第六話「淀殿の誕生と二つの対立」後編

 場所:大坂城

 時間:天正17年(1589年)頃


 江が淀殿の庇護のもとで英気を養っている間、秀吉は次なる政略を考えていた。秀吉は、亡き鶴松の跡継ぎとなる秀頼の将来と、天下の安泰のため、徳川家康との血縁を強化することを最重要視した。


 秀吉が選んだのは、三姉妹の中で唯一有力な縁談のない江だった。秀吉は、江を家康の三男、徳川秀忠に嫁がせることを決定する。


「江よ。そなたには、この天下を繋ぐ最後の駒となってもらわねばならん。徳川の世継ぎの妻となるのだ」


 秀吉の言葉に、江の野心は最大限に燃え上がった。


「徳川の世継ぎ……。姉様、これで私たちの愛は、この国のすべてを支配できる!」


 江は、姉である茶々との最後の対話に臨んだ。場所は、人目を忍んだ淀殿の寝所。二人は、固く抱きしめ合い、互いの体温を確かめ合った。


「江。秀忠殿の妻となるのは、最も孤独で、最も重要な役割よ。あなたには、豊臣と徳川、二つの勢力を繋ぐ鎖になってもらう。その重圧は、誰よりも重いでしょう」


 茶々は、江の頬に手を添え、優しく、しかし真剣な眼差しで見つめた。


「でも、怖くはないわ。私には、姉様たちの愛がついているから。あの夜の温もりを思い出せば、どんな孤独も乗り越えられる。私は、この愛を胸に、徳川の城を内側から支配してやるわ!」


 江の瞳には、一切の迷いがなかった。それは、秀吉の政略さえも、自分たちの愛のために利用するという強い覚悟だった。


「わかったわ。行ってらっしゃい、江。あなたのその強さが、私たちを勝利に導くわ」


 茶々は、江の熱い唇に自らの唇を重ねた。それは、戦いへ赴く妹への、姉としての最後の祝福であり、愛の力の注入だった。


 江が徳川のもとへ旅立った後、茶々は大坂城の天守を見上げた。初は京極の城で、江は徳川のもとで、互いに離れてしまった妹を想う。三姉妹の愛の誓いは、豊臣と徳川という二大勢力を内部から繋ぐ、秘密の鎖となった。


 鶴松の夭折:豊臣家の悲劇

 しかし、その年の暮れ、茶々のもとを、再び悲劇が襲った。


 秀吉が溺愛した嫡男、鶴松が病に倒れ、幼くしてこの世を去ったのだ。


「なぜだ、なぜ私の息子まで……! 神よ! なぜ、この子まで奪うのです!」


 淀殿は、狂乱し、泣き叫んだ。権力のため、妹たちとの誓いを守るために産んだ最愛の子。その子が、わずか数年で天に召された悲しみは、彼女の心を容赦なく打ち砕いた。


「私の命の盾が……。鶴松、おまえがいなくて、私は、どうやってこの城で生きていけばいいの! この体が、何の役に立つというの!」


 秀吉と北政所の崩壊

 秀吉もまた、その悲しみから立ち直ることができなかった。鶴松の死は、彼に老いと死を強く自覚させ、絶望させた。


「わしの血を引く唯一の子が……。わしは、何のために天下を取ったのだ! わしの血を残せぬなら、何の意味がある!」


 秀吉は政務を放棄し、その精神的な動揺は、淀殿への執着を極限まで深めた。もう一度世継ぎを得るため、そして亡き子の面影を追うため、彼は淀殿から離れられなくなった。


 一方、ねねは静かに悲しみに耐えていたが、淀殿の**「裏切り」**によって、その心は粉々に打ち砕かれた。


「御台所様、この悲劇は、あなたのせいだ! あなたが、鶴松の養育に口出ししようとしたから、この子が祟られたのだ!」


 淀殿は、悲しみと怒りに我を忘れ、ねねに責任を転嫁した。


「私が産んだ子なのに、あなたが、養子を推すあまり、この子に嫉妬の目を向けた! あなたには実子がいないから、私の幸せが許せなかったのね!」


「茶々殿! 私は、豊臣家の安寧のために……!」


 ねねは反論しようとしたが、秀吉の寵愛を背景にした淀殿の言葉は、ねねの築いてきた正室としての権威を完全に打ち砕いた。


「もう結構です! あなたは、この城から離れてください! この子の母は、私だけだ! あなたの顔など、見たくない!」


 秀吉は、悲嘆に暮れる淀殿を擁護し、ねねは自らの居室に籠もることを余儀なくされた。ねねの権力は形骸化し、豊臣家の後継者問題は、淀殿の**「次の出産」**のみにかかることとなった。


 三姉妹の誓いと再度の覚悟

 この悲報は、遠く離れた妹たちの心にも、深い影を落とした。


 初(京極高次室)の心情:

「ああ、姉様……! 姉様が、どれほどこの子に希望を託していたか。神様は、どうして私たちから大切なものを奪うことばかりするの! 私たちが誓った平和は、まだ遠いの? 姉様が、一人で悲しんでいると思うと、胸が張り裂けそうよ。すぐに、姉様の温もりを感じに行きたい!」


 江(徳川秀忠室)の心情:

 「鶴松が死んだ……。なんてことだ。これで、豊臣の天下はまた危うくなる。秀吉様の正気も保てないかもしれない。私たちが、徳川の世継ぎの妻として、何をすべきか……」


 江は、悲しみを一瞬で野心に転じた。この危機こそが、自分たちが天下を支配するための最大の機会だと直感した。「茶々姉様。今、あなたを支えられるのは、この天下で私たち二人だけだ」


 初からは、励ましの手紙が届いた。


「姉様。悲しみに暮れるのは、もうお終いよ。私たちは、諦めない。今度は、もっと強い子を産んで。私たち三人の未来を繋ぐ、立派な世継ぎを」


 その言葉に、茶々は再び自らの使命を強く自覚した。


 淀殿となった茶々は、ねねの関与を完全に排除し、豊臣家のすべてを支配する**「母」**としての地位を確立することを決意した。


「初、江。私は、あなたたちのために、まだ負けられない。この鶴松の死さえも、乗り越えてみせる。次こそは、誰も手出しのできない、永遠の命の盾を産む」


 茶々は再び秀吉の寵愛を受け入れた。そして、やがて豊臣家の真の後継者となる秀頼を産む。三姉妹の愛の物語は、ここから、豊臣家の命運を賭けた最終章へと進んでいくのだった。

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