第6話 違う景色
ピンポーン、と玄関チャイムが鳴った。
日曜の朝、俺はまだ布団の中にいた。
叔父さんの荷物でも届いたのか……?
スマホを見れば、まだ時刻は七時を過ぎたところだ。
こんな時間に荷物は来ないだろう。
ん? メッセージが来てるな。
ピンポンピンポンピンポーン。と続けて鳴らされるチャイム。
少し遅れて、叔父さんが「なんだろうなぁ」と呟きながら、パタパタと玄関へ向かう足音がした。
いやほんとに、何だ……?
それに、鳴っているのはマンションの共有玄関ではなく、うちの部屋のチャイムじゃないか?
俺は慌てて跳ね起きる。
「聡史さんっ、玄関すぐに開けるなよ! 怪しい奴は無視しとけよ!」
ひとまず叫ぶが、それでも人の良い叔父のことだ、玄関口でごねられたら開けてしまうかも知れない。
早く駆けつけねば。と焦るものの、俺の移動手段は今、小学生の頃に使っていた古い車椅子しかない。
いつもの車椅子は、まだエレベーターと合体したまま協会に回収されていた。
ベッドの端まで両腕で体を引きずって、車椅子への移乗を急ぐ間に、廊下から話し声と無遠慮な足音が近づいた。
「怪しい奴で悪かったな」
ノックもなしに部屋の扉を開けたのは、森江支局のボスだった。
「ボス!? じゃなくて、竜雲さんっ」
しまった、間違えた。
背の高い彼は、軽く頭を下げるようにして俺の部屋に入ってくる。
……なんでこの人、靴を手に持ってるんだ。
「ボスでいーぜ。お前、触ると痛むとこはどこだ」
藪から棒の問いに俺は一瞬躊躇うが、こないだの件を思えば隠しても仕方がないだろう。素直に数箇所を指し示した。
「けっこーあんな。お前、それ……」
最後の呟きを飲み込むようにして、ボスはくるりと後ろの叔父さんに向き直る。
パジャマにメガネをかけただけの寝起きの叔父さんは、片手にボスの名刺を握ったまま、慌てて髪を撫でつけた。
うん、まあ、寝癖は仕方ないよ。
この人が常識はずれな時間に押しかけて来たんだから。
「神山さん、今日一日薙乃君をお借りしてもよろしいでしょうか。食事はこちらでご用意します」
ボスは驚くほど紳士的に尋ねた。
「えっ、あっ。はい。……いやその、啓くんが良ければですけど……」
叔父さんは、反射的に答えてから、慌てて俺の都合を尋ねる。
俺はまあ、図書館に本を返しに行く予定はあったが、予約の入りそうな本でもないしスマホから延長できるだろう。空いているといえば空いている。
母の弟である叔父さんはまだ若く、俺と11歳しか違わない。
母さんにとっては中学の頃に生まれた年の離れた弟で、散々可愛がって育てたらしく、世間知らずでぼんやりした人だ。少しずれ落ちたメガネとパジャマが実に似合う、温和なお兄さんといった風貌だ。
俺にとって唯一の肉親だが、俺は、この人に迷惑ばかりかけている。
あの日も、施設に預けられていた俺が学校から飛び降りたと聞いた叔父さんは『施設に入れずに自分が引き取っていれば……』と大後悔したらしく、それから俺は叔父さんと二人でこの家に住んでいた。
まだ当時18 歳で親を無くしたばかりの叔父さんが、7歳の俺を施設に預けたのは、その方が俺にとっても良いだろうからって判断で、叔父さんが気に病むような事じゃなかったはずなのにな。
それを悔やませてしまってるのは、俺のこの姿だった。
そんなわけで、俺は叔父さんにはどうにも頭が上がらない。
俺は叔父さんに頷いて答えた。
「ちょっと行ってくるよ。遅くなりそうなら連絡する。
朝から騒がしてごめんな。心配いらないから、聡史さんはゆっくり二度寝しててくれたらいいよ」
「そうか、気をつけてね。……じゃあ僕は本を返しに行っておくよ。啓くんのも一緒に返しておこうか?」
そういやこないだは珍しく、叔父さんも本を借りていたっけな。
借りたい本もあるし、結局自分で行くことにはなりそうだが、ここは好意をありがたく受け取っておこう。
「お願いします。聡史さんも気をつけて」
その間に、ボスは何故か俺の部屋からベランダへ続く窓を開けて、持っていた靴を置いている。
ああ、なんか嫌な予感しかしないな。
俺はベッド脇のショルダーバッグに素早くスマホを詰め込むと、しっかりチャックを閉めて肩から下げた。
「準備はそれだけでいいのか?」
尋ねるボスに、俺はちょっとだけ考えてから頷く。
移動や着替えに時間のかかる俺が、もたもた顔を洗ったり歯を磨いたりしてたら、ボスにはここで一時間以上待ってもらう事になるだろうしな。
「んじゃ、ちょっくら移動すんぞ。薙乃、舌噛むなよ」
ボスは、言うが早いか俺をヒョイと抱えてベランダから跳び立った。
息ができない。
顔に当たる風は、もはや痛いレベルだ。
トン。と軽い足音とともに風圧が消える。
ここは……うちのマンションの屋上か?
「ほい、メットかぶっとけ」
ボスが、マンションの屋上に置いていたらしいヘルメットを拾い上げると、俺の頭にむぎゅっと被せた。
フルフェイスだ。これなら風圧もしのげそうだとホッとする。
「大丈夫だな?」
ボスが心配そうに俺の顔をじっと覗き込む。
「はい」と答えた瞬間、またボスが跳躍した。
ああ、今度は目が開けられるし息もできる。
眼下にはいつも暮らしている町。
それが、こんな一瞬で近づいて、また離れていく。
日曜の朝の町はいつもより静かで、思ったよりも犬の散歩をしてる人が多い。
家々の屋根は朝日にキラキラと輝いていて、まるで海のようにも見えた。
やっぱりコンカーっていうのは、俺達とは見える世界が違うんだな……。
いなくなってしまった両親も、祖父も、俺とは違う景色を見ていたんだろうか。
俺や叔父さんには見えない、景色を……。
「そういや薙乃は高いとこ平気だったか?」
ボスの言葉は、こんな風の中でもハッキリ聞こえる。
「それ、今聞くの遅すぎるんじゃないですか?」
「ははっ、それもそーだな!」
そんな風に毒気なく笑われてしまうと、こちらも苦笑せざるを得ない。
俺は、飛び降りをした奴にしては珍しく、高所恐怖症ではない。
というよりも、半ば強引に克服した。
あれから、高い場所で足がすくむ事は度々あったが、そんなことを言えばマンションの七階に住む叔父さんが引っ越しを決意してしまいそうで、ひたすら平気なフリをしているうちに平気になってきた。
あの部屋は叔父さんの両親が住んでいた部屋で、叔父さんには思い出も愛着もある。
俺だって、小さい頃よく預けられていた婆ちゃんの家を手放されたくはなかった。
「あれが目的地だ」
ボスの指差す方を見れば、川沿いの広い敷地に何棟もの建物が並んでいる。
見ている間に、ぐんぐんとその建物の中の1つが近付いてきた。
ボスが「おーし、着いたぞ」と言って、トンと着地する。
これだけの速度で跳んできて、どうしてこんなにも軽く着地できるんだろうか。
「ここが森江支局ですか……?」
俺は、ボスの片腕に抱えられたまま、建物を見上げた。
10階以上はありそうな大きなビルだ。
ボスはその入り口に向かっている。
「森江支局の、3つある研究棟のうちの1つだな」
こんなのがまだ2つもあるのか……。
"支局"なんて言うけれど、俺が思うよりもずっと、それぞれの規模は大きいようだ。
「柊木さんは元気ですか?」
あの後、夜に柊木さんの意識が戻ったという連絡だけはもらっていたが、それからは連絡がなかった。
「ん? 柊木が元気になったから、俺がお前を朝から迎えに行くって連絡したろ?」
ボスに言われて、今朝スマホで一瞬目にしたメッセージ通知の内容を知った。
「それ、何時に送ったんですか」
「んー……、2時過ぎだったかなぁ」
それで7時に迎えに来るとか、この人たちは一体いつ休んでいるんだろうか。
文句を言おうとした俺だったが、それよりボス達の勤務時間の方が心配になってきた……。
ボスは俺を片手で抱えたまま、二重ドアの入り口を抜け、指紋認証らしきゲートをくぐり、巡力認証の厳重なロックを通ると、薄暗い通路に差し掛かった。
「ずいぶん広いんですね……」
「まあ、地下だとここが一番広いな」
地下……?
途中エレベーターや階段のようなものはなかったが、いつの間に地下に移動したんだろうか。
俺はここまでの経路を思い浮かべる。
「ああ、あの巡力ロックのとこですか」
そういえば、あのゲートを通った時、一瞬重力を感じた気がする。
「よく分かったな」と片眉を上げたボスが、何かを考えるように口元に拳を当てた。
「……薙乃は巡力いくつだ?」
「俺は100ですよ」
「ふぅん。100な……」
……なんかボスがやたら訝しげに俺を見てるんだが?
まあ、小学校の入学時に測って以来ずっと測っていないので、今はもっと減ってるかも知れないが。
巡力はIQと似たような表記で、平均値が100とされている。
110もあれば多いほうだし、120以上の人はモンスターに狙われやすくなる。
そして130を超えると、協会から連絡が入る。
一般的には歳を重ねるごとに減るものなので、ほとんどの人が小学校の入学時に一度測ればそれで終わりだ。
俺が今の実力より高い数値を口にしてたとしても、そんなの一般人なら皆そうだろう。
プシュッと空気の音がして、通路の端の扉が開く。
そこは体育館ほどの広い室内を全周をぐるりと金属で覆われた、不思議な部屋だった。
部屋の中央には、車椅子エレベーターロボと、たくさんの機械……計測器のようなものが多そうだ。その周りに20人ほどの人が集まっている。
背後でシュウウウと音を立てながら扉が閉まる。
なんだ……? この部屋は気圧が管理されている……?
「なあ、お前もう一度……」
ボスが何か言い始めたところに、元気な声が重なった。
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