第2話 ご注文はお決まりでしょうか?

「こちらがメニューでございます。ただいまモーニングもやっております。ごゆっくりどうぞ」

 彼女はにこりと微笑むと、つるつるとした二つ折りの書を置いていった。机には、透明な器に注がれた……恐らく、水がある。この際毒でもいい。勇者の罠だと分かれば、納得がいく。魔族だ人間だなぞ、くだらない争いはもうたくさんだ。いっそのこと……。吹っ切れた魔王は、それを飲み干した。……ただの水だった。ますます、この状況は訳が分からない。自分は魔王で、ここは宝物庫のはずで、いや、扉を開けた瞬間不可解なことが……。

 ここで、窓の外を見る。明るい。時間は経っていないようだ。しかし……、魔王城は山の頂のはずだ。外には、執事のような者、鉄の車、高い建物、……絶対に山ではない。

 一つの可能性を挙げるとするならば……、転移魔法。

 しかし、このような町、魔物から聞いたことも、自分の目で見たこともない。遥か遠くの国だろうか。そう思うことにした。

 無理矢理考えをまとめ、彼女が置いていったメニューとやらに目を落とす。見たこともない言語のはずなのに……。何故、読めているのだろう。これも魔法の影響だろうか。よく見ると、食欲をそそる写実的な絵の下に値段が書いてある。なるほど、ここは食事処か。先程、女はモーニングと言っていた。朝、ということだろう。それならばここは、モーニングから選ぶべきか。永い時を生きながらえてきた聡明な魔王は、やはり魔族。楽なことが好きだ。

 サニーが辺りを見回していると、女が歩み寄ってきた。

「お客様、ご注文はお決まりでしょうか?」

「ああ、……これを」

 彼女は、サニーが指をさしたメニューを目で追い、小さな紙に書き込む。

「はい、トーストアンドコーヒーですね。かしこまりました。マスター、モーニングコーヒーひとつぅ」

 彼女が呼び掛ける視線の先には誰も見えないが、カウンターの奥から「はあい」という男の低い声が聞こえてきた。この店の店主だろう。カウンターには、よく分からない小物入れが規則正しく並べられている。自分が座る席にも同じ物があったため、何だろうかと手を伸ばした。簡単に折れてしまいそうな針のような木は、我が国でも見たことがある。この白い紙は……手触りが良い。店内には所々に樹木がある。お忍びで城下町へ行ったときに食事処へ入ったことはあるが、こんなに落ち着けるものではなかった。

 芳ばしい香りが鼻先をくすぐる。女の店員が、お盆に皿とカップを載せてやって来た。

「お待たせしました。こちら、トーストと、茹で卵と、サラダと、ホットコーヒーです。シュガーとミルクはこちらです」

 これが、モーニング……。

 サニーは喉を鳴らした。高級品でもないし、パンなんて見慣れたものだ。この“コーヒー”と呼ばれたものは、初めてかもしれない。どう手を付ければよいか分からず一点を見つめていると、「あっ」と声が降ってきた。

「ええと、外国人さん……でしょうか。これ、シュガー、ミルク、コーヒーに、どうぞ。サービス!」

「……ふむ。ここに注げばよいのだな。案ずるな、主の言葉は理解できる」

「文豪さん……?あ、そうです!えへへ、失礼しました!」

 バタバタと手を動かしながら説明してくれた彼女は、サニーに伝わったことに安堵して再びカウンターの奥へ消えていった。

 ゆったりとした動作で言われたとおりにホットコーヒーへシュガー一本とミルクを注ぐ。マドラーでくるくるとかき混ぜれば、ミルクが渦を描きながら広がり、全体が優しい色合いへと変化した。

 深緑の取っ手に指を掛け、ふちに口を付ける。静かにコーヒーを啜る。瞬間、時が止まった。先程のあの香りが、今度は自分の鼻を、口を、包み込み、染みわたり、抜けていく。少々熱いが、それが良いと感じた。

 ──これが、コーヒー。

 バターがじわじわと滑っていくトーストを手に取り、ひと齧り。調和とはこのことだ。もうひと齧り。そして、コーヒー。

 何だろうか、いつものように一人で食べているのに。とても心が安らぐ。

 サラダも一口。これは良い、さっぱりとしていて……そうだ、脂っこいばかりでは飽きる。そして、この卵は鶏のものだろう。殻は剥いて、齧る。力が漲ってくるようだ。口の中が渇いてきた。そうだ、またコーヒーを。なんとバランスの良い食事だろう。


 ゆっくりと時間が流れた。しかし、あっという間に“モーニング”はなくなってしまった。



【続く】

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