鶯谷駅②

 さっきまでの冷たい目をした紗枝が今は優しい表情をして俺の手を引く。


「早く入ろ?」


「、、、」


 あまりの変化に反応すらも忘れていた。

 いや、本当はあの頃の紗枝と裏切った日のことが同時に脳裏に蘇って、言葉を見つけられなかったのかもしれない。


「ベッド大きいねー!」


 そう言いながら紗枝は大きなベッドに背中から倒れ込む。


 少しの沈黙が生まれて、俺は呆然とその場に立ち尽くした。


「賢二?」


 体を起こしてから手を広げて紗枝は俺を呼んだ。


 これが謝罪とでも言うのか?

 それとも紗枝はもう一度俺に罪を犯せと言っているのか。


「ごめん、無理だ」


「なんで?結婚するから?」


「当たり前だろ」


「そっかぁ、私の時は出来たのに今はダメなんだね、、、」


 悲しそうな顔をして俯く紗枝を俺は黙って見つめていた。


「私ね、あれからずっと寂しくて賢二のことが忘れられなくて、忘れるために色んな人としたの。でも賢二の変わりはいなくて、寂しさは増してくばかりだったよ」


「ごめん」


「誰と何をしても賢二を重ねちゃって、嘘だって思うかもしれないけど私は本当に5年間ずっと忘れられなかった。賢二が結婚するって聞いて私もやっと次に進めるかもって思ったけど、最後に一度だけでも私だけを見てほしいって思っちゃったんだ」


 段々と紗枝の声が細く弱くなって行く。

 泣いてる、すぐにそれはわかった。


 今まで何度も聞いたこの声、泣き顔が脳裏によぎって胸が苦しくなる。


 別れて5年が経った今も俺は紗枝を泣かしている。


 俺は本当にこのままで幸せになることができるのか?

 過去に裏切った相手が今も苦しんでいて、これからも傷が癒えずにいることを知ったまま、自分も相手も幸せにすることなんでできるのか。


「大丈夫、この世界のこの駅の事を知ってるの2人だけだから、お願い、最後に私だけを見て」


 そう言いながら顔を上げた紗枝の瞳から涙が溢れたのを見て、俺は自分に言い聞かせた。


 "これは浮気じゃない、謝罪なんだ"


 溢れ出る涙を必死に拭く紗枝の元に、俺は歩み寄った。


「ごめんな、今まで」


「ううん、これで終わりにしよ」


 ベッドの上で紗枝に体を重ねる。誰が操作した訳でもなく部屋の明かりが消えた。


 唇が触れて、そのまま俺たちはお互いを求め合った。


 紗枝の体温、胸の感触、声、全てが当時の記憶を思い出させた。


 俺は彼女のことを本気で愛していた。

 大学を卒業する頃には本気で紗枝と結婚をするんだって思っていたし、一時の迷いで生まれた罪も一生かけて償おう、そうすればきっと許してもらえるとそう思ってた。


 結局許してもらえることはなかったけれど、何度もやり直すことが出来ないかと考えた。


 連絡をしたことだってあったけれど、こっちからやり直そうなんて言えるはずもなくて、未練だけの残るやりとりをした。


 全身が触れ合って、2人の距離が0になる。

 何度もキスをしてお互いの肌をなぞりながら、俺たちは今きっとお互いのことだけを見つめて、もしかしたら存在した世界線を浮かべている。


「大好きだよ」


 小さな声で紗枝が囁く。


「俺もだよ」


 今この瞬間だけでも必死にその想いに応えたくて俺は言葉を返した。


「んっ」

 

 紗枝の太ももから少しずつ手が登って行くと紗枝から声が漏れる。

 久しぶりに触れる紗枝の肌の感触とあの頃と変わらない恥じらい方に俺は手を止めることは出来ず、むしろこれから迎えようとするクライマックスに鼓動は高鳴った。


「どうしてほしい?」


「やだっ…言わせないでっ…」


 後半は最高潮に達して、俺は無我夢中で紗枝の上に体を重ねた。


「入れるね」


「うんっ来て…」


 2人の身体は一つになった。

 

 こんなにも紗枝が俺を求めてたなんて知らなかった。 

 もっと早くに知っていたら、俺からやり直そうと言えていたかもしれない。

 そうすれば明日結婚する相手はもしかしたら紗枝で、一生を共にすることだってできたかもしれないのに、どうして俺はもっと早くに知ってあげることが出来なかったんだ。


「気持ちいい?」


「うん、気持ちいいよ」


「私も」


 紗枝は顔を赤らめながらも真っ直ぐに俺を見つめる。

 やっぱり紗枝を超える人に出会うなんて無理だったのかもしれない、本当は心のどこかでわかっていたけれど、ずっと自分に嘘をついていたのかもしれない。


「どいてもらっていい?」


 突然のことで理解が追いつかずにいた。

 部屋の明かりがついて、裸の紗枝が冷たい目で俺を見つめる。

 さっきまでの恥じらう様子はどこにもなくて、裸であることを感じさせないほど無表情でありながらも軽蔑をする目をしていた。


「本当に気持ち悪いね」


「え、なんで」


「心が筒抜けなことも忘れるほどに興奮しちゃったのかな」


 つい数秒前までのことがなかったかのように紗枝は体を起こして服を手に取った。


「まああんたが生きれるかはわからないけど、この世界の記憶がそのまま残るとしたらあんたどうする?」


「いや、意味わかんないってなんだよ突然」


「とりあえず気持ち悪いから服着てもらってもいい?」


 未だに状況を掴めずにいるまま俺は言われるがままに服に手を伸ばす。


「別に彼女さんに言う気はないけどあんたはまた罪を抱えて生きて行くんだよ、あ、それとも結婚もなかったことにするのかな?」







 


 

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