石籠(いしずめ)の里

をはち

石籠(いしずめ)の里

序章



深い霧が山間の谷を覆い、陽光を拒むように立ち込めていた。


そこは地図に記されない村――「石籠(いしずめ)の里」と呼ばれる場所。


かつて神を封じたという巨石が村の中心に鎮座し、その周囲には苔むした祠がひっそりと佇む。


村人たちは口を閉ざし、よそ者に冷たい視線を投げかける。


禁忌を破った者には、災厄が降りかかるという。


誰もがその名を囁くことを避け、足を踏み入れる者は決して帰らない。


筑摩大悟は、そんな村の謎に魅せられた男だった。


民俗学を専攻する大学生で、好奇心と探求心に溢れていた。


ある夏、彼は「研究のため」と言い残し、石籠の里へ向かった。そして、二度と戻らなかった。





第一章:雪斗の旅立ち



利根雪斗は、大悟の後輩だった。


大学で民俗学を学び、大悟の情熱的な語り口に影響を受けていた。


大悟が失踪してから数ヶ月、雪斗は彼の手帳を見つけた。


そこには「石籠の里」の断片的な情報と、奇妙なメモが記されていた。


「石子詰めの儀式。生霊の祠。村八分の呪い。神は見ている。決して近づくな。」


雪斗は胸騒ぎを覚えたが、大悟の行方を確かめるため、村へ向かうことを決意した。


地図にない村を探すのは困難だったが、大悟のメモに記された古いバス停と、森の奥に続く獣道を頼りに、彼はたどり着いた。


村に足を踏み入れた瞬間、冷たい風が雪斗の頬を撫でた。


村は静まり返り、木々のざわめきだけが響く。


家々の窓からは、じっとこちらを見つめる目があった。


雪斗は背筋に寒気を感じながらも、大悟の手がかりを求めて歩を進めた。






第二章:大悟の足跡



村の広場に立つ巨石は、異様な存在感を放っていた。


表面には無数の小さな傷跡が刻まれ、まるで何かを封じるための呪文のようだった。


雪斗はその近くで、大悟のものと思われるメモを見つけた。


「村八分の家系は、掟を破った者の末裔。神を否定し、肉を拒み、よそ者を招き入れる者。それが真の恐怖の始まりだ。」


メモを握りしめ、雪斗は村の奥深くへ進んだ。


村人たちは彼を避けるように家に閉じこもり、誰も話しかけてこなかった。


やがて、彼は古びた祠――「生霊の祠」にたどり着いた。


祠の扉には、幾つもの名前が刻まれていた。


その中には、驚くべきことに「筑摩大悟」の名があった。


雪斗の心臓が激しく鼓動した。


「大悟さん、なぜここに…?」


祠の周囲には異様な空気が漂い、まるで何かが彼を見張っているようだった。





第三章:石子詰めの儀式



その夜、村の奥で奇妙な音が響いた。


太鼓の低いうなり声と、呪文のような詠唱。


雪斗は音のする方へ近づき、森の奥で火が揺らめく光景を目にした。


村人たちが集まり、中心には巨大な穴が掘られていた。


その中に、縛られた男が立っていた。


男の顔は恐怖に歪み、叫び声は詠唱にかき消されていた。


村人たちは次々と小石を投げ始めた。


男の体は徐々に石に埋もれ、血と汗が地面に滲んだ。


雪斗は息をのんだ。


「これが…石子詰めの儀式…?」


儀式の後、村人たちは何事もなかったかのように去っていった。


雪斗は震える手で大悟のメモを読み返した。


そこには、儀式の恐ろしい真相が記されていた。


「かつて飢饉に苦しんだこの村は、人肉食に手を染めた。偽りの神を崇め、生け贄を捧げることで生き延びた。


掟を破った者は村八分とされ、石子詰めの儀式で神の裁きを受ける。


生き残れば許されるが、死ねばその肉は神に捧げられ、村人に分け与えられる。


祠に名を刻まれた者は、掟に従順な者として神に仕える。」






第四章:生霊の祠


雪斗は祠に戻り、刻まれた名前の意味を理解し始めた。


「生霊の祠」に名を刻まれた者は、村の掟に従順な者として選ばれる。


対して、村八分の家系は、掟を破った者の末裔だ。


神を否定し、下げ渡された肉を拒み、よそ者を招き入れた家――それが村八分の烙印を押される理由だった。


村八分の者は、儀式で神の裁きを受け、生き残れば罪は許されるが、失敗すれば祠に名を刻まれ、永遠に村の呪いに縛られる。


大悟の名が刻まれた理由は明らかだった。


彼は村の秘密を暴こうとし、掟を破った。


よそ者として村に踏み入り、村八分の家系に近づき、祠の秘密に触れたのだ。


そして、彼は儀式の生け贄として選ばれた。


雪斗は祠の奥に隠された古い手記を見つけた。


そこには、村八分の家系が代々虐げられ、祟りの元凶として扱われてきた歴史が記されていた。


村人たちが広めた「村八分に近づく者を呪う」という噂は、自分たちの罪を隠すための作り話だった。







終章:霧の彼方


雪斗は村を脱出しようとした。


夜の闇に紛れ、獣道を駆け抜けた。


背後では村人たちの足音が迫っていたが、霧が彼を隠してくれた。


森の出口にたどり着いたとき、雪斗は振り返った。


遠くで揺らめく火と、かすかに響く詠唱。


大悟が見た最後の光景が、雪斗の脳裏に浮かんだ――


石に埋もれ、息が詰まり、意識が遠のく中、祠に自分の名前が刻まれる幻。


だが、雪斗は生き延びた。


バス停にたどり着き、夜明けとともに村を後にした。


都会の喧騒に戻り、彼は安堵の息をついた。


石籠の里のことは、まるで悪夢のようだった。


しかし、雪斗は知らなかった。


霧の彼方に佇む生霊の祠に、新たな名前が刻まれたことを。


その名は、「利根雪斗」――


彼が村に足を踏み入れた瞬間、掟を破った罪で、すでに神の目に刻まれていたのだ。

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