第5話 どこまで知っているの……



「本当に気づかないの?」

「……は?」


 俺は一瞬、呆けてしまった。夕菜ちゃんが、セリフにないアドリブを急にぶっこんできた。

 順調に物語は進んでいたはずだった。

 缶コーヒーは眠れなくなるからいらないと拒否をされて、そして決められたセリフ。

 タクミが、きれいになったね、とエリカに対して他愛のない話から、エリカの行動が変になって、おみくじを引いたりスマホで電話をかけたりする。

 別れた理由をめぐって二人が、言いたくない知りたくないと転々している場面に、突然、聞いたこともないセリフを入れてきた。

 

 ちょっと待ってくれよ。今、本番だよ。

 俺は呆けた後、夕菜ちゃんの形相を見て思わず鳥肌が立った。怖くて目を逸らす。

 俺、殺されるんじゃねえの? そんなに俺が嫌い?

 いや、みんなが見ている。落ち着け。落ち着け。呪文のように唱えた。息をついて顔を上げると、50センチは離れていたはずの夕菜ちゃんが肩をくっつけるくらい近づいて俺の真横に座っていた。


「ひいっ」


 俺は両手で口を押さえた。次のセリフは何だっけ。

 夕菜ちゃんのセリフのおかげで自分のセリフが飛んでしまった。どうすればいいだろう。ピンチだ。すると、夕菜ちゃんは両手をベンチについて肩を震わせながら、泣き始めた。


「このままじゃ終われない」


 また、知らないセリフだ。

 とにかく俺は自分の芝居をする。タクミになりきって、本来の道筋へ戻そうとした。

 泣いているエリカに優しく声をかけた。


「泣くなよ」

「だって……。このままじゃ死ぬこともできない」

「死んでるんだろ?」

「天国へ行きたい……」

「君は本当にキスしたら天国へいけるの?」

「……え?」


 台本通りのセリフではないが、エリカに合わせて少しアドリブを入れた。本来ならこの後、キスしようとする俺をエリカが拒否する場面なのだが、夕菜ちゃんは何を思ったのか、俺の方に顔を寄せてくると、え? ええっと俺が思わず身を引いてベンチから転がり落ちそうになるくらい迫って来た。


「んんんっ」


 ぐにゅっと唇を押し当てられる。

 俺と夕菜ちゃんはキスをしたままベンチから転がり落ちると、観客からうわーっとはしゃぐような拍手が起きた。

 暗転になって、俺は成瀬に腕を引っ張られ、夕菜ちゃんは呆然とした様子でとぼとぼと俺たちの後をついて来た。

 何が起きたのか俺にはさっぱり分からない。


 壁ぎりぎりのホールのそでに行くと、夕菜ちゃんが頭を抱えてうずくまった。目には涙が光っている。


「ゆ、夕菜ちゃん……?」


 俺が恐る恐る近づくと、彼女は化粧した顔をぐしゃぐしゃにさせて、俺ではなく成瀬を見た。

 

「大丈夫かい?」


 成瀬が優しく問いかけると、夕菜ちゃんはふるふると首を振った。


「どうしてこんなひどいことをするの?」

「どうしてって、これでも君のために、青山が体を張って救ってくれようとしたんじゃないか」

「わたしが愛したのはあなたです」

「ただの行きずりの男だけどね」

「そんなひどい言い方しないでっ」


 夕菜ちゃんがぐわっと怒りをぶつけるように突如、成瀬につかみかかった。成瀬はすっと体を避けると夕菜ちゃんが両手をついて転ぶ。俺が助けようとすると、成瀬に止められた。


「俺は迷惑しているんだよ。早く、岡崎さんから出ていってくれないかな」

「へ?」

「青山、気づかなかった? ずっと、岡崎さんに女の子が憑りついてんの。視えてるはずなんだけどな」


 俺はびくっとして夕菜ちゃんから離れた。

 冷たかった唇。青ざめた頬。化粧で隠しているが目は落ちくぼみ隈がひどい。指先も紫色だ。


「俺、幽霊なんて視たことないぞ」

「俺も、と言いたいところなんだけど、ごめん。俺は引き寄せる体質なんだ」

「えっ」


 全然知らなかった。


「金縛りは普通にあるし、道を歩いていたらまあ、よく見かける。たまたまこの間、岡崎さんと会った時に彼女、幽霊に憑りつかれててね。それから俺に対して、岡崎さんに憑りついた霊によるストーカーが始まったから、これは何とかどこかにいってもらわないと困るな、と思ったんだ」

「はああああ?」


 俺は素っ頓狂な声を上げていた。


「な、なんでそれが……二人芝居なんだよっ」

「この霊は男ならだれでもいいんだよ」

「誰でもいいわけないでしょ! あなたがいいんです」

「俺は嫌なんだよね」


 成瀬が淡々と答えた。夕菜ちゃんの霊が傷ついた顔をした。


「ひどい……」

「青山は優しいから。俺なんかよりもずっと、他人のことを考えてあげるし、一緒に芝居をしたら、君の気がすんでいなくなるんじゃないかと思ったんだ」

「おい……。どういう意味だそれは」

「言ったままだよ。青山は優しいんだ」

「いや、そうじゃなくて、俺と芝居をしたら気がすむって意味。その意味がさっぱり分かんねえんだど」

「俺の勘だよ。ただの霊感だよ」


 成瀬が自分で言ってくすくす笑う。

 夕菜ちゃんは再び泣き出して、涙がぽたぽたと地面に滴り落ちた。


「もういいです。もういい……。キスしてくれたから。ありがとう……」


 いや、俺はされた方なんだが。

 あの押し付けただけの感触がキスと言えるのか知らないが、俺なんかでどこかへ行ってくれるんなら、と頭を掻いた。


「まあ、その……。あの世に行ったら幸せにね」

「はい……」


 夕菜ちゃんは泣きながら笑うと目を閉じてカクンと頭が垂れた。

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