物体(概念)backcase1;”物”がない世界へ

ある世界から、「物体」がなくなった。




 人々は朝目覚めても、床に足を下ろせてはいない。


 ベッドも、壁も、机も、すべて「物体という概念ごと」消滅したからだ。


 だが不思議なことに、人間はまだそこにいた。


「存在」と「空間」と「法則」は確かに残っているから。




 しかし手を伸ばしても、”何も”掴められていない。


 声をあげても、響く空気の粒子すら「物体」ではなくなっていた。


 重力は働いている。


 だが落ちるべき「石」も、崩れるべき「山」も「ない」。


 ただ数式だけが孤独に機能している。


 誰も触れられぬ運動方程式、誰も測れぬエネルギー保存などが存在するのみ。




 人々は気づく。


「物体」がない世界では、飢えることもなく、壊れることもなく、死ぬことさえできない。


 やがて誰かが言った。いや言わなかった。


「私たちは、諦観する亡霊になったのだ」




 時間という座標だけが残り続ける。


 法則は働き続ける。


 空間や存在はあり続ける。


 だが「物体のない」世界に、日常も文明もありえない。




「物体のない」世界で人類は


「ものがある」というただそれだけが、世界に重みを与えていたのだ、と理解した。


 また見えないけれど確かにあった「物体」が、世界を形作っていたことを記憶の中で印象に残り


 そして誰もが、これまで当たり前に思っていた「あることの奇跡」に、静かに息を呑んだ。

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