第10話

「人類はこの皮質統合不全症という遺伝性の難病に対抗するために、二体体制を導入しました。生まれ持った体に加え、もうひとつの体を作り、そこに脳の内容を同期するのです。のちに、この難病はほぼ克服されましたが、二体体制は維持されました。その時代には普通だった、事故や病気による不慮の死という悲劇を防ぐことにも役に立つとわかったからです」

 ローラは航空機事故の動画を画面に映す。

「二体体制以前は、人間には一人にひとつの体、ひとつの意識しかありませんでした。このような事故が起こると、それに巻き込まれた人たちの人生はそこで途切れてしまっていたんです。みなさんも、事故や病気で一体が止まった方が身近にいる人が多いと思います。その人の人生がそこで終わっていたと想像してください」

 ローラは保健体育の教師だった。保健の授業では、例の病気——皮質統合不全症と呼ばれるようになった——と、その後の二体体制についてもカバーしている。過去の人類の愚かさにはあまり触れられず、英雄的な達成という語り口になっていた。

 生徒たちは退屈した表情を浮かべ、ローラの授業を聞き流している。詳細さのレベルの違いはあれ、同じような内容を小学校や中学校の保健の授業ですでに教わっているのだから、無理もないことだった。

「二体体制では、二体は就寝前にそれぞれヘッドギアをつけ、同期を行います。この際、どちらが選ばれるかは、それぞれ五〇%と厳格に決まっています」

 生徒たちはひそひそ話をする。

「五〇%だって」

「実際は四九・九九何とか%だよね」

 生徒たちは、ネットでトレンドになった数字をささやき合っていた。ローラはそれに気がつかないふりをする。怒ろうにも、この授業が茶番劇だということをローラも意識しているからだ。

 二体体制によって克服されたはずの不慮の死は、同期後不覚醒によって再び返ってきた。大人たちはみな、それを知りつつも、具体的な対策を取らないままでいた。それが起こる頻度は徐々に上がり、ついには毎日になった。今では毎朝、七〇〇〇分の一の割合で同期ペアがそのまま目を覚まさなくなり、それが腕時計によって当局に通知され、粛々と処理が行われる。

 政府は同期後不覚醒対策委員会を設置し、調査を続けていた。しかし、その予算は大きくなく、活動もあまり活発ではなかった。

 あるとき、ヘッドギアの脆弱性が見つかったことがあった。それに対応したところ、同期後不覚醒が数日間起こらなくなった。しかし、世間にはそれを喜ぶ声も特になかった。数日後、同期後不覚醒は再開した。何者かがヘッドギアの脆弱性を利用してそれを起こしているのではないか。必然的に、委員会にはそのような雰囲気が漂った。しかし、それをあえて深く追及しようとする者はいなかった。面倒なことに首を突っ込まなくても、給料は入ってくるのだ。

 そのままでは遠からず人口が激減することはわかっていた。しかし、人々は同期後不覚醒対策委員会が何とかしてくれることに希望を寄せて——あるいは、期待しないまま、希望を寄せているふりをして——、日々の生活をそのまま続けていた。人間は、「そのままでは絶滅する」というような、自分の直接の利害を離れた抽象的な動機で動けるようにはなっていないのかもしれなかった。


 その日の夜。電気工事士のローラに続いて、高校教師のローラがブリーフィングを行う。彼女は、生徒たちの間でささやかれている数字を話題に出す。

「そういうわけで、みんな、記憶の引き継ぎ確率を『五〇%』じゃなくて『四九・九九%』とかふざけて言ってる」

「それを小テストの答えで書いてきたらどうする?」

「バツにするしかないでしょ」

 電気工事士のローラと高校教師のローラは睡眠導入剤を飲み、ヘッドギアをつける。

 二体とも、その数字が頭から離れない。

 明日の朝、私が目を覚ます可能性が四九・九九%しかない?

 しかし、ローラたちは、それが五〇%とどれだけ違うのか、どれだけ恐れればいいのか、わからなかった。


                * * *


 月本部のゼナ星人たちはコンピューターに質問していた。

「間引きはうまくいっている。今のところ、一年に五%程度の率で地球人は減っているようだ。十四年ほどで、地球の人口は約半分になるはずだ。もうそのぐらいで入植してもいいんじゃないか」

「いいえ。地球人は、我々には及びませんが、強力な破壊兵器を持っています。彼らが、追い詰められた結果、そのような武器を使って環境を破壊する可能性もあります。そのようなリスクを冒すことはありません」コンピューターは飽きもせず、これまで何度も繰り返してきた返答をする。

「この調子だと、我々の世代は地球の地面を踏めないんじゃないか」と一人が言う。ゼナ星人の寿命は約百年と、地球人と大差なかった。

「人口を減らしても、土地が空かないなら意味がないだろう」と別の一人が言う。

「それについては計画があります」とコンピューターが答える。「私の言う通りに、地球の実行部隊に指示してください」


                * * *


「不覚醒率だが、地域によって差があるそうだ」

 夕食時に、オフィスに行ってきたジェームズが話に出す。

「そうらしいな。俺もさっきニュースで見た。うちのあたりは高めらしい」と伐採のジェームズ。

「怖いわね」と、電気工事士のローラが、たいして怖くもなさそうな声で相槌を打つ。

「引っ越しを考えてもいいんじゃない?」と高校教師のローラが提案する。

 人口減少に伴い、マンションには空き部屋が増えていた。政府は、行政効率化のため、人口集住地域への移住に補助金を出していた。

「ソフィアが高校を卒業する年でいいんじゃない? 転校するのも面倒だろうし、クロエもちょうど小学校に入るしね」

「私はそれがいいな。どうせそれまでは不覚醒とは関係ないし」とソフィアは冗談めかして言う。

「私たちには関係あるんだけど」とローラたちは苦笑する。


                * * *


 ゼナ星のコンピューターは、数十年にわたる人類の人口分布の望ましい変化を計算し、それに向けて、地域ごとの不覚醒率の設定を行っていた。今では、地域によって、率は五〇〇〇分の一から七〇〇〇分の一の範囲で調整されていた。

 それと同時に、地球人のソーシャルメディアでは、「不覚醒が環境に影響されるこれだけの証拠」というポストが人気を集めるようになっていた。元はゼナ星人が書いたものだが、その後、地球人によって改変され、さまざまなバージョンが拡散されていた。その中で不覚醒率が高いとされた地域は不人気となり、不覚醒率が低いとされた地域は人気になっていった。


 ゼナ星人の実行部隊は、計画がうまくいっていることを確認しながら、仲間同士で話す。

「奇妙なものだな。間引きをあまり怖がっているようにも見えないのに、率が低い地域への誘導には乗るんだな」

「何かをしているという感覚がほしいんじゃないか」


                * * *


 ある朝、ジェームズ二体は目を覚まさなかった。

 同期後不覚醒を検知したヘッドギアから弱い電子音が出ている。

 ローラ二体が目を覚ますと、腕時計にジェームズの不覚醒を伝える通知が来ていた。

「あら、大変。いつかは来ると思っていたけど」

 ローラは腕時計のボタンを押して、通知の要約を聞く。

「ジェームズさんの同期後不覚醒が検知されました。ジェームズさんの二つの職場には通知済みです。ローラさんの高校には一日の有給休暇が申請されています。電気工事士は当面休職です。遺体引き取りサービスは十一時ごろになります。在宅するか、ドアを開ける許可をしておいてください」

 子供たちの学校と保育園は休みにならないので、起こさないといけない。

「ソフィア、お父さんが不覚醒になっちゃった」

 普段寝起きの悪いソフィアも、さすがに少し驚いて目を覚ます。

「そうなんだ。学校は?」

「休みにならないわよ。早く起きて」

「なあんだ」

 ソフィアはがっかりして身を起こす。

 次はベンだ。

「ベン、起きて。お父さんが不覚醒なの」

 ベンは即座に理解する。もはや、祖父の死亡で混乱していたころのベンではない。

「そっか。お葬式はしないんだっけ?」

「うん」

 不覚醒者の数の多さを理由に、葬式という風習はなくなっていた。もともと人々はそれを不要な儀式だと考えていたため、それに関する問題は特になかった。

 最後は、肝心のクロエだ。気をつけて説明しないといけない。

「クロエ、起きて。今日からお父さんたちはいないのよ」

「お父さんたちが? どうして?」

 六歳のクロエは、同期後不覚醒については何も知らなかった。

「しばらく遠いところに行くの。そのうちまた会えるわよ」

 ローラは、一体時代から続く使い古された言い方でクロエをなだめる。

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