第9話 図書館
「これって……」と呟いた柊木さんに「さっきと同じだな」と答える。
ガタッと席を立つ人々に食堂スタッフが「食器はそのままで構いません!」「お届けが必要な方は声をかけてください!」と叫んでいる。
「今日二度目だぞ!?」「場所はどこだ!」と口にしながら食堂を出て行く人々。
「わ、私達も早く食べて戻りましょうっ」
そう言って、柊木さんはクレームブリュレに大急ぎで「いただきます」と手を合わせる。
「言えば届けてもらえるみたいだし、行くならすぐ行こう」
俺達があそこに戻っても何ができるわけでもないが、俺もじっとはしていられなかった。
柊木さんと廊下を走りながら耳を澄ます。
さっきと同じなら発生場所を告げる放送があるはずだ。
自宅周辺でなければいいが……。
スマホで時刻を見れば、そろそろ九時半になろうとしていた。
この時間なら叔父さんはもう家にいないかも知れない。
散歩好きな叔父さんのことだ。こんな風に良い天気なら、俺の本を返しに行くついでに散歩でもしようかと早めに家を出て、図書館あたりをぶらついている可能性が高い。
あのあたりには大きな公園があって、この時期なら日曜は朝から親子連れやジョギングの……。
と、そこまで考えたところで放送が入る。
『待機型ゲート発生。場所は森江中央図書館。規模は大型、現在も拡大中。待機中のコンカーは直ちに出撃してください。周辺住民の避難には……』
「……森江中央図書館……?」
思わず車椅子を漕ぐ手が止まる俺に、柊木さんが少し遅れて立ち止まる。
「ご自宅のお近くですか?」
くそっ、こんな事なら自宅周辺にゲートが出る方がマシだったんじゃないか!?
俺は大急ぎでスマホの位置情報確認アプリを起動する。
叔父さんの最終位置情報の取得時間は5分前、場所はマップ上の森江中央図書館と重なっている。
位置情報の再取得を試みるが、それ以降の位置情報は取得できない。
どうして……。
どうして俺の大事な人ばかり……。
柊木さんが俺のスマホを横から覗いて息をのむ。
「ご家族ですか?」
「……ああ、俺の最後の家族だ……」
「最後……?」
「俺にはもう叔父さんしか残ってない。父さんも母さんも、ダンジョンから戻らなかった」
答える自分の声が震えているのが分かった。
「だっ、大丈夫ですよっ、今コンカーさん達が……」
そこまで言って、柊木さんも気づいたらしい。
森江支局では待機中のコンカー達へ出動指示がほんの一時間前に出たはずだ。
森江中央図書館は森江のど真ん中にある。
だが、一番近いこの森江支局には今コンカーが残っていない。
4日前から森江支局のコンカーの半数は現在学校のゲートでダンジョン攻略中だ。
残っていた待機チームは全員、河川敷の出現型ゲートの対応に向かってしまった。
周辺地域に応援要請を出したとして、そこからコンカーが駆けつけるのにどれだけの時間がかかるだろう。
「聡史さん……」
叔父さんが消えた位置を示すスマホを握りしめる。
俺に、もっと巡力があれば。
すぐにでも、俺が叔父さんを助けに行くのに……。
「行きましょう薙乃さん!」
力強い声に顔を上げれば、柊木さんが真っ直ぐ俺を見つめていた。
「行くって……」
「図書館ですよ! まだゲートはできたばっかりなんですから、薙乃さんの叔父さんを探している時間はたっぷりあるはずです!」
「ゲートの中にはモンスターがいるんだぞ!?」
「う、それは、見つからないようにそーっと入って、すぐ出れば……」
「そんな無茶な……」
彼女の言っていることは無謀だって、分かってる。
分かってるけど……。
今まで、俺が帰りを待っていた人が、ダンジョンから戻ってくる事はなかった。
……これ以上、じっと帰りを待つだけなんて、できそうにない。
「私も一緒に行きますから!」
「え……? 柊木さんも……?」
俺のために、巡力を使ってくれるという事なのか……?
でも柊木さんは、あんな怖い目に遭ったばかりじゃないか。
やっと元気になったとこなんだろ……?
そんな子を、俺の都合で危険に晒すなんて事……。
「はいっ。私も薙乃さんの叔父さんを助けたいです!」
柊木さんが両拳を胸の前で握り締めて言った。
その手は小さく震えている。
彼女は危険を分かってないわけじゃない。
それでも行こうと言ってくれてるんだ。
「……っ、ありがとう。一緒に行こう」
俺はハンドリムを握って、強く漕ぎ出す。
「はいっ」
柊木さんも、力強く答えて駆け出した。
ああ……そうだ。
彼女はあの時も、エレベーターから、俺を守るために一人で飛び出す勇気を持っていた。
***
たどり着いた場所に、図書館は無かった。
「ま、まさか図書館は、丸ごと……?」
柊木さんの言葉の続きを俺が言う。
「飲み込まれたみたいだな……」
「あんな大きな建物全部ですか!?」
『ゲートが急速拡大しています。一刻も早く避難してください。繰り返します、図書館周辺に発生したゲートが急速拡大しています。一刻も早く避難してください』
向こうからアナウンスを繰り返しながら低速走行してくるのは、森江支局の避難誘導車だった。
俺たちは思わず近くの住宅の塀の内側に隠れる。
「……つ、つい隠れちゃいましたね」
「だな」
実際、俺たちを知ってる人に見つかれば、止められるのは間違いなかった。
「なんか悪いことしてる気分です……」
それはまあ、俺たちを保護したいと思う大人達からみれば、十分な悪事だろう。
車が通過したのを見計らって、俺たちはさらに図書館のあった方へと進む。
「……そろそろゲートの端が見える頃だな」
手元のスマホで災害用マップを確認する。
そこにはゲートの発生状況や、拡大予想図が描かれていた。
俺にはもう、俺の安否を心配するような人は残ってないが、柊木さんはそうじゃない。
やはり彼女を俺の事情に巻き込むのは間違いじゃないだろうか。
「あ、薙乃さんっ。ゲートがありましたよぉ、おおぉぉおおおおお!?」
迷う俺の気も知らずに、柊木さんは見つけたゲートの端にあっけなく飲み込まれた。
いや、急速拡大してるって言ってただろ!?
不用意に覗きに行くなよ!
「仕方ない。俺も行くか」
俺は姿勢保持用のベルトに触れて確認すると、大きく息を吸って、ハンドリムを漕いだ。
ふわりとした重さのある何かの中を通るような感覚。
水の中よりは軽く。けれど空気中よりは重い。
体が浮きそうな感覚に、ベルトをしてなければ車椅子から離れてしまう可能性があったなと思う。
これと離れ離れになってしまえば、俺は身動きできなくなる。
俺はハンドリムをしっかり握って、視線で柊木さんを探した。
ゲートと同じ色の空間を抜けると、車椅子はことん。と思ったよりも軽い衝撃で地面に着地した。
ぷはっと息を吐く。ゲート通過中は呼吸できないと親から聞いていたので俺は息を止めていたんだが、柊木さんは大丈夫だろうか。
そこは想像していたような薄暗いダンジョンではなく、空こそないものの明るく広い草原のような場所だった。
草は、見慣れた芝草のように見えるが外の世界とは違うものなんだろうか。
目の前には飲み込まれたであろう住宅のほとんどがそのまま存在していたが、いくつか着地に失敗したのか積み重なって破損している家もあった。
「あっ、薙乃さんっ!」
「柊木さん、無事でよかった」
「ゲートの中ってこんな風になってるんですね……」
きょろきょろする柊木さんの隣で俺はスマホを見る、やはり圏外か……。
「今回はたまたま明るいとこみたいだね。もっと真っ暗な場所に出る事もあるよ」
答えながら、俺は車椅子を漕ぐ。
「ひとまず図書館を目指してみよう」
「はいっ」
ここからでも住宅の山の向こうに大きな図書館の屋根が見える。
確かあの図書館の入り口には緊急時の一時避難所の印が揚げられていたはずだ。
叔父さんもまだあそこにいるかもしれない。
***
図書館に近づくにつれて人が増えてきた。
こんなにたくさんの人が飲み込まれてしまっているのか……。
よほど発生時のゲートが大きかったのか、それとも拡大速度が予想以上に速かったのか。
中にいる人が多い分、俺達がうろついても怪しまれることはなさそうだ。
家が丸ごと無事なところも多いし、外に出てきている人の数だけではダンジョン内の人数は予測できない。まだ室内に残っている人も相当いるだろうしな……。
「すごい数の人ですね……」
隣を走る柊木さんがそう呟く。
「過去最大規模のゲートだろうね」
今頃ニュースでも、そう伝えられているだろう。
問題はモンスターがどこから、どのくらいの数現れるか、だろうな。
もちろんモンスターの強さもあるが、こう大きなゲートだと、モンスターも相当数出てくるんじゃないかと思えてしまう。
「柊木さん、巡力の残りはどう?」
「えーと……四分の三くらい残ってます」
「そうか」
「す、少ないですよね、ごめんなさい」
「いや、そんな事はないよ。把握しておきたかっただけだから」
俺はダンジョンの出入口であるゲートを見上げる。
ゲートは俺達の遥か頭上にあった。
あんな高いとこから出てきたのに、俺達や建物にダメージがないのはダンジョンの不思議なところだな……。これも、モンスターが生きたまま人の巡力を奪いたいゆえの仕組みなんだろうか。
出現型は地面付近にゲートがあることが多いので、出入り自体は簡単だが、待機型はこれが厄介なんだよな……。
待機型のゲートでは、救助の際もダンジョン攻略の際にも必ず操作系のコンカーが参加するのは、この、まず人の手が届かないような場所にあるゲートのせいだ。
柊木さんの巡力をできる限り残しつつ、あのゲートを通過できるような装備……というか車椅子ロボットを作るには……。
必死で考えるうちに図書館が見えてくる。
図書館の前にはたくさんの人が集まっていた。
叔父さんは……、叔父さんはいないか……?
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