第2話 開花と変容

「今夜も大盛りかい? 突然成長期かあ?」

「はは⋯⋯そんなところです」


 盆に刺身や煮物、ご飯に味噌汁を乗せて、厨房を後にする。


 僕の家はこの海沿い、汐ノ澄しおのすみ浜で『汐見荘』という民宿を営んでいる。正確には、小さい頃に父と母を事故で亡くした僕は民宿を営んでいる叔母――叔父はすでに亡くなっている――に養ってもらっている。養われているといっても民宿で暮らしているわけではなく、以前従業員用に建てられた離れに住まわせてもらっていて、生活は完全に放っておかれている。食事は民宿の賄いだ。叔母は民宿の切り盛りで忙しく、離れに住む僕の様子を見に来ることはほぼない。高校は夏休みだけど、民宿は絶賛繁忙期だ。僕も格安のバイト代で連日掃除などの手伝いをする日々だ。

 十メートルも歩くと、僕が住む離れに着く。

 ノスタルジックな1DKの部屋に、僕の貸した服を着たハウリナがちょこんと座っていた。かれこれ二日間、僕の離れに泊まっている。

 この二日、僕の暮らしは小さな変化があった。食事を二人でとるようになった、ということだ。食事をする相手がいるということは、これほどおいしさに差があるのかと思う。

 その他の変化といえば、ハウリナと出会ってからすこぶる体調がよいこと。そして海が荒れていて大変だと、板長や釣り客が言っているくらいか。


 結論から言うと、尾ビレが足になった理由ははっきりしなかった。多分、介抱したときに飲ませた茶コーラのせいな気がする。

 賄いを二人で分けて食べる。

 ハウリナは色素の薄い長髪を、食べ物にかからないように後ろで結んでから、フォークを取った。

 ハウリナは刺身が好きだ。いちど「魚、食べるんだ?」と聞いたら「わたるだって哺乳類を食べるでしょ」と至極真っ当な返事をされてしまった。

 今日は図書館から人魚に関わる本を何冊か借りてきて読みあさったが、尾ビレを復活させる手段は見つからなかった。

 ちゃぶ台を前に差し向かいで唸る二人。

「……あと、ひとつ可能性があるんだけど……」

 ハウリナが言いにくそうに言葉を紡いだ。

「ん?」

 僕の返事に、彼女はおずおずと海藻のようなベルトをちゃぶ台に乗せた。そこには、美しい装飾が施された小さな短剣が収められていた。

「!」

 僕は彼女と出会った瞬間とは違った意味で息をのんだ。

「あ……ああ。王子の血、ね」

 努めて明るい声を出そうとして、声が掠れた。僕だって『人魚姫』の結末くらい知っている。

「助けてくれた航にそれはできない。なにか別の方法を探すまで、巣にいさせて」

 ハウリナは申し訳なさそうに僕を見つめた。 





 次の日はハウリナの服を買いに出かけることにした。

 僕のうちに泊まるのも三日目だし、いつも僕のシャツと捲り上げたジーンズを着てもらうのも申し訳ない。通販でも買えるご時世だが、僕にはハウリナの服のサイズを調べる技術がなかった。特に……下着の。

 町に一軒の衣料品店までは、バスで三十分かかる。

 店員さんにお願いして、見繕ってもらう。

 試着室から出てきたハウリナは、別人のように輝いていた。控えめにフリルが入った半袖カットソーと、軽い生地のフレアスカートを身を包んだハウリナは、どこかの令嬢といった雰囲気を醸し出してた。


「どう……かな?」

「……似合うよ」


 満面の笑顔を咲かせ、くるりと回転するハウリナ。色素の薄いロングヘアが大輪の花を咲かせた。

 気の利いた言葉の一つも出てこない自分が恨めしい。





 支払いをして表に出る。

 自動ドアが開いた途端に裏返った大笑いが耳を叩き、僕は顔をしかめた。

 駐車場の端から聞き覚えのある声。同じクラスの山下と原田、そして森野だ。三人はいわゆるヤンキーで、学校にいれば授業妨害、街にいれば店にたむろして周囲を威圧する。違うクラスの生徒はパシリやカツアゲもされているらしい。では同じクラスなら無事かというとそうでもなく、男子は挨拶と共に腹パンチを受け、その反応で代償を払っているのだ。


「いこう」


 ハウリナの手を引いて店を離れる。が、


「おう、こんなところでなにやってんだよ」


 背後から揶揄を含んだ声が追いかけてくる。

 今までだったら腹パンチを食らって、 変なとばっちりを食らわないうちにとっとと避難したいところだけど、今日はハウリナがいるからそういうわけにもいかない。

 僕はハウリナの背を押して敷地を後にし、歩道のない道へと出る。

 

汐見しおみ! 止まれコラ! クソ、なにシカトしてんだ⋯⋯」


 怒気を孕んだ声が追ってくる。いつもよりはっきりと鼓膜を叩く。独り言までよく聞こえる気がする。

 構わず店を離れる。

 セルモーターの音から乱暴にエンジンを吹かす音。


「汐見、ぶっ殺す!」


 窓越しのくぐもった声が、やけにはっきりと聞こえる。


「や、山下君?」


 原田の焦った声が急速に迫る。

 振り返ると、黒い軽自動車が迫っていた。

 いつもより景色がスローモーションに見える。死の直前の感覚、というわけではない。自分の思考と挙動が鋭敏になっていることがわかる。

 運転しているのは⋯⋯山下だ。無免許だろう。

 後部座席には原田と森野。驚きと焦りの表情が見える。

 このままでは、ふたりとも轢かれる。

 ハウリナを助けないと。

 ――対向車、なし。

 ――道路の向こうには空き地。

 ――よし。

 僕はハウリナを道路の向こうにある空き地へと突き飛ばした。


「きゃっ」


 ハウリナの悲鳴を聞いた直後、残された僕に軽自動車が突っ込む。

 衝撃。

 十メートルほど跳ね飛ばされたか。

 路面に叩きつけられて四回転。

 遅れて、拍子抜けな痛み。


 一方、停車した軽自動車の中は狂乱状態になっていた。


「やばいよ山下君?」

「う、うるせえ! 奴が返事しねえからだろうが!」

「でも、汐見が死んだら⋯⋯」


 名を呼ぼれて、身を起こす。

 折れているところは⋯⋯ない。腕を見ると、小さな傷が目に見える速さで塞がるところだった。


「う⋯⋯うわあ!」


 山下はひと声叫ぶと、車を何度も切り返して全速力で逃げ去った。


 僕はエンジン音が消える前に、ハウリナの元へ駆け寄った。


「ごめんハウリナ。大丈夫?」

「ありがとう。また助けられちゃったね。航こそ大丈夫? ⋯⋯あれ、『自動車』でしょ? 時々水面から落ちてくる」

「うん。それより、気になることがあるんだ」


 血で汚れた腕を見せる。

 ハウリナは嫌がる様子もなく、傷ひとつない血塗れの・・・・・・・・・・腕を見つめた。そして僅かに眉毛を寄せる。


「初めてわたしに触れたときと口合わせのときに⋯⋯わたしの血が航に入っちゃった」

「入っちゃった、とは⋯⋯?」


 首を傾げる僕をハウリナはまっすぐ見つめた。


「『人魚の肉を食べると不老不死になれる』って話、聞いたことない?」

「い、いや⋯⋯」


 われ知らず、生唾を飲み込む。

 ハウリナは言葉を続けた。


「人魚の血だけでも、人間に力を与えるの」

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