第3話 迷子の人魚
「珍しい。ポークステーキですか?」
「
板長のなにげない言葉に、盆を取り落としそうになる。板長を見ると、板長の方が目を丸くして僕を見返していた。
「お前、ずっと
「⋯⋯へえ、初耳です」
厨房を後にして、離れに戻る。
ちゃぶ台を挟んで、ハウリナと夕食を共にする。
夏休みも進み、八月に入った。
あの一件以来、ハウリナと接しても変な緊張をしなくなった。彼女もまた、おずおずとした雰囲気が消え、自然な表情を見せてくれるようになった。
ハウリナは覚えたての箸を器用に使って、カットされたポークステーキにタレを絡めながら、「あのね」と切り出した。
「なに?」
「もしも⋯⋯もしもね、わたしの尾ビレが治らなかったら⋯⋯どうしよう?」
「どうって⋯⋯ここにいてくれていいよ」
「本当?」
曇りが晴れた顔のハウリナに、頷きを返す。
「⋯⋯でも、生活するには色々入り用になるからなあ⋯⋯一緒に民宿でバイトすればいいかな」
「ありがとう!」
晴れやかな笑みを浮かべるハウリナ。
既に彼女がいる生活が当たり前になっていることに、僕自身が驚いた。『迷子の人魚』の話なんて、言えないし、言いたくなかった。
翌日は生活雑貨を買いに、少し離れた繁華街のショッピングモールまで出ることにした。家からはバスで四十分。この前の衣料品店と比べて遠さは僅かだが、バスの本数の関係で町の者は滅多に行けない。車を運転できない歳の人間はなおさらだ。その分、同じ高校の生徒に会うことも滅多にない。
ふたり分になった生活雑貨、ハウリナの衣類の買い足し⋯⋯一通りのものを買い、最後は食料品だ。
「ケーキ、買おうか?」
「ケーキ?」
「甘い食べ物」
僕たちは、町にはないケーキ店のテナントへと向かう。
ケーキがどんなものか説明しながら歩く。
「深海の匂いですネ!」
突然、背後で叫び声が上がった。
僕らは反射的に振り返る。
そこには、たった今すれ違ったジンベエザメ柄のベレー帽をかぶった男が、こちらを凝視していた。
「私は東京の海洋研究所の者でス。
男が話を終える前に、僕はハウリナの手を取り、駆け出した。
「あの子どもたちが『迷子の人魚』についてのヒントを持っていまス!」
男が誰かに話す声を捉えたが、僕はもう振り返ることなくその場を駆け去った。
外はいつの間にか雨が降り出していた。
タクシーを拾い、念のために帰り道を少し通り過ぎたところまで乗る。
地元の人しか通らない道や小さい頃に通った山の秘密の道を使い、民宿へと戻る。とはいえ、民宿は浜に立つ。道の選択肢はほとんどない。
「止まって」
ハウリナに囁く。
民宿に、旅行者や釣り客とは明らかにいでたちが異なる男女がいた。スーツに鞄、クーラーボックス⋯⋯ひどくちぐはぐだ。ジンベエザメ帽の男の仲間に違いない。
ゆっくりと後退し、民宿を離れる。
どこに行けばいい⋯⋯
辺りを見回す。と、暮れかけた雨の中に鳥居の笠木が目に入った。
祖父が宮司をしている神社だ。
祖父なら――小さい頃からずっと僕を見守ってくれた祖父なら、なにか道を示してくれるかもしれない。
雨が強まる中、砂利道を上って鳥居をくぐり、社殿に転がり込む。
買い足したタオルをビニール袋から取り出し、濡れた髪や手足を拭く。夏でよかった。冬だったら風邪を引いていただろう。
濡れて透けたハウリナの体を見ないように背を向けると、彼女は背中合わせに座り、僕に背を預けた。温もりが背中から伝わってくる。
「
「じいちゃんに電話しようと思う⋯⋯ここの神主だ。隣の社務所にいるはずだけど、まずはじいちゃんにだけ事情を説明する。きっと匿ってくれるはずだよ」
「⋯⋯もし匿ってくれなかったら?」
「僕が⋯⋯逃してあげる⋯⋯なんとかして」
囁き合っているうちに、渡り廊下をどたどたと近づいてくる足音が聞こえてきた。
咄嗟に立ち上がり、背後にハウリナを庇う。
横の扉が開く。
そこには、白い着物に袴を履き、厳しい表情を浮かべた祖父の姿があった。
「まずは社務所に顔を出しなさい」
「でも⋯⋯」
言い淀む。
どう説明したらわかってもらえるだろうか。
だが、祖父はハウリナを見るなり、まるで彼女を安心させようとするかのように努めて穏やかな顔を作った。
「大丈夫。この神社にはその子に悪さをする者はいない⋯⋯その子は『迷子の人魚』だね」
「!」
「やはりか。本当にいたとは⋯⋯」
祖父は、自分の言葉を噛みしめるように呟いた。
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