の半日前には切り上げようだとか、いや一日前にするべきだとか議論もされている。


俺の両親も、祖父も、コンカーだった。

困っている人がいたら放っておけない。そんな人達だった。


……結局、3人ともダンジョンから戻ってこないんだけどな……。


俺はダンジョンに入った事はないが、ずっと昔に母が「今日のゲートの中は天国みたいだったのよ、美しい景色がどこまでも続いててね……、ずっとここにいられたらいいなって思っちゃったわ」と話したことだけが、どうしても忘れられずにいる。


もちろん、母はすぐに「ああそんな顔しないで! 啓ちゃんが待ってるんだから、お母さんすぐ帰って来るわよ!」と笑顔で俺を抱きしめてくれたが。


ネットを検索すれば、ゲートから戻ってきた人のほとんどが、あそこは地獄だったと語っている。


それでも、ごく一部の人が語る美しい風景が、俺の心の底に引っ掛かりを残していた。



「薙乃さん」

「ん、何?」

見上げれば、柊木さんが背筋をピンと伸ばして俺を見つめていた。

「改めてお礼を言わせてください。先日は助けてくださって、本当にありがとうございます」

ぺこりと下げられた頭に、俺は苦笑する。

「どういたしまして」

俺はただ一緒に逃げただけで、モンスターを倒したのはコンカーだったし、巡力の使いすぎで彼女を危ない目に遭わせてしまっただけのような気もするが、ここは黙って受け取ろう。


「それと、あの……」

彼女の、スカートの前で重ねられた両手にギュッと力が入る。

「あの時は、なにもできなくて、ごめんなさい……」

俺はゆっくり息を吐いてから、尋ねた。

「あの時って?」

「小学生の……私が3年生で薙乃さんが4年生の時。私、薙乃さんの、隣のクラスだったんです」

やっぱりそうか。

俺が飛び降りた4年5組の教室。その隣には3年1組があった。

彼女はあの時、廊下から俺を見ていたんだろう。

「あの時……、あの時私がすぐ先生を呼びに行ってたら、薙乃さんは、そんな体にならなかったんじゃないかって、私、ずっと……」

俯いた柊木さんの手の甲に、ぽたりと雫が落ちた。

……本当に、俺はバカだ。

こんな風に、あの時の自分を後悔し続けてる人は彼女の他にもいるんだろうな。

どうしてあの時、俺は『もういい』なんて投げやりになってしまったのか。


「いや、それは、バカな俺が勝手に飛び降りただけだから」

「そ、そんなことっ」

「あるよ。別に飛び降りなくてもよかったのに、俺が勝手に飛んだ。目の前の事しか見えてないバカだったんだよ、俺は。だから柊木さんが責任を感じるような事は何もないよ」

「……っ……」

柊木さんは、それきり黙ってしまった。


自分を傷つけて、無関係な人まで傷つけて。

俺は、人々を守るコンカーの両親にずっと憧れていたのに……。


だがそれも、小学校に上がるときには無理な願いだと知った。


あの時、100ピッタリの俺の検査結果を見て、両親はなんて言ったんだっけな。

俺は両親ともに高巡力なこともあり、自分も130とか140は出るんじゃないかと期待していたから、ずいぶん落ち込んでいたのに。

……そうだ。思い出した。

母さんは「あらいいわね」って言って、父さんは「完璧じゃないか」なんて言ってたよな。

「なんでだよ! こんな少ないんじゃコンカーになれないじゃないか!」と怒る俺に、両親は「巡力なんて高くてもいい事ないぞ?」とか「将来コンカーにしかなれないだろ」とか言っていたが、それにしても両親共に140超えの高巡力の親から100しかない子が生まれたと知ったら、もうちょっと驚くもんじゃないか?

いや、両親は検査なんかしなくても俺の巡力が見えていたんだろうから、見えていた通りの結果だったってだけか……。


ズシン、と一際大きな揺れに、俺は顔を上げる。

揺れの来た方向へ、よくよく目を凝らせば、ボスらしき巡力と斎賀さんらしい巡力が飛び跳ねているのが微かに見えた。

多分、柊木さんがくれた巡力が俺の中にまだ残ってるんだろうな。


「薙乃さん……?」

「ん? いや、ボス達大丈夫かなと思って」

「皆さん、あっちの方で戦ってるんですか?」

「ああ、まだ皆元気そうだよ」

「分かるんですか!?」

柊木さんは巡力を捉えるのが苦手なんだろうか、ふよふよと俺と同じ方向に視線を彷徨わせてから、また俺を見た。

「薙乃さんって、やっぱりすごいですね……」

そうか? ここからでも見えるのはボス達の巡力が強いからだろう。

現に、柊木さんは近くにいてもぼんやりとしか見えないしな。

「ああそうだ。その敬語はやめてもらってもいいかな」

「えっ、あっ。そ、そうですよね……」

やっぱり、無意識だったんだな。

「うん、俺たち今は同級生なんだし、気軽に喋ってくれたらいいよ」

「は、はいっ! わかりました!」

……大丈夫かな……。と思ったところで、グゥゥと俺の腹が鳴った。


「もしかして、薙乃さんお昼ご飯まだなんですか?」

「それを言うなら朝ご飯な」

「あっ、そうですねっチョーショクですっ!」

言い換える必要あったか……?


俺が首を傾げていると、白衣のうちの一人が声をかけてきた。

「お食事がまだだったんですか、すみません。すぐに連絡しますので、B棟の食堂をご利用ください」

ペコペコと頭を下げて、壁に設置されているインターホンへ駆け寄る若い局員。どうやら食堂で俺が食事を取れるように手配してくれるようだ。


「薙乃さん、食堂の場所ってわかります?」

そんなもの分かるはずがない。俺は布団の上からボスに担がれて真っ直ぐここに運び込まれたんだぞ。

俺が半眼で首を振ると、柊木さんは得意げに胸を張って「じゃあ私がご案内しますね」と笑顔で言った。


……敬語が抜けそうな気配が微塵もないな。


森江支局の食堂は、三つの研究棟に一つずつと支局本体の大食堂で、合わせて四つもあるらしい。

「それぞれの食堂で、中華が美味しかったり、和食が得意だったり、デザートの種類がいっぱいだったり、特色があるんですよー」

俺を食堂まで案内した柊木さんは、なぜかそのまま俺の前の席に座っていた。

「ここは研究B棟なので、スイーツが美味しいんですよね。他の棟からもわざわざお茶しに来る人がいるくらいなんですよー。私もちょっとなんか食べてっちゃおうかなぁ」

そう言いながら、柊木さんはテーブルに置かれたデザートメニューをパラパラとめくっている。

俺の席にはピザトーストにスクランブルエッグとサラダにスープにデザートのついた朝食セットAが届けられていたが、もう半分以上は食べ終わっている。

頼むなら早く頼んだ方がいいんじゃないか?

「うーん、どっちにしようかなぁ……」と呟く柊木さんが、俺にメニューを見せて尋ねる。

「薙乃さんなら、どっちがいいですか?」

俺に聞いてどうする。

示されたのは、バニラアイスの添えられた濃厚フォンダンショコラと、カリッとキャラメリゼされたクレームブリュレの二つだった。

「俺ならこっちかな」

俺はクレームブリュレを指した。

単にケーキ系よりプリンやゼリー系の食感が好きなだけだが、俺の意見を聞いてるんだから俺の好みでいいんだろう。


「じゃあこっちにしますね!」と素直に頷いた柊木さんが、小走りで注文カウンターへ向かう。


……ここはやっぱり、俺は彼女が頼んだものを食べ終わるまでこのテーブルにいるべきなんだろうか。

正直、同年代の子と……しかも女子と二人きりで外で食べるなんてことは、これまで一度もなかったので、マナー的なものがよく分からない。


俺は手に取ったデザートのプリン……黒い陶器に収まるB棟特製プリンとやらに視線を落とす。

右手に握ったスプーンをしばらく迷わせた後、俺は諦めてそれをおろした。

これは多分、柊木さんと一緒に食べ始めるべきなんだろうな。


小さな振動が、トレイの端に置かれたガラスコップの水面に波紋を作る。

俺はボス達の戦う方向を見つめた。

片側がガラス張りになっている三階の食堂から川は見ることができたが、ボス達のいる河川敷までは見えない。

それでも、遠くで巡力が跳ねる気配と、時折届く小さな揺れが、まだあそこで戦いが続いていることを伝えていた。


「薙乃さん、お待たせしましたー」

トレイを持った柊木さんが、にこにこしながらやってくる。

これでようやく、俺もデザートにありつける。

もう一度プリンとフォークを手に取った時、不意にざわりと胸が騒いだ。

なんだ……? 嫌な予感がする……。

途端、食堂にサイレンが鳴り響いた。

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