第5話 ボス
ギ、ギ、ギギギギギィ……。
俺と柊木さんを乗せたロボは金属の軋む音を立てながら倒れてゆく。
傾きが45度を超え、バキバキに荒れた5階の床が迫る。
いよいよダメかも知れないな。と、頭の隅で死を覚悟したその時、動きが止まった。
「おいおい、大丈夫か」
聞き慣れない男性の声。
声の主を探そうとした俺の視界がグルンと回る。
ドスン。と地響きを立ててロボが地面に降ろされた。
「危ないとこだったな」
そう言ってニッと笑ったのは、筋骨隆々の大男……ではなく、スーツにサングラスに金髪の細身の男だった。
こんなホストみたいな人が、日中の学校の、さらには瓦礫の真ん中にいることになんだか違和感を感じる。
「坊主、どこも怪我はねぇか?」
「は、はい……」
俺は、返事とともに、止めていたらしい息を吐いた。
「俺が行くまで手ぇ出すなっつったろ?」
金髪の男にジロリと睨まれて、斎賀さんが肩をすくめる。
斎賀さんも女性にしては背の高い……175センチくらいはありそうな人だけど、この男はそれよりさらに3センチほど背が高い。
「や、その……すまん」
「柊木は意識あったんじゃねぇのかよ」
「あー……」
目を泳がせる斎賀さんの代わりに、俺が答える。
「さっきまではありました」
「斎賀ぁぁぁぁ!」
金髪の男に怒鳴られて、斎賀さんは小さくなってしまう。
そこへ、どすどすどすと足音を響かせながら小柄でふくよかな白衣の男が駆け寄ってきた。
「ほいほいほーい、遅くなってごめんねぇ。ここまで階段しかなくってさぁ。あー、これはもう結構時間経っちゃってるなー」
白衣の男はふぅふぅ息をしながら、両手と背中に抱えた大荷物を次々にその場に広げる。
「斎賀、手伝ってやれ」
金髪の男に言われて、斎賀さんは慌てて荷解きを手伝い始める。
金髪の男は白衣の男に「すぐ外せそうか?」と尋ねた。
「早いほうがいいの?」
「なるべくな」
「じゃあ……」と白衣の男が顔を上げて俺を見る。
「君。痛いのと熱いのだったらどっちがいい?」
どういうことだよ。
「もう少し詳しくお願いします」
俺の言葉に口を開きかけた白衣の男を、金髪の男が手で制した。
「俺が説明する、お前は準備しとけ」
「ほいほーい」
「挨拶が遅れたな、俺は竜雲(りゅううん)、コンカー協会森江支局のボスだ」
ボス……?
「支局長ってことだよ」と斎賀さんが補足してくれる。
「今回はうちの柊木が世話んなったな。礼を言う」
金色の頭がまっすぐ下げられて、俺はちょっと面食らう。
「あ、いいえ……」
ガバッと頭を上げたボスは、一気に話を進める。
「でだ、お前にも柊木にも色々と確認したいことがあるんだが、お前は一般人のようだし健康チェックが先になるな。で、早急に捕捉状態を解除する必要がある。手っ取り早いのは、砕くか溶かすかのどっちかだ」
「はあ……」
「砕くなら斎賀が叩っ切る」
それってまさか、俺と柊木さんごと……ってことか!?
思わず斎賀さんを見ると、斎賀さんはさっきの細い剣を一瞬で取り出して振って見せた。
「溶かすなら、箕輪が……、あ、こいつな。バーナーで炙る」
紹介されて、白衣の男が額にあったゴーグルを装着する。
白衣の男は屋台で見る射的銃よりも大きなバーナーを構えて、ゴウっと火を出すと「炙るよー」と笑顔で言う。
「どちらにするかはお前が選んでいい」
ボスは俺をじっと見つめて言った。
なるほどそれで、痛いのと熱いの。か。
どちらも遠慮したいところではあるが……。
「早急に解除しないといけない理由はなんですか?」
俺が尋ねると、ボスはサングラスをずらして柊木さんの顔色を見た。
「柊木が巡力を使いすぎてる。斎賀が止めたのもそのためだろう。すぐ診たほうがいい」
そうだったのか……。
「じゃあ早い方でいいです」
俺は即答する。
ボスは「へぇ」と呟いて、すぐ斎賀さんに指示を出した。
まずは斎賀さんがなるべく大きく外側を削いで、そのあとはバーナーで溶かすらしい。
これが一番早いとのことだが「痛いのと熱いのフルコースかぁ」と箕輪さんは苦笑していた。
剣が捕捉液を削る度、確かに鈍い衝撃は感じるが、痛いと言うほどではない。
そうこうするうち『医療班』と書かれた腕章をつけた女性2人に男性1人の3人がやってきた。
3人はこれまでずっと下の生徒達の治療にあたっていたのか、随分と疲弊した様子だ。
「おう、ご苦労。今のうち休んでな」
ボスは3人にそれぞれ労いの言葉をかけて、少し会話をしてから、ふっと消えた。
「!?」
確かに見ていたはずの人を、こんなに急に見失うことがあるか?
「あー、僕は炭酸がいいでーす。甘いやつ」
斎賀さんが剣を振りながら言う。
「ボクはお茶かなー。君は何がいい?」
箕輪さんは俺を振り返って尋ねた。
……なんだ急に? 飲み物……?
「まぁだ俺が行くとは言ってねぇだろ?」
不意にすぐ隣でボスの声がした。
ボスの手には空のエコバッグが2つ下げられている。
「僕はまだ手が離せませーん」
「ボクもでーす」
「ったく、トロトロやってんじゃねぇよ。お前はなんか飲むか? つかまだ名前聞いてなかったな」
そういえば、名乗ってなかったか。言われてみれば喉もカラカラだ。
支局長になら飲み物の1本くらいおごってもらってもバチは当たらないだろう。
「薙乃 啓(けい)です。麦茶かお茶でお願いします」
自分の胸元を見れば、名札には柊木さんの三つ編みが片方引っかかっていた。
なるほど、これでは名前が見えないのも納得……って、これ、いつから引っかかってたんだ? 柊木さんは痛くなかったんだろうか……。
「薙乃……?」
ボスは俺の名を口にして一瞬固まった。
うちの両親はどちらもコンカーだった。この名を知っている人がいたとしてもおかしくはないだろう。
「……ああ、お茶な。行ってくる」
両親の事を話そうかと口を開きかけた時には、ボスの姿はなかった。
「!?」
おどろいた顔の俺に、斎賀さんがドヤ顔で言う。剣は止めないまま。
「ふっふーん。うちのボスはっやいだろー? ほんとパシリにピッタリなんだよなー」
箕輪さんが、バーナーの火力を調節しながらため息混じりに言う。
「……斎ちゃん。それ多分聞こえてるよ?」
「え……。い、……今のって、ほら、ほめ言葉だよね?」
「それはちょーっと、無理があるかなぁ」
箕輪さんは苦笑しながら答えると「こっちも始めるよ、痛かったり熱かったらすぐ言ってね」と告げて斎賀さんが薄くした部分を炙り始める。
斎賀さんは「早いってのはほめ言葉で間違いないんだけどなー」とぶつぶつ言いながら、俺の顔をチラと見た。
「君……えーと、薙乃くんの見解はどうだろうか?」
俺に振るのか。
「難しいですね」
答えた俺は、次の一刀でグッと息を詰めた。
「斎ちゃん、丁寧にね」
「ええー、やってるよぉ」
加わる衝撃自体が増えたわけではない。
ただそこが、自分の古傷に近いというだけだ。
剣が近くを通るたび、じわり、と脂汗がにじむ。
いつの日か、この傷が痛まなくなる日は来るんだろうか。
もう五年……。だが、まだ五年……か。
俺は、バカな自分のバカげた傷を一生背負わなきゃいけない。
せめて誰かに突き落とされたなら、そいつを恨めたんだけどな。
これは俺が……自分でつけた傷だから……。
うつむいたまま、息を殺して耐える。
斎賀さんと箕輪さんが手を止めずにいてくれるのはありがたかった。
柊木さんを早く助けるためなら、多少の痛みは覚悟の上だ。
「何してんだ、痛むのか?」
不意にかけられた声は、ボスの声だった。
「おい、東条! 麻痺かけてやってくれ!」
ボスに言われて、向こうからまだ若そうな男性が駆けてくる。
「や……、これは、俺の、元々の……傷……っ」
痛みの合間に説明しようとする俺に、ボスは言った。
「元からだろうと何だろうと、痛けりゃ痛いって言え。我慢しろとは言ってねぇだろ」
東条と呼ばれた男性は、俺に駆け寄るとすぐさま両手をかざした。
「……っ」
じわり、と身体から力が抜けて、感覚が鈍くなってゆく。
「あー、やっぱ痛かったのかー」
「斎ちゃん気付いてたなら教えてよ」
「痛いのかなーとは思ってたけど、まあ、我慢できるならいいかなって」
「鬼だ……」
「だって柊木さん早く出したいしさぁ」
それきり箕輪さんが黙ってしまったのは、きっと同じ気持ちなんだろう。
俺は、ゆるやかに遠のいてゆく痛みに、詰めていた息を吐いた。
その拍子に、俺のあごの先から、汗がぽたりと柊木さんの髪に落ちてしまった。
「あ……」
拭こうにも、まだ俺の両手は動かせない。
「ははっ、そんくらいのこと気にすんな。お前が体張って柊木を守ってやったんだろ?」
ボスは笑って言うと「お前らの分はここ置いとくからな」と、四本のボトルを置いて行った。
俺が……守った……?
柊木さんを……?
俺の膝の上では、柊木さんが静かに息をしていた。
そうか。俺が……、この、俺が。
こんな俺でも、彼女を守ることができたのか。
熱くなる目頭をどうすることもできずに、俺はオレンジ色の空を見上げた。
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