第36話 決着


「『無事、王子様を送り届けましたよ』っと」


赤羽は白鳥が入って行ったアパートの扉を見つめながら小さくため息をついた。



「…………」


ショートメールを送信したばかりのスマートフォンの画面を見つめる。


電話帳に登録してある番号は2つのみ。


青木浩一。

そして、


沖田優紀おきたゆうき


その名前を見ながら赤羽は目を細めた。



自分が殺人を犯すとき、家族、親戚、友人知人、全ての番号を消した。


それは自分がこの世から消える覚悟の上でだったし、彼らの記憶や感情から自分を消してほしいという願いを込めてのことだった。


しかしこの番号だけは消さなかった。

消せなかった。



「…………」


指がその番号に触れそうになるすんでのところで赤羽は大きく息を吸い、電話帳を閉じた。



「ん……?」


テロップでニュースが通知された。



『法務省は今日、死刑囚4人の刑を執行しました。執行されたのは茶原亮死刑囚、黄河利尋死刑囚、桃瀬飛馬死刑囚、黒崎茜死刑囚の4人で、いずれも犯行当時16歳であり、法定年齢制度の引き下げにより死刑が確定し――』


そこまで読んで赤羽はページを閉じた。


明日には同じテロップに自分の名前と緑川の名前も出ることだろう。

青木はあんなに華奢なモヤシ男だが、12人もの人間を殺した殺人鬼だ。負けるはずがない。



「――――」


試しに自分の名前を検索してみる。



「……あった」


青木には未成年の実名報道はされないと言ったがケースバイケースだ。

自分の起こした事件もある意味センセーショナルであったため、実名報道がなされたのだろう。



「…………」


試しに緑川の名前を入れてみる。



「――!?」


赤羽は目を見開いた。



「……ヤバい……!青木!!」


慌てて青木に電話を掛ける。



「くっそ……!出ろ……!!」


電話に出ないということは何かがあったということだ。




「青木……!!」


赤羽は走り出した。



◇◇◇◇


「なんで気づいたのかって顔してるな」


緑川は持っていた鞄をどさっと脇に落とした。


「もし本当に白鳥の体調が悪いなら、俺じゃなくて白鳥に言うべきだろ。それなのによくも知らない俺を、しかも進路相談が終わるまで待っててわざわざ呼び出してまで言うことか?」


緑川はよろよろと立ち上がった青木を笑いながら言った。


「お前は白鳥に直接言えなかった。なぜなら白鳥に言う行為は『他の死刑囚を邪魔する行為』になるからだ」



「――ふっ」


青木は緑川を睨み笑った。


「あんたって頭あんまりよくない系?俺の名前を聞いてピンとこない馬鹿な死刑囚がいるなんて思ってもみなかったから、判断が鈍ったんだよ」


緑川は目を見開いた。


「なんだ?お前、死刑囚の中では有名人なのか?」


「いや、そうじゃなくて」


(こいつ……どこまで理解してるのか謎だな)


青木はかみ合わない会話に眉間に皺を寄せた。


ただ一つはっきりしているのは、ただのパンチを食らったにしてはわき腹の痛みが尋常じゃないということだけだ。



(これ……肋骨の1本や2本はいってんじゃねえの……?)


冷たい汗がうなじを伝う。

動ける程度に回復するまでの時間を稼がなければ。



「本当に俺のこと知らないのか?」


青木が言うと、緑川は首を傾げた。



「俺はめったにニュースやテレビを見ないんだ。芸能人か?」


とても演技をしているようには見えない。



「まあいいや。今さら名乗ることに意味を感じない。ただお前がネジが飛んでない普通の奴だったら、もっと判断は早かったのにって話」


吐き捨てるように言うと、


「ネジが外れてる――」


緑川は再び拳を握りながら言った。



「いいね。久しぶりに言われた」


顎を引き、左足を前に出したファイティングポーズ。


「……おたくボクシング選手?」


「惜しい。ムエタイ選手」


緑川はそう言いながら華麗なシャドーキックをして見せた。



「タイの国技。戦争のさなかに生まれた殺人技。ムエタイこそが格闘技の最強だ」


緑川は笑った。


「まあ、リング上で2人目を殺した時に逮捕されたけど」


「リング上でだと?」


「練習の時に1回、試合中に1回、人を殺した。その行為が故意によるものだとされて、死刑判決が下った」


(こいつ……)


「コーチや家族がいくら試合や技の正当性を説いても無駄だった。だって俺、人を殺したときに笑っちゃう癖があるから」


緑川は口角が耳まで届くほどの気味の悪い笑顔で言った。


(想像以上にヤバいやつだった……!)


「俺はこの実験に勝利して、またリングに上がるんだ。今度はもっとうまく、合法的に人を殺してやる!もっと、もっとだ!」


「……この変態サイコ野郎が!」


青木はスラックスの上でも十分に勃起しているのがわかる股間を睨み上げた。


「この実験の勝者WINNERは、俺だ……!」


そう言うと緑川は青木に向かって一歩を踏み込んだ。



◇◇◇◇


あれからどれくらいの時間が経っただろう。


2時間かもしれないし、10分かもしれない。


しかし青木にとっては永遠とも思える地獄の時間だった。


緑川が快楽殺人者だということが十分わかるほど、彼は急所を外して青木をなぶり続けていた。



もう立ち上がることはおろか起き上がることさえできない。

蹴られ続けた太腿は腫れあがり、もはや自分のものではないようだ。

肋骨も何本無事なのかわからない。



(――俺はこのまま死ぬのか……)


すっかり暗くなった神社を見あげる。



(神様……。神様……!)


青木は人生で初めてその名前を唱えた。



(俺が――12人殺した俺が、こんなことを願う立場にないのはわかっていますが、それでもどうか、一度だけ願いを叶えてください。

一目だけでもいいので、母と妹に会わせてください。そうしたら俺は、もう死んでもいいので!)



青木は手を合わせた。


そのとき、


「――なんだお前はっ!?」


頭上で声がして、今まで自分を見下ろしながらほくそ笑んでいた緑川が吹っ飛んだ。



「……!?」


青木が視線を上げるとそこには、後ろから緑川をがんじがらめにして転がっている赤羽がいた。



「青木!!今だ!!」


赤羽は緑川の両脇から腕を差し込み、脚を絡めて押さえ込んだ。



「殺せ……!!」



殺す――?


そうだ。


殺さなければ、自分に明日は来ない。


母や加奈と再会する明日は、


もう二度とこない――!



青木は立ち上がった。


腰ベルトに隠していたナイフを取り出し両手で掴むと、



緑川の胸を目掛けて突き落とした。


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