シーラ・リリウム
シーラ、彼女の名前はシーラと言った。シーラ・コルウス――またの名をシーラ・リリウム。純白のワンピースを着ているユリのような彼女を見てから何かがおかしくなった。何かが、その瞬間から、動き出したんだ。
平凡な日の夜。ありふれたユーモアに愛想笑いし、俺はこの酒場を後にした。酒なんかは飲む気分じゃない。なぜなら、今はそんなことをしてる暇なんかないからだ。そしたら何で酒場に居たのかって?そんなの面のいい女を捕まえる以外――目的なんかないだろ。俺は飢えていた。肉欲と愛欲に溺れたい気分だった。だが、結局捕まえたのはただのじじい1人。いや「捕まえられた」というほうが正しいか……。
早く帰らないと、ファルサが怒るなこれは。
ファルサ――彼女と出会ったのは数年前のこと。数年前に神聖帝国の聖地アウロラの中央区で、夜の教会に忍び込んだ時に彼女とは会った。同時の俺は今よりも姑息でずる賢い男だった。教会から金になる物をうまく盗めると思っていたが――教会でシスターをやっていたファルサがそれを許さなかった。教会の物置きに置いてある、いかにも歴史的に価値がありそうな金剛が散りばめられた金属製の壺に手を伸ばしたときに、ふと背後から人差し指で突かれた時は驚いたな。誰もいないと思っていた物置き部屋に女が現れたんだから。しかも深夜だぞ。そんときは本当に人生で1番の叫び声をあげたと思う。――というように、彼女との出会いはインパクトある衝撃的な出会いだったんだ。
「ただいまファルサ」
近くの山からは虫の声。
「……ファルサ?」
家は静まり返っている。シーンとそれがどことなく俺の不安を煽った。いつもなら「おかえり」と暖かい返事が返ってくるはずなのに。
「ファル――うわぁ!」
突然視界に入り込むシスター。まるでワールドエンダー。実際は――エンターテイナー。
「ふふ、驚いた?帰るのが遅いからさ。仕方がなかったってやつなんあ」
「……だとしてもやめてくれ。心臓が10個あっても足らない」
「まあまあ、君の強靭な心臓なら大丈夫だろう。ほらご飯にするんあ」
無責任な発言をする妻は台所の方に消えていった。
「ただいまファルサ」ではなくて「ただいまシーラ」と言った。
「おかえりカルロ」ではなく「さよならカルロ」で終わった。
俺の心に涙の材料が残った。
「シーラ、またここに居たのか」
「うん」
夜風が露出した腕を冷やす。誰もいないこの2人以外には。星々が2人を見ていた丘の上。
「ほら、お前が言ってた酒――やるよ。あちこち酒場をまわって見つけたんだ。きっと美酒さ。惚れてしまうほどのな」
「そう。ありがと」
「シーラ、俺はよく考えたんだが……もう一度考え直すべきじゃないのか。もっと他に手があるはずだろ。なにか別の方法が。きっとあるはずだ。だから……もっと考えるべきだ。もっと、もっと」
「ありがとうカルロ。わたしのことをよく考えてくれて。でも、もう決まってることなの。変えれないよ、もう何もかもおそいんだ」
その声色は夜風に流されていきそうなほどに弱々しく、儚い。
「シーラでも」
「――もうわかってるでしょ。これで終わり。わたしはここにいるべきじゃない。だから、さよなら」
「……待って!ならなんで君はここにいた!?寂しいんだろ、まだ君の好きな花だって聞けていないのに」
「ごめんねカルロ。また、会えたらいいな」
そう言って彼女は振り返らずに去っていき、次の日からはこの町から姿を消した。
きらびやかで、それでいてくすんでいる、金色のペンダントを身につけていた彼女はユリのような人だったことを覚えている。
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