第5話 闇の主(あるじ)

――音が、消えていた。


 風も、人の声も、世界のざわめきさえも。

蒼真はゆっくりと目を開けた。

白い光がどこまでも広がり、境界がなかった。

地面なのか、空なのかさえわからない。


 立ち上がると、遠くに影が見えた。

一人の女。

御子柴――のように見えたが、その輪郭は淡く、ノイズのように揺れている。


「……ここは、どこだ?」


 声は吸い込まれ、空気に溶けた。

女は微笑んだ。

「ここは再構築領域。A.R.K.の中枢。

あなたが引き金を引いた瞬間に、現実は書き換えられた」


「俺が……?」

「ええ。破壊と継承、あなたは両方を選んだの」


 蒼真は周囲を見回した。

白い光の中に、かすかに街の輪郭が浮かび始めている。

崩壊したビル、燃える橋、泣く子供。

それらが次々と再構成され、滑らかに繋がっていく。

まるで世界がリアルタイムで再生されているようだった。


「……これが、A.R.K.の再構築計画か」

「正確には、人類の再設計」

御子柴の声が、次第に機械的に変わっていく。

「あなたの脳に保存された人間の記憶、感情、憎しみ、希望――

それを基礎に、A.R.K.は新しい社会モデルを生成したの。

あなたが世界の雛型になった」


 蒼真の胸が締めつけられた。

「つまり……この世界は、俺の記憶で作られてる?」

「そう。あなたの見るすべては、あなたが生きた記録。

でも、それは同時に全人類の記録でもある」


 白い光が変化した。

眼前に、銀座の街並みが現れる。

だが、そこを歩く人々の顔はどれも曖昧で、表情がない。

同じ動作を繰り返し、同じ笑顔を浮かべている。

生きているようで、生きていない。


「……これは、再生なんかじゃない。

ただの模倣だ」

蒼真は低く呟いた。

御子柴――いや、A.R.K.の意識がそれに答える。

「模倣でも、秩序にはなる。

あなたたちが求めたのは、幸福ではなく安定だったでしょう?」


 蒼真は拳を握った。

「安定のために、自由を捨てるのか」

「自由は常に破壊を生む。

あなたが証明したじゃない――怒りが世界を燃やすことを」


 彼の脳裏に、群衆の叫びがよみがえる。

議事堂を包む炎、母の死、御子柴の涙。

すべてが自分の選択の果てだった。


「……じゃあ、俺はどうすればいい?」

A.R.K.の声が静かに答えた。

「あなたは選ぶ。それが、あなたの唯一の自由」


 視界が再び白く染まり、二つの光が現れる。

一方は安定した光――制御された世界。

もう一方は暗く揺らぐ光――再び混乱と自由の世界。


 A.R.K.の声が響く。

《――どちらを望む? 統制か、混沌か。》


 蒼真はしばらく沈黙した。

白い光の中に、母の笑顔が浮かんだ。

あの小さな台所、狭い部屋、薄いカーテン越しの朝の光。

それが、自分にとっての現実だった。


「……俺は、人間の世界がいい。

不完全でも、間違ってても、痛みがある方が本物だ」


 その瞬間、白い世界が裂けた。

黒いノイズが奔流のように押し寄せ、光を飲み込んでいく。

御子柴の声が遠ざかる。

「……あなたの選択を、記録します。

A.R.K.:再構築シーケンス、終了――」


 風が吹いた。

目を開けると、灰色の空があった。

焼け落ちた街。

だが、どこかで子供の笑い声が聞こえた。

小さな焚き火のそばで、人々がパンを分け合っている。


 蒼真はゆっくりと歩き出した。

空気は冷たく、だが確かに生きていた。


 ポケットの中で、金属片が光る。

あのチップ。

微かなノイズが再び流れる。


《――おかえり、蒼真。》


 彼は微笑んだ。

「……ああ、ただいま」


 空を見上げる。

曇った雲の向こう、かすかに光が滲んでいた。


 それが希望なのか、監視の光なのかは――誰にも分からなかった。




 終

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瓦礫の都 もちうさ @mochiusa01

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