悪性の宿る場所

 ユズリハは目を開くと、勢いよく体を起こした。


「……ここは……」


 自分の状況を確かめるように、周囲をゆっくりと見渡す。

 窓から差し込む西日。使い込まれた家具の匂い。怪異とは切り離された穏やかな日常。それから、ほんのわずかに体が沈むような感覚。

 いつの間にかユズリハは、カノンたちの事務所に戻ってきていた。


 どうやってここまで来たんだろう。まだ頭がぼんやりとしている。

 何があったのか思い出そうとした途端、チクッと胸の奥に痛みが走った。


「ぅ、う……!」


 針を突き立てられたような痛みは瞬く間に激しさを増して、身体に無数の穴を空けられたと勘違いするほどの鋭さに、吐息が苦しげなうめき声となって溢れた。


「あら、まだ寝てなきゃダメよ」


 声の先に顔を向けるとリビングの出入り口に、いつの間にかツユリが立っていた。

 眉をハの字に曲げた彼女は、少し大きめのマグカップを差し出して、心配そうにユズリハを見つめる。


「っ……はい。すいません、ご心配をおかけして」


 できるだけ平然を取り繕いながら、マグカップを両手で受け取る。じんわりと掌に伝わる熱が、荒れた心の波を落ち着かせてくれた。

 その温もりは胸の奥に突き刺さったままの針すら溶かしてくれたようで、あれだけ激しかった痛みがゆっくりと治まっていくのを感じた。

 そのかわりに、さらに冷たいあの男の言葉が鮮明に蘇ってしまった。


 ――罪人。

 路地裏で出会った男は、自分をそう呼んだ。未だに意味は理解できない。

 それからもう一つ……右手の甲に視線を落とす。

 あざのような模様は今もしっかりとメイクで隠れていて、まじまじと見たって人の肌と遜色ない色合いだ。


 けれど男はあっさりと見抜いた。しかもそれを見て、罪の証だと断じた。

 きっと彼らは、自分の知らないことを知っている。この手の模様の意味も、異常な事態の終わらせ方も、おそらく理解しているのだろう。

 多分それはカノンも同じだ。


(……私だけが、何も知らない)


 なぜだか疎外感を感じている自分が、そこにはいた。


「あら、せっかく入れたのに飲んでくれないの?」


 右手をぼうっと眺めていると、ツユリが左隣から声をかけた。

 彼女はユズリハの気づかない間にソファに腰掛けており、組んだ足の上で頬杖をつくようにしてこちらに笑みを向けている。

 ふわりと漂う甘い香り、それから少し潤んだ瞳。やたらと近い距離感に、ユズリハの鼓動が高鳴った。


「い、今から飲みますよっ。いただきますからっ」


 慌てて視線をカップのそこに落とすと、やけに上擦ってしまった声色を隠すように、慌ててカップを口に運ぶ。


「……あ、おいしい」


「そう。それならよかったわ」


 思わず漏れた言葉を聞いてツユリはやんわりと目を細めた。


「ほんと、心配したのよ? 戻ってきたとき顔が真っ青だったもの」


「う、本当にご迷惑を……」


「あーいいのいいの。気にしないで。そういう意味で言ったんじゃないから。むしろあの人たちに睨まれたならそれが自然な反応よ」


 ツユリはまあまあ、と両掌をこちらに向けて制止するような素振りを見せる。


 「あれは人の汚点を認められない人たちの集まりだもの。気にすることはないわ」


 今度は面倒そうにため息をつくと、大げさに肩をすくめてみせた。


 「……ツユリさんは、あの人たちのことを知ってるんですか?」


 「ええ、もちろん」


 さらりと言ってのけてから、


「商売仇みたいなものだから。お察しのとおり、犬猿の仲……いえ、向こうからすれば小石程度でしょうけど、それすら見逃してくれないのよね、彼らは」


 自嘲気味に口角を上げると、ツユリはさらに軽い口調で「あまり関わりたくないわ」と付け足した。


 「……聞きたいことが、あります」


 「ええどうぞ。何でも聞いてちょうだい?」


 「あの人たちは、カノンさんのことを大罪人って呼んでました。それってどういう――」


 途端、二階からギシ……と階段の軋む音が響いた。

 二人の話を遮るように、その音はどんどん大きくなっていく。やがて音と入れ替わるように、カノンがヌッとリビングに姿を現した。


 「二人きりで内緒話かい? 僕にも聞かせてくださいな」


 芝居がかった態度を見せるカノンの目線が一瞬だけ鋭くツユリを射抜いたのを、ユズリハは見逃さなかった。


 「女同士でしかできない話もあるのよ。あなたこそ、二人だけの秘密に水を差すのは野暮ってものよ」


 ツユリはカノンの視線を軽くいなし、小さく息をついた。


 「そりゃ悪かったね」


 薄っぺらい謝罪を済ませると、カノンはパン、と大きく両手を打ち鳴らし、


「さて、気を取り直して、お仕事の話に戻ろっか」


 と、容易く場の空気を切り替える。

 ――大罪人。

 低く蔑むような声が未だ耳の奥に、べったりと貼りついていた。



「素晴らしい解決策っていうのはね、ユズリハちゃん。端的に言えば、きみの願いの根源を解き明かすことなんだよ」


 「……はあ」


 ダイニングテーブル越しに向かい合っているカノンに、気の抜けた返事を返してしまう。

 彼の隣に腰掛けるツユリは、あまりにも足りていない彼の説明に、困ったように笑みを浮かべていた。


 「……すいません。今の説明だと端的過ぎて、全然理解できてない気がします」


 「そうだね、ごめんごめん。ちょっと端折りすぎた」


 最初からそうしてくれればいいのに、と思う。


 「怪異は、願いの根源――親とでも言おうか。親から託された願いを叶えるだけの生命だ。たとえば、好きな人に自分を好きになってほしいみたいな願いだって実直に叶えようとするような」


「なんだか神様みたいですね」


 頭に浮かんだのは、神社に参拝する姿。

 鈴を鳴らして手を叩いてお祈りをする。

 叶うかもわからない願いを、神様に託すのだ。


「そんなにいいもんじゃないよ。そもそも神様って願い叶えてくれないし」


「……そうですか? 私、叶えてもらったことありますけど……」


 高校受験に際して、学業成就のお参りに行ったことがある。

 お賽銭も入れてお守りも買って、引いたおみくじの結果はそれほどでもなかったが、志望校に合格できたのはそのときのお守りを肌身離さず身に着けていたからだと今でも思っているくらいだ。

 しかしカノンは手をひらひらとさせると、 


「そういうのは大抵思い込みだよ」


 とばっさり切り捨てる。しかし、


「あら、私も神様実在主義なのよ?」


 横からツユリが割って入るように声をかけた。


「絶対にいるわ。神様。いてくれなきゃつまらないもの」


「じゃあツユリは願いを叶えてもらったことがあるのかよ」


「ないわよ。当たり前じゃない」


 平然と答えるツユリに、カノンは少しムッとした表情を浮かべる。


「成就しなかった願いは怪異に喰われるんだから。神様は遠くから人類その他を見守ってくださっているだけ。あなたも知ってるでしょう?」


「いいや、神様なんていないね。いるならそもそも怪異なんて生まれないんだからさ」


 心なしか、二人の間でバチバチと火花が散っているような気がして、ユズリハはまあまあ、と二人をなだめる。

 カノンの言葉に、ずいぶんと淡泊な感想だ、なんて思いつつ、怪異という存在を知った今では、なんとなく彼の理屈にも納得できてしまう。

 本当に神様がいるのなら、怪異なんて生まれていない――その言葉に、少しだけ重みを感じた。


「願いを叶えてくれるっていうと聞こえはいいかもしれないけれど、怪異はそこまで便利な存在でもない。なんたって彼らはすらも受け取ってしまうからね」


 封じ込んだ感情?

 彼の説明が理解できず首を傾げるユズリハに、カノンが問いかける。


「さっきの願い――気になってる人を振り向かせたいってやつ。きみが願いを叶える立場だとして、そのお願いを叶えるためにきみはどんなことをする?」


「そうですね……たとえば、強制的に好きになってもらえるようなビームを撃つ、とか」


 至極まじめな声音での答えに、ツユリが思わず朗らかに吹き出した。


「恋のキューピットが放つ弓矢のように?」


 ツユリの様子を全く気にしていないカノンの態度に少し驚きつつ、ユズリハが短く頷く。


「他にも二人の距離が縮まるように誘導したり……たまたま隣の席になったり……そういう偶然を怪異が作ってるのかも」


 過去の恋愛経験から掘り返した答えをカノンにぶつける。

 もっとも、掘り返すほど深い経験をした覚えはなかった。

「いいね。悪くない答えだ」


 感心したようにそう言いつつも、しかし彼は首を横に振った。


「でもまだ足りない。まだ残ってるはずだ。別の視点から導き出せる答えがさ」


 と言われても、ユズリハはすでに思いつく限りの答えを提示していた。

 これ以上考えたところで、解答用紙の空欄が埋まることはないだろう。

 すぐに否定するのではなく、少しだけ間を空けてからユズリハは口を開いた。


「そう、ですかね。ちょっと考えてみましたけど、やっぱりこの二つくらいしか思い浮かばないです、私」


「うーん、そっか。」

 少しトーンダウンした声色でカノンが呟く。


「でも仕方ない。悪意に鈍感な人も少なくないだろうし、ね」


 そう言いながらカノンは同意を求めるようにツユリに視線を飛ばした。


「まあ、そうねぇ……」


 表面上では肯定しつつも、ツユリの言い方にはわずかに含みがあった。

 まるで、ユズリハはではないとでも言いたげに。


「……結局もう一つの答えって、なんなんですか?」

 ツユリの目線に違和感を覚えたユズリハは、すぐに元の話題へと話を切り替える。

 カノンもツユリの視線に気がついているようだったが、あえて彼はそのことに触れず、ユズリハの質問の方に意識を向けた。


「そりゃあもちろん、、思い人は自分だけのものだろう?」


「――は?」


 さらっと、いつもの態度のまま、彼はそんなことを言ってのけた。

 耳がそれをすんなりと受け入れてくれない。

 いや、受け入れたくないのだ。


「それは、つまり……」


 その先は聞きたくないはずだった。

 明確な答えを口にされると、いよいよ理解しなければならなくなる。

 聞き間違いでした、では流せなくなってしまう。

 それでも、しっかりと言葉にしてほしいと感じる自分もいるのだ。

 わからないことをわからないままにしておきたくないというエゴが、ユズリハの好奇心が、拒絶反応を上回ってしまった。


「なんとなくわかってるとは思うけど……邪魔な人間が全員死ねば独り占めできるじゃないか。もう一つの答えはつまりそういうことだよ」


 彼はまたも平然と言った。まるでおはようの挨拶をするかのように。


「そんなの、そんなの、誰も願ってないはずです……!」


 咄嗟にユズリハが反論する。


「人間の感情ってそんなに綺麗なものじゃないよ。好きな相手の周りには別の異性がいたかもしれない。当人はそんな連中さえいなくなれば、と思ってしまうのもごく自然な気持ちだと思うけどねえ」


 確かに、人は二面性を持つ生き物だ。

 生き物の命は平等だと謳いながら虫を殺す。

 あっちのグループでは仲のいい子が、別のグループでは悪口を言っている。

 そういった裏表を持っているのは、ユズリハも理解していた。

 ……だが、納得できない。


「……やっぱり怪異って、危ない存在なんですね」

 口をついて出た言葉に、カノンが眉をピクリと動かした。


「願いを叶えるためとかなんとか言って、結局暴力を使うかもしれないなんて、危険すぎます」


 そうだ、自分だって襲われた。

 怪異とは危険な存在だ。

 下手をすれば誰かの命を奪いかねない。

 そんな危ないものはこの世に存在してはいけない。いけない、はずだ。


「だいたい勝手ですよね。表に出してない気持ちを読み取って実行しようなんて。無茶苦茶ですよ」


 やれやれ、と肩をすくめながら、さらに毒を吐く。


「ていうか、やっぱりそんな危ないやり方を人が望むはずありませんって。怪異が曲解しただけですよ、きっと」


 なぜだかやけに舌が回る。思ってもいないことまで、息を吐くようにペラペラと口から溢れる。


 ツユリから笑みは消えて、ただ隣の彼を気にしている様子だった。

 カノンは相変わらず表情が変わらない。そのはずなのに、なぜだか酷く冷たい圧を感じる。


「えっと、その……」


 彼から感じる威圧感に、さっきまでよく回っていたユズリハの舌から急に滑らかさが失われた。

 しどろもどろとしているうちに、唐突にカノンが口を開く。


「――悪いのは、いったい誰なんだろうね?」


 含みのある言い方。

 彼がちらりとユズリハの右手の甲に視線を落としたのを、彼女は見逃さない。


「怪異は人間が願いを託さない限り発生しないものだよ」


「……なにが、言いたいんですか」


 喉元に刃物を突きつけられているような緊張感。

 無意識にユズリハの声が低くなる。


「これはあくまでたとえ話だけど……誰かが銃で人を撃ったとしよう。さて、この場合、悪いのは銃の方かな? それとも、引き鉄を引いた人間の方?」


 言い返そうにも、言葉が詰まる。

 心臓がバクバクと慌ただしく警笛を鳴らしていた。


「――きみはいったい、どっちなんだろうね」


「っ、私何もしてませんっ!」


 心の内に踏み込んできた彼を拒絶するかのように、反射的に言葉が飛び出す。


「私じゃない、私じゃない! お父さんとお母さんに酷いことしたのはあの怪物だってカノンさんもわかってますよね!?」


 あなたが言ったんだ。

 間違いないと、あなたがそう言ったんだ。


「私だって襲われた!! 死んじゃうかもしれなかったんですよ!?」


 バン!!! 

 鈍く激しい音がリビングに響く。

 ユズリハは衝動的に机を両手で強く叩きつけていた。


「きみを襲った理由はまだわからないけど、あれは間違いなくきみが生んだものだよ、ユズリハ」


 机の上に置かれたままの掌にぐっと力がこもった。 

 彼の冷静な態度が、どうにも腹立たしくて仕方がない。


「お父さんたちをあんな目に遭わせてほしいなんて思ったことありません! ……単なる憶測で、勝手なこと言わないで!!!」


 金切り声を上げながら立ち上がると、今度は握りこぶしを机に叩きつける。

 ユズリハはぎりぎりと歯を食いしばりながら、卓上に打ち付けた拳を小刻みに震わせていた。


 ――全部あの怪物の仕業だ。

 何もしてない。何も願ってない。

 お父さんたちに酷いことをしたのはあいつなんだ。

 だから。


(――だから私は、悪くない!)


「だろうね。きみは自分のやってほしいことを怪異に委ねただけだもの」


 俯いたまま肩で息をするユズリハに、カノンが言い放つ。

 ユズリハは聞き終えるよりも先に、彼を鋭く睨みつけた。

 その目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。


「怪異を消して済むのなら、それでいいじゃないですか」


 声は低く、そしてかすかに震えている。


「そうするだけでお父さんもお母さんも助かるのなら……あなたならできるんですよね?」


 簡単なことだ。

 あなたならできるはずだ。

 目の前でやってみせたのだから。


「奴らならそうしたのかもしれないけど、僕はそうじゃない。別のやり方もあるのなら、僕はそっちをとるってだけだよ」


「っ……! そんなこと言って、 私の目の前で斬ったくせに!! 綺麗ごと言ってないで助けてくださいよ!! お金払ってるんですよ、こっちは……!!」


 まくしたてるような早口。声がどんどん張り上がって、最後にはほとんど怒鳴り声と変わらなかった。

 自分でもどうしてこんなに感情を荒げているのかわからない。それでも燃え滾るこの熱さを抑えられないのだ。


 カノンは、まだ報酬はもらってないけど、などと言いたい気持ちを抑えて、


「結局、きみのとれる選択肢は二つだけ」

 と、右手をピースさせながら淡々と言う。


「罪を忘れてなあなあで解決とするか。あるいは、罪も罰も受け入れて、他人の傷つかないハッピーエンドを目指すか」


 そこまで言って、彼は口を閉ざす。

 まるで「きみはどうする?」と委ねられているような、真っすぐな瞳。

 しかし今の彼女には、その真っすぐさが嫌だった。

 己の負い目を見せつけられているようで、それは容易に怒りの燃料になった。


「どうもしません……あなたが怪物を殺して、それで終わり――」


 言い終わるよりも先に、カノンがテーブル越しに、ユズリハの右手首に手を伸ばした。


「ちょっ、なんですか、いきなり!」


 ユズリハはわずかに戸惑いを見せるも、


「このっ……離してっ!!」


 力任せに腕をぶんぶんと振り始めた。

 容易に振り解けるだろうと思ったのも束の間、力の込められた彼の掌はしっかりとユズリハの手首を掴んだまま離れない。


「もう、いい加減に――!」

 咄嗟に空いた方の手で押しのけようとしたそのとき、ユズリハの脳にバチバチッと閃光が轟いた。

 

 ――脳裏を駆け巡る、見覚えのある光景。


 茜色が差し込む学び舎の一室。


 そこに映る、二つの影。


 一つは少女。制服に身を包み、体を小さく縮こませている。

 もう一つは、影そのもの。実体を持たず、ゆらゆらと怪しく揺らめいている。

 少女と影が接近する。二つから一つに重なっていき、そして。


 ――再び閃光が走った。



 ――次に浮かぶのは、こちらもよく知る場所だ。


 小綺麗に整えられた小さな部屋。


 いつも使っている机とベッド。


 壁にはお気に入りのポスターが飾ってある。


 部屋の出入り口では、口論をする二人の人影。

 一人は少女。さっきも見たようなシルエット。

 もう一人は女性。それなりに年齢を重ねているように見える。


 諍いの内容はうまく聞き取れない。

 二つの声はどんどんエスカレートして、罵声や怒声も混じるようになった。

 やがて女性を押しのけると、少女は階段に向かって歩く。

 そして降り際に、少女はぼそっと呟いた。なぜかその声だけは、鮮明に聞き取れた。

 ……聞き取れてしまった。


『――お母さんなんか、死んじゃえばいいんだ――』

 

「――うああああぁぁぁぁあああ!!!!!!」


 気づけばユズリハは強引にカノンの手を振り解き、悲鳴にも似た叫び声をあげながら、机の下に潜り込むようにして身を丸めていた。


「……驚いた」


 弾かれた手を開いたり閉じたりしているカノンが小さく呟く。


 「これで済めば楽だったんだけどなあ」


 ため息とともに、彼は自嘲気味に笑みを浮かべてみせる。


「何を見たのかは知らないけれどね、無理強いは良くないわよ。彼女、すっかり怯えてるじゃない」


 ツユリが諭すような口調で言うと、小さく唸り声をあげながら大粒の涙をポロポロと零すユズリハの体を己の方に引き寄せる。


「まだ子どもなのよ、この子は」


 縋るような背を優しく擦るツユリに、カノンは肩をすくめてみせた。


 再び席に戻りつつ、彼は自分の手をもう一度開け閉めする。

 ……痺れと痛みが、わずかに残っている。


「さて、どうしたもんかな」


 ツユリに悟られないように振るまいつつ、カノンはユズリハが落ち着きを取り戻すのを待つことにした。

 もっとも、この状況で’素晴らしい解決策’を彼女が受け入れてくれるとは、彼には到底思えなかった。 

 


 ユズリハの気持ちが落ち着くまで、しばらくかかった。

 なんせ記憶の蓋を無理矢理こじ開けられた挙句、無遠慮に立ち入られたのだ。

 すぐに冷静になれないのも無理はない。


 涙も出し切り、全身から流れ出た汗をやけに冷たく感じるようになったころ、まだわずかな嗚咽を残しながらも、椅子に座っていたユズリハが唐突に口を開いた。


「……あの」


 その声に、目の前に二人が反応する。

 ユズリハは俯いたまま、消え入りそうな声のまま続けた。


「私……っ……ちゃんと、解決したい、です」


 うまく言葉が出ないのは、きっとまだ感情がまとまっていないせいだ。

 冷静になったのは頭だけで、気持ちのどこかで、まだ納得してない部分があるせいだ。

 そういった反抗心を無理矢理押さえつけながら、ユズリハはなんとか言葉を紡ぐ。


「だから、っ……カノンさんの言う通りに、します。したい、です」


「……改めて言っておくけど、僕のやり方はきみに無理をさせるものだ。さっきみたいに見たくないものを見なきゃいけなくなるだろう。断言するけれど、酷な道だよ。それはわかってるね?」


 彼の忠告に、ユズリハは頭を上下に短く振る。


「きみは自分の罪を見つめなければならないし、もしかしたら罰を受けることもあるかもしれない。自ら茨の道に飛び込む覚悟が――己の身を焼かれてなお、歩みを止めない覚悟が、きみにはあるかい」


 ――理解は、しているのだ。

 己が引き起こしたものだと。

 だから、その落とし前はつけなければいけない。

 少なくともそうしなければ、自分は許されないのだろう。


 なによりも、父と母に顔向けできない。

 それは、嫌だった。

 投げかけられた問いに、少しだけ間を空けてから、ユズリハはすっと顔を上げ、カノンの目を捉えて、


 「――はい。その覚悟が、私にはあります」


 きっぱりと言った。

 声には震えも怯えもなかった。あるのは少しの不安だけ。しかしそれも、この場では腑に落ちない気持ちとともにしまい込んだ。


 その言葉に、カノンは今まで見たことのないほど嬉しそうな笑みを浮かべると、いきなり席を立ってリビングの方へと駆けだした。


 「え、あ、あの、私……」


 突然の彼の行動に、ユズリハは困惑を隠せなかった。

 ふとツユリに目を向けると、彼女は慈愛に満ちた天使のように優しく微笑みを見せていた。


 「よく決断したわね、ユズリハちゃん。とても偉くて立派だと思うわ」


 「そんな、私は……」


 啖呵を切っておいて、今も逃げの気持ちは残っているのだ。

 だから、立派でもないし偉くもない。

 やったことの責任を取りに行くだけなのだから。


「そうね。本当の意味で褒められるのは、すべて解決できてからかしら……辛いと思うけど頑張りなさいね」


 柔らかな励ましの言葉に、ユズリハはゆっくりと頷く。

 そうこうしているうちに、飛び出していったカノンが再び姿を現した。


 「さあ、やると決まったら善は急げだ。さっさと赴こうじゃないか」


 彼の腰には一振りの刀。さっきのように袋には入れず、鞘に納められた状態で携帯されている。


「行くって……どこへ?」


 願いを解き明かすと言っていたが、実際にどうするのか、何をするのか、ユズリハは説明を受けていない。

 当然、彼がこれから何をするためにどこへ向かおうとしているのかも理解できていないのである。 

 しかし彼はそんなことお構いなしに、今度はそっと彼女の手を掴むと、端的に言ったのだった。


「きみの学校。そこが発生源に違いない」


 今度も彼は自信満々に、そう言い切ったのだった。

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