第26話 ドライフラワー



 醜悪なもの――それは人によって違う。カーテンが少し開いていたり、椅子が少し傾いていたりすることが気持ち悪いと感じる人。コップの中の水を漂う得体の知れない汚れや指紋のついたドアノブを不潔と思う人。または、「自己を棚に上げ、人を貶し、人を笑い突き飛ばし、惨めな過去を隠し強がる、他者を否定することでしか自己を肯定できず、日々の美しさを忘れ去り、残酷で無慈悲、それでいて狡猾――しかし人からは恐れられ、得られるものは偽りの富と名声と強がる自分――美しさを滅ぼし、私利私欲に行動し、他者の努力を無に帰す。自己のことは根拠のない自信で飾り付け、煌びやかに見せては他人を愚弄する。責任なんては知らない、堅苦しい自己のルールを押し付けては人の心を壊す――それでも生きている。そんな人間は醜悪だ」そう思う者もいるだろう。それら全ては醜悪だ――本当に多種多様で憎たらしいのは醜悪の特徴だ。千差万別で予想を大きく上回る不快さ、見てるだけで、いやそれが存在しているだけで心根から哀れだと思う。

 そんなことを思う自分に気づき、また嫌気。


「醜悪の虜になってしまう……そう思えたらどんなに楽だろうか。もしそうなら自分自身を愛せたのに」


 醜悪の烙印が私の背中にはある。熱く、焼けた、ヒリヒリと痛むその証が常に私の心に潜んでいる。この大きな手は何も包めない。何も抱けはしない。存在価値はない……。

 


 死後、目を覚ます。

 体の上には大罪を断ずる化身。

 思わずため息を吐いた。

「――またお前か……スケルス」


 この世界では死後、この黒い空間で目を覚ます。そう、この空間――これが空間の化身によって造られたと知るのはまた後のお話。


「やっぱりまた死ぬことになったね!さすが私っ、予想的中!おかえり〜フリー・コルウスっ!」

体の上に跨るスケルス。体の重さが伝わってくる。

「会いたくなかったけど、結局は会うしかないのか……それはそうとスケルス、今すぐ俺の体から降りてくれ!乗られてる方は気恥ずかしいんだぞ!」

「ふふーん、ここには誰もいないのに〜?」

「そういう問題じゃない!」

 血生臭く生ぬるい血の海。スケルスを退かして立ち上がる。また俺は死んだ。この断罪の化身と2人きり――みんなは大丈夫だろうか。咄嗟に窓から飛び降りたのはさすがに尚早な判断だったか……いや、もうああするしか方法はなかった。命を狙ってきたとはいえ、俺にはまだ人を殺す勇気はない。心得ているんだ、今の自分のできる限界ってやつを。きっとこれが正解だ。

 はは……また戻ってきた時にはいつになってるんだろうな。もしかしたらもう戻れることは無いのかもしれない――。

「何、幸がないような顔してんだよっ!君はまだ本当の死を経験してないんだよ?まー死ぬ度にここに来て現世に戻る度に数日経過してるのはさすがにうんざりだと思うけど。でも安心して。喋り相手が1人います。そうあなたの目の前に〜」

「そんな喋り相手のお前に質問してもいいか?」

「質問するときは手を挙げて『はい!』と言うこと!いいですか!返事は〜?」

「……はい」

「小さい!」

「はい!」

「もっとぉ!」

「はぁい!!」

 繰り返し返事の練習をし、やっと質問の許可がもらえた後――俺はようやく核心に迫る質問をすることができた。

 12月25日の昼、アマデウスによって初めて経験した死――それも2回。俺はその時1つの死に関する記憶を見てしまった。決定的な事実であり、残酷で無慈悲、希望なんてものはない――いやもはやそれら全て無くしてしまうかもしれない。人間は死後どうなるかという難題に対し、立てられた仮説の内の1つを証明できる証拠をあの日見てしまった。あの日以来、死に対して考えが変わった。

 俺はスケルスに問うた。

 

「――何でお前は、人間という存在を消すんだ?」


「それはね。人間は『醜悪の化身』だからだよ。だから、私はその存在を消すんだっ!まあしょうがないってやつだよ。なにせ文字通り『醜悪』なんだから……そういう約束なんだから」

 

 それはかつて世界がまだ幼い頃。――いや、まだ生まれてばかりの頃。赤ん坊のこの世界では創造から生まれた子で満ちていた。それぞれの個性を持ったまだ幼い子たちは互いに牽制し合い、己の強い意志を曲げんと生きてきた。森を作り、水を流し、生命を創り、愛を与えて死を授けた。生命はその体が朽ちるのを繰り返し、次の数多の世代に紡いでいく。

 だが、年月が過ぎていく度に争いが起き、神々はまとまった一つの概念になっていく。そこで、神々は互いに役割を決め、この世界で過ごすことを決めた。創造神から生まれた子は秩序神、契約神、自由神の3つに分かれ、その役割を遵守する。それがこの世界の決まりで秩序を保つ方法でもあった。

 役割を決めたはいいが、他の問題が発生していた。それは、溢れんばかりに繁殖を繰り返し、世に蔓延っていた「醜悪」だった。

 

 醜悪の歴史。


 ある2人の神が山の奥、自然に囲まれた美の砦の中、穏やかに、幸福に日々を紡いでいた。2人の神からは3人の子が生まれた。名は秀麗、賛美、断罪。3つの姉妹たちは仲慎ましく、世界を知り――成長していく。


 夕暮れ時、丘の上の木の下の3人。1人ぼっちのあの子を見る。橙色の日の光がなんとも言えない哀愁を醸し出している――そんな時のことだった。

「あの子はどんな子かな?」

「さあ、私わかんない。話したことないもん」

「きっといい子だと思うよ!だって見てよ!微笑みながらお花に話しかけてるんだよ?花畑の中でさ」

「賛美が言うんなら、じゃあ話すー?あの大きい手のひらで握りつぶされそうだけど」

「いいや……まだわかんないよ。あの子の見た目からわかるでしょ。アレは完全にこの世のモノとは思えないよ!私の知識から考えるにアレは美とは対照的な存在。邪悪そのものだわ。口でパクっと食べられるに違いないよ」

 その子は背中から大きな手が翼のように生えていた。飛ぶためにあるのか、あるいは飛ぶことを夢見ているだけの飾りなのか。その頃の私にはわからなかった。けれどその子の笑顔は何か惹きつけられるものがあった。

「もう、私行くね!あの子に話しかけてみる」

「待ってよー!私もー」

「はあ……じゃあ私も」

 丘を駆け下り、その子のもとへ。幾つもの花に囲まれた純白のワンピースを着たその子がだんだんと視界の奥から近づいてくる。

 息を切らしながらその子の肩を掴んだ。

「何してるのー!?」

 一瞬、ビクッとしたその子はこちらを見てすぐに安堵の表情へ。口角が少し上がり、花を人差し指で指さす。

「花になってたんだ」

「花?」

 戸惑う表情をよそ目に話し始める。どうやら話を聞くにその子は花に強い憧れを持っているらしい。

「花はね。その一枚一枚に純美が宿ってるんだ。花は普遍的にこの世界にあるから、私みたいな木偶の坊でも美を感じることができるんだっ」

「花……素敵だよねっ!」

 風が、風が吹いて花が散り、その顔が微笑む。

「この世界で1番美しいのは何だと思う?」

「え、うーん私は黄色い花かな?いかにも賛美に値しそうじゃん!」

「私はお母さんの笑顔!」

「私は……そんなの決められないわ」

「へへ、みんな分かってないなあ。この世界で1番美しいものはこの世界そのものだよ。世界が美しいから私たちは生きられるんだよ?」

「ふーん、なるほどなるほど。勉強になるね……ところで……君の名前は?」

「――私の名前は」

 

 それから、私たちはこの花畑でよく会うようになった。色とりどりの花でできた冠を互いに作り合い、追いかけっこをしては笑って澄んだ青空を見た。ゆらめく雲をバックに私たちは互いに打ち解けていった。

 

「ねえ!今日は花冠作り?」

「うん、ほらこの花綺麗でしょ。白くて清廉で清楚な雰囲気。私好きなんだ」

「そうなんだ。ふふ、君ってやっぱり変わってるね」

「そうかな?」

「まあ、賛美と秀麗も呼んでくるから。4つ!4つ作ろ!」

「そうだね」

 

 ところが灰色の日。断罪は薄暗い花畑で泣いている彼女を見かけた。1人孤独で花畑に座り込んでいた。

 

「どうしたの!?何かあった?らしくないよー」

 花の上に座り込む彼女。断罪は勢いよく彼女の肩にポンと手を置いた。

 

「ごめんね。生まれちゃった――」

 

 そう言ってこわばった笑顔を見せる彼女の手には体液に塗れた赤子がいた。赤子――そう表現するのは正確ではないかもしれない。見た目は明らかにこの世のものではなかったからだ。

「あか……あ、赤ちゃん?」

「そうだよ。わたひのこども。醜悪の子供は何だと思う?」

「え、でも君は記憶の化身って言ってたじゃん……」

「嘘に決まってるでしょー。本当は、私は醜悪の化身なんだ」

「何で嘘なんか……」

「へへ、やっぱり初対面だとさ、嘘をつかないと生きていけないんだ。さあ、もう一度質問するね。醜悪のこどもって何だと思う?」

「はへ?え……それは」

「答えは――醜悪のこどもは『醜悪』なんだよ。何者にもなれない。何様にもなれない。そんな存在が私たちなの。今までありがと、断罪。私を裁いて。私たちの全ての罪を断罪して」

「そんな……急にそんなこと言われてもわかんないよっ!」

 濃く澱んだ曇り空の下、2人の周りを走り回る辻風。散る花びらに落ちる雫。揺れる木々、放たれた欲望。彼女は深く微笑んでいた。色とりどりの花冠をかぶって笑っていた。

「醜い醜い醜い、醜い醜い醜い。弾けちゃう弾けちゃうよお。今すぐにでも、私が私でなくなる。」

醜悪は体中から皮膚に巣食う蛆が這い出るように子を次々と生み出していく。体液に包まれた醜悪の子を。産声に包まれた花畑の真ん中で。

「うそ……そんな。こんなのってないよ!待って!私が今何とかするから!」

「もう遅いよ。私は醜悪をたくさん残して、私は消えるんだ。もう、純美を感じることはないんだね断罪。もうちょっとだけでもかわいい花らしく生きたかったなあ」

「……君の、名前は――!」

「」

 彼女は、消えた。いや、溶けていった。黒ずんだ花冠だけを地面に残し、私を1人にした。

 それから私はこの世に蔓延る醜悪を、人間たちを、断罪することにしたんだ。


 

「――まあ、こんなかんじかな。もう私が言うことはないよ」

「そうか……答えは出たのか?醜悪の答えは」

「んーそういう君はあるのかな?」

「そんなのまだ俺にはよくわからない。けど、『醜悪の子供は何なのか』なんてものはこれから創っていくものだと思う。見つけ出していけばいいんだ」

「そっか……それが君の答えか」

 そう言うスケルスはさみしげな瞳をしながら黒ずみ、乾燥した花冠をそっと撫でていた。

 





 

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