記号(その物)case.x

記号がとある世界に転移した。


それは、意味の構造そのものだった。




ある朝、名もなきの世界に、


名も形も持たない「しるし」たちが漂いはじめた。


彼らの世界には、言葉も文字も存在していたが、


それらはあくまで“物事や概念を表すための道具”として穏やかに使われていた。




だが、転移してきた記号は違った。


それは何かを指し示すためではなく、


指し示すという行為そのものを拡張しようとした。


記号は、言葉と同様に意味を孕むよりも前に、


世界を“認識する”という行為の形式を塗り替えてしまった。




次第に、人々は見えるものすべてに


「何かを意味するかもしれない」という感覚を抱くようになった。


街路の形、波の動き、沈黙の間合い。


すべてが“何かの記号”でできているように思えた。




しかし、それを解読することは誰にもできなかった。


解釈の可能性ばかりが増殖し、


真の理解は遠のいていった。


解釈を求めることが、もはや宗教にも似た儀式となり、


世界は「読まれすぎること」によって、かえって沈黙した。




最後に残ったのは、


“読む”ことの形式だけだった。


そして意味は消え、ただ構造だけが残ってしまった。

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