第9話

 その日の夜、電気工事士をしてきたもう一体とのブリーフィングを終えた後、ローラはベッドに横になる。ヘッドギアをつけようとしたところで、学校での生徒との会話、そして、その後自分に言い聞かせた言葉を思い出す。

『人間にとって大事なのは、精神の連続性。肉体はただの入れ物なんだから』

 ローラの手がしばし止まる。言いようのない不安が彼女を襲う。「五〇%」という数字が頭に浮かぶ。この世界の皆が知っている、一体の記憶の引き継ぎ確率。成人後、自分のこととしてこの数字について考えるのは久しぶりだった。

 しかし、同期をせずにいるわけにはいかない。同期をしなければ、差分が蓄積し、一晩で同期しきれなくなって、いろいろな人に迷惑をかけることになる。ローラは諦めてヘッドギアをかぶり、睡眠導入剤による眠りにつく。


 次の日の朝、目を覚ましたローラは、前日の夜の不安を思い出し、思わず辺りを見回す。いつも通り、反対側のベッドにはもう一体のローラが寝ている。

 自分が引き継いだのだ。

 当たり前じゃない、これまで毎日そうだったんだから。

 腕時計を確認する。ケースの色は青、その日の色も青。今日は私が高校教師をする日ね。前日の夜、高校教師をしてきたもう一体から聞いた生徒の話を思い出す。祖母の一体が停止したことでショックを受けていたという話だった。

『人間にとって大事なのは、精神の連続性。肉体はただの入れ物なんだから』

 ローラは、このメッセージをどのようにその生徒に伝えるのがよいか考え始める。


                * * *


「ニュースが出ているぞ。『全世界で二体同時停止による死亡 同期後 ヘッドギアの不具合か』」

「うまくいったな」

 ヘッドギアの不具合というのは、ある意味では正しかった。ヘッドギアのソフトウェアを月本部のゼナ星人たちが解析したところ、脆弱性が見つかった。それを利用することにより、同期中の二体のシナプスデータをネットから好きなように上書きできる。そして、彼らは二体が目を覚まさずそのまま死亡する配列を探し、見つけることに成功した。

 攻撃対象は全世界の同期中の二体の中から七〇〇〇分の一の確率でランダムに選ばれた。そして、それらに「死の配列」を送ったのが前日の夜のことだった。

 地球人の反応は、主に実務上の課題に関連するものだった。七〇〇〇分の一とはいえ、大都市ではかなりの人数になる。火葬場の不足などが問題になっていた。

「やはり、死そのものに対する反応は薄いな」

「ああ、淡々としている」

「ソーシャルメディアのトレンドはどうだ」

「『ヘッドギア 不具合』、『火葬』、『五〇%』……、この『五〇%』とは何だろう」

「何だろうな。ノイズじゃないか」


                * * *


 五〇%。

 それは、長い平和な二体体制の中で忘れていた「死」という概念について再び考え始めた地球人が行き着いた言葉だった。

 一連の事件を経て、人々の思考はおおむね次のような流れをたどった。

「死」とは何か? 肉体の停止ではないことは確かだ。それは日常的な肉体の補充によって確認され続けていた。

 それでは、精神が停止し、それがその後続かないことだろうか? でも、明日の朝「この精神」が目覚める確率は五〇%しかなく、みんなそのことを知っていて、それでも社会は動いているのに?

 そこまで考えたところで、人々はこの「五〇%の覚醒」の持つ意味を持てあまし、その答えを求めて、ネットに言葉を投げるのだった。


 死亡者の桁違いの多さにもかかわらず、二体同時停止事件の調査にかけられたリソースは、やはりあまり多くはなかった。ヘッドギアの不具合という説のほか、同期の負荷に脳が耐えられなくなったという説まで出てきた。そう考えるほうが対策を立てずにすみ、楽だからなのかもしれない。

 大量死に対する感覚の鈍麻に警鐘を鳴らす者もいた。

「二体体制のせいで、我々は『死』が何かわからなくなってしまった。ヘッドギアを捨てよう。我々は自由だ」

 そう叫び、実行した人もいた。しかし、彼らのその後のたどる道は必ずしも明るくはなかった。

 毎夜の同期をやめると、二体——いや、二人——は、次第に別々の自我を発達させ始める。二人とも、二つの仕事のうちの楽なほうを選びたがり、それが争いのもとになることもあった。一部のペアは、それを避けるために、毎日配信される赤・青のシグナルによって職場を決めることを続けようとした。だが、そうするためには、二体体制のときと同じく、毎晩のブリーフィングが必要になる。その際に、次の日も同じ割り当てにするならブリーフィングは必要ないということを意識してしまうと、ついそれをおろそかにしてしまう。結局、役割分担が固定化してしまい、それが不満を生むというケースが多かった。

 また、社会からは相変わらず一個人として扱われた。赤・青どちらの腕時計で支払いをしても、減るのは同じ口座のお金だった。そのため、損をしないように、もう一人よりも多く消費したくなるのだった。

 しかし、何よりも大きい問題は、自分とそっくりな、しかし自分ではない、まただんだん自分から離れていく他者と毎日過ごすという、そのこと自体から来るものだった。ちょっとしたすれ違いからしばしば争いが起こり、最悪の場合には、殺人にまで発展することもあった。

 初期にそのような事件を担当した警察官は当惑した。一体がもう一体を停止させる? 同期している二体にとっては考えられないことだった。法律的な扱いも問題になった。法律ではそういう状況が想定されていなかった。議論の末、同期をやめた元二体は、法律上は別々の個人とみなされることになった。その結果、「もう一人」を殺した者は殺人犯とされ、収容された。

 そういったケースが増え、社会問題化した。それへの対策として、各国政府は再統合サービスを提供し始めた。一体補充時のリハビリ施設を流用する場合が多かった。二人は、長期間の睡眠状態に置かれ、栄養補給を受けながら、蓄積した差分を同期する。この場合もやはり、送信元はランダムに選ばれた。そして、それが完了すると、再び一人として、二体体制を再開するのだった。

 多くの非同期者——そのように呼ばれるようになっていた——は、ほとんどが再統合サービスを受けた。この経験を経て、二体体制は以前よりもかえって安定し、それに疑問を唱える人はほぼいなくなった。


 非同期者騒動が収まってしばらくしたころのある朝、七〇〇〇分の一の「同期後不覚醒」——そのように呼ばれるようになった——が再び起こった。今回は、前回の経験を生かして、火葬などの処理もスムーズに進んだ。社会の反応も鈍くなっていた。そして、少しずつ間隔が短くなりながら、三回目・四回目が起きた。回数を重ねるにつれ、社会は、原因追及よりも、それに対応した体制作りに重点を置き始めた。火葬処理の効率化・簡素化、仕事の引き継ぎ先の事前指定、パートナーを失った人へのマッチングサービスの整備などが進められた。

 同期後不覚醒対応が進む中、ソーシャルメディアでは、以前の「五〇%」に代わって、新たな数字がトレンドに上がりだした。


                * * *


「『四九・九九二八五七%』?」

 ゼナ星人たちは、地球人のソーシャルメディアのトレンドに表れた新たな数字に困惑した。

「前は『五〇%』がトレンドになっていたよな」

「気にするなよ。そのまま本部に報告すればいいんだ」

 地下拠点のゼナ星人たちは実行部隊であり、毒ガス散布やヘッドギアハッキングに必要となる物資の調達や機械の設置などを担当していたが、その目的などはあまり知らされていなかった。

「五〇%ってやつだが、地球人の生態と関連があるんじゃないか。夜ごとに二つの体が同期して、どちらの体の記憶が選ばれるかの確率は五〇%ずつってやつだ」少し頭が回るやつが言う。「きっとやつらは、『死』というものが身近になって、初めてそのことを意識し始めたんじゃないか」

「なるほど。それじゃ、今回の四九・九九何とかパーセントというやつは?」

「ちょっと待ってくれ」彼は手元の端末で計算をする。「やっぱりそうだ。五〇かける七〇〇〇分の六九九九だ」

「それがどうしたんだ?」周りのゼナ星人はまだ気づいていない。

「一回のヘッドギア攻撃を生き延びる確率、いや、一回のヘッドギア攻撃を生き延び、かつ、自分の意識が選ばれる確率だ。つまり、夜寝た後で、『自分』が目を覚ます確率なんだ」

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