揚げ最中と加賀棒茶
リビングに通されたわたしは一人ソファに座り、洗濯物を取り込みに行ったカナを落ち着かない気持ちで待った。渡しそびれたお茶菓子の入った紙袋を抱えて「うー」と小さく呻いてみたりもした。
頭の中ではお姑さんと対峙した瞬間が繰り返しリプレイされていた。別に迷う場面でもないところでわたしは一瞬迷い、手遅れになる。いつもそうだ。
今日のような些細な事でも過去の失敗を思い出して大きく気分が落ち込む。自分の優柔不断な性格が嫌いだった。人が言うには全然優柔不断じゃなくて決断も早いらしいけど、わたしの自分に対する評価は「肝心の時に迷うダメなヤツ」と固まっていた。
そこまでひと通り逡巡したわたしは大きくため息、いや深呼吸をした。友達の家へ出産祝いに訪問しておきながら、勝手に下らない理由で落ち込んでいるなんて、これはこれで迷惑な話だ。
わたしは気をとりなおして部屋の中をゆっくり見回し、いまどきの子育て世帯が暮らす家について観察することにした。マンション暮らしのケースは知らないでもなかったが、戸建ての場合はどうなのだろうか、などと思ったのだった。
広めのLDKはリビング部分だけでも十畳以上ありそうだった。ダイニングテーブルとその向こうにはアイランド形式のキッチンという、割と定番の造りだった。
サイドボードの上には出産直後に撮られたであろう家族三人の写真が飾られていた。旦那さん、結婚式当時より少し太ったなぁ、という感想を抱きつつ「幸せ太りってヤツか……」と小さくつぶやいた。
サイドボードの隣にはキャスター付きの引き出しストッカーが置かれていた。半透明な引き出しの中にはオムツやベビー用品が見て取れた。全体的に思いのほか整然としていた。
わたしが知っているマンション暮らしの子育て世帯は、もう少し雑然としていて生活感があった。今日はわたしという来客があるから片付けているのかもしれない。気を遣わせてしまったかも、と申し訳なく思うわたしがいた。
「お待たせー。だいたい乾いていたけど、子供部屋に干し直してきたからちょっと時間がかかっちゃった」
洗濯物を取り込み終えたカナが戻ってきたところでわたしは弁解した。
「ごめーん、さっきうっかりして、ご挨拶のお茶菓子をお姑さんに渡しそびれちゃった」
「ああ、そういうこと? そんな気遣いなんてしなくてもいいのに。でもせっかくだから渡してこようか? ついでにミサキを連れてくるね」
お茶菓子の紙袋をわたしから受けとったカナは、一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
「え? なにこれ? なんかすごく香ばしい揚げ物みたいな匂いがするんだけど、お茶菓子なのよね?」
「うん、揚最中っていうお菓子なんだけど、油で揚げたモナカで餡子をサンドしてあるの」
「アゲモナカ? へえ、珍しいわね。うん、お義母さんも喜ぶと思うよ」
カナはそう言っておもむろにリビングの壁中央にあるドアを開けると、大きな声で呼びかけながら入っていった。
「お義母さん、ちょっといいかしら? これ、お義母さんにって頂いたの」
不自然な場所にあったそのドアは若夫婦世帯と姑世帯をつなぐ「ゲート」だった。モダンな作りのリビングとは対照的に「ゲート」の向こう側には思いっきり和風な作りの廊下が見えた。
やや間を置いてそのゲートに、お茶菓子の紙袋を手にしたお姑さんと、赤ちゃんを抱っこしたカナが現れた。
「すみませんねぇ、お気遣いいただいて」
「ほらミサキ、エミおねえさんにご挨拶なさい」
二人が同時に話しかけてくるものだから、わたしはまたまた慌てるハメになった。が、ここは冷静に、まずはお姑さんを優先した。
「いえ、そんなたいしたものじゃございませんから……。先ほどはご挨拶もろくにできず失礼いたしました」
わたしはソファから立ち上がり深々と頭を下げた。と、そこへカナが割って入った。
「まあまあ、そんな堅っ苦しいことに気を遣わなくていいのよ、エミ。ねえ、お義母さん?」
「そうそう、エミさん、気楽にしてね。私、堅苦しいのは苦手だから」
お姑さんのその言葉を聞いてわたしは顔を上げて、今度は精一杯の笑顔を作ってみた。
「ありがとうございます。わたしも堅苦しいのは苦手です」
そこへ絶妙のタイミングでミサキちゃんが「あー」と声を上げた。
「そうよね、ミサキが一番堅苦しいのが苦手だよね~」
カナがミサキちゃんを抱きしめながら笑う。一気に場の空気が和み、皆が気持ちよく笑った。わたしはタイミング良く声を上げてくれたミサキちゃんに感謝した。
「さっきからこの香ばしい匂いが気になってね。揚最中でしたっけ? 開けてみていいかしら?」
お姑さんが楽しげに紙袋から揚最中の箱を取り出した。
「はい。揚げたてを詰めてもらったんです。お口に合えばいいんですが」
お姑さんは丁寧に包み紙を外し、箱の蓋を開けた。とたんに香ばしい匂いがあたりに広がる。中には揚最中が十二個、キツネ色のまあるい最中二枚に挟まれた餡子がはみ出しそうな姿を見せた。
「まあ美味しそう! これはさっそく頂かなくちゃね。お茶を淹れてくるわ」
そう言ってお姑さんはゲートの向こうへ戻っていった。わたしは「あ、お気遣いなく」とは言ったものの、その言葉はお姑さんに届いていなかった。そんな様子を見届けてからカナが小声で話しかけてきた。
「エミ、ほんと気を遣わないで楽にしてね? 別にそんな怖いお姑さんとかじゃないんだから」
「ごめんねー、なんだか変に緊張しちゃったよ」
わたしは苦笑いしながらソファにもたれ「ふう」とため息をついた。そんなわたしの様子を、ミサキちゃんがカナの腕の中でじっと見ていた。それに気づいたカナがミサキちゃんをわたしの方に近づけた。
「そうそう、エミお姉さんにちゃんとご挨拶しなくちゃね」
「お姉さんじゃないよ、もうオバサンだって、わたし」
と言いながらも、後々言葉を覚えたミサキちゃんに「オバサン」って言われるより「お姉さん」って呼ばれた方が嬉しいんだろうなぁ、とわたしは冷静に分析していた。
「ミサキちゃん、はじめましてこんにちは。エミねえさんですよー」
ちゃっかり”ねえさん”を自称してミサキちゃんに顔を寄せて笑いかけみた。ミサキちゃんの口元が微かに笑みを浮かべた。
「か、かわいい! 男の子の赤ちゃんも可愛いけど、やっぱり女の子の赤ちゃんってめちゃくちゃかわいい!」
わたしは自分が完全に破顔しているのがわかった。そんなわたしの様子を見てカナが言う。
「エミ、抱っこしてみる?」
「ええ?! 抱っこ? いいの? 怖がって泣かないかな?」
焦りつつも嬉しさを隠せないわたしがいた。
「大丈夫。見ての通り、あんまり人見知りしない子なのよ」
そう言いながらカナがミサキちゃんをわたしの方に差し出してきた。
「ちっちゃーい! 大丈夫かな~」
わたしはミサキちゃんを受け取ろうとしつつも躊躇した。
「もう首が据わっているから、そんなにおっかなびっくりしなくてもいいよ」
カナに促されてミサキちゃんを恐る恐る抱き上げた。カナの言うとおりミサキちゃんは人見知りしない子だったけれど、初めて抱っこされるわたしの顔を母親似の大きな瞳でちょっと不安げに凝視していた。
その時わたしはふと考え込んでしまった。──そういえば、いつも男の子の赤ちゃんを抱いてるんだっけ──と。
「エミの抱き方、サマになってるよ。ベテランのママみたい」
カナが冗談というよりは、なかば本気で感心しながら唸った。
「そ、そう? やっぱり?」
わたしはちょっと照れ笑いを浮かべた。わたしはまだ独身だったし、甥や姪の世話をした事もなかった。そんなベテランママよろしく赤ちゃんを扱えるわけがない……はずなのだけど、なぜか自然に赤ちゃんを抱けてしまった。たぶんオシメだってなんなく替えてあげられる……そんな気がしてわたしは付け加えた。
「オシメ替えたり、お風呂入れたりとか、たぶん一通りそつなくこなせそうな気がする」
カナは意外そうな顔をしつつ、にんまりと笑った。
「ほほう、もっか花嫁修業中なの?」
と聞き返してきた。それにもわたしは思わず返してしまった。
「ううん、夢の中で生後一ヶ月の男の子を世話してるの、しかもわりと頻繁」
言ってしまってからわたしは後悔した。もちろん手遅れだった。
「夢の中で?」
そこでカナは言葉をつまらせ、可笑しさをこらえてうつむいた。
「やだもう、エミったら真顔で夢の中で赤ちゃんの世話ってさあ……」
こらえきれず笑い出すカナ。わたしもつられて一緒に笑う。笑うしかなかった。
彼女がわたしの夢をどう解釈したか、だいたい推測はついた。だからカナが次に言ったことも想定内だった。ただし、どこか上から目線な物言いだったのが気に障った。母親になった自信が彼女にそんな態度に取らせたのか、それともわたしが勝手に引け目を感じていたのか……いや、そのどちらでもあった。
「エミも早く結婚して子供作りなよ。今もまだトオル君と同棲してるんでしょ? 彼にそろそろ決断させないと。そりゃ大変なことも多いけど、幸せの質も量も変わるし、世界が変わるよ~」
大きなお世話だと言いたかったけど、わたしも大人だしそこは堪えた。それにトオルとは結婚するとか子どもを作るとか以前に、ここ半年ほどぎごちない関係になっていた。今や同棲というよりは「気まずいルームメイト」と呼んだ方がしっくり来る、そんな有様だった。
関係を悪化させた原因はわたしにあった。半年ほど前から訳あって気分が乗らず、トオルを拒み続けていたのだ。彼の事が嫌いになったわけではなかったし、恋愛感情も残っていた。トオルを求める気持ちだってあった。だけどわたしの意思とは関係なく、身体は彼を拒んでしまうのだった。
ある日、深刻な表情で「自分に非があるなら直すから」と理由を尋ねるトオルに対して、わたしは「夢見が悪いから」と答えてしまった。
「そんな冗談で誤魔化すの? 俺、真剣に悩んでいるのに……」
彼はひどく落ち込んだ。申し訳ないとは思ったけれど、夢見が悪いせいというのは決して冗談でなく、わたしには切実な現実の問題だったのだ。その頃から頻繁に見るようになった「変な夢」に悩まされていたのだ。
その夢の中に登場するトオルは理解不可能な気味の悪い存在だった。それが現実のトオルと重なり、拒絶してしまうようになってしまったのだ。
夢の中のことなのに、わたしは現実のトオルとうまく折り合いをつけられずにいた。いや、逆なのかもしれない。わたしの深層心理では既にトオルを忌み嫌っていて、それがあんな夢を見せたり、トオルを拒んだりする原因になっている可能性も否定できなかった。
しかしあの夢は、そんなことだけで説明がつくようなシロモノではないように思えた。トオルでさえ登場人物の一人に過ぎないのだ。
そして「不気味なトオルの夢」と「男の子の赤ちゃんの夢」、この二つは「変な夢」の中でつながっていた。あんな夢を頻繁に見るわたしは、どこかおかしいのかもしれないとすら思えた。
わたしは自分が思っている以上に「変な夢」に生活を狂わされていた。
「エミ、どうしたの?」
カナは自分のお仕着せな発言でわたしが気を悪くしたと思ったのか、不安気に顔を覗き込んでいた。わたしの腕の中では、ミサキちゃんが母親と同じ瞳で見上げていた。
「え? ううん、なんでもない。いや、なんていうかぁ、ええっと、あー……昨日ね、トオルと喧嘩しちゃったの。ま、いつものことだけどね……」
わたしはとっさに安易な嘘をついた。けれど、トオルとの喧嘩をしょっちゅうカナにグチっていたので、彼女は疑いもしなかった。
「また? ……あ、ごめん、そんなときに余計なおせっかいだったね……」
「ううん、毎度おなじみの痴話喧嘩だから気にしないでよ」
気まずい空気が漂い出す。わたしはミサキちゃんが再びこの場を和ませてくれることを期待して抱き直した。が、そう都合よく赤ちゃんが可愛い仕草や愉快なアクションを起こしてくれるはずもなかった。
ミサキちゃんは相変わらず母親と同じ瞳で、わたしを見つめつづけていた。ゼロ歳児なのに空気を読んで、沈黙を決め込んだかのようだった。
そこへ開けっ放しだった「ゲート」の向こうから、足音とお茶碗のカチャカチャという音が近づいてきた。今度はタイミング良くお姑さんがお茶を持って戻ってきてくれた。
「お待たせ。さあ、お茶にしましょう」
お姑さんが手際よくお茶碗を並べ、急須からお茶を注ぎ始めた。カナが手出しする隙がないほどの手際よさ……というよりも、カナは最初っから手伝う気は無さそうだった。お姑さんも手伝ってもらうことをよしとしていない感じだった。二人の間には何か役割分担の不文律があるかのようだ。
「エミ、ミサキを」
カナはミサキちゃん返すよう促した。これからお茶を頂こうというときにミサキちゃんが邪魔になるだろうというカナの配慮だった。
ミサキちゃんを抱くカナ、お茶を出すお姑さん、そして客人のわたし。三人がそれぞれ本来担当すべき役割に収まったような気がした。
テーブルには揚最中が盛られた菓子皿とお茶碗が三つ並べられた。お茶碗の中は、優しい薄茶色と湯気と芳ばしい香りで満ちていた。お姑さんが淹れてくれたのは煎茶ではなく、ほうじ茶だった。
たしかに揚最中には、煎茶よりもほうじ茶の方が合うような気がした。
「さあ、頂きましょう」
お姑さんが満を持して微笑んだ。
「いただきます」
カナが左腕にミサキちゃんを抱えたまま、右手を伸ばして真っ先に揚最中を掴んだ。
「あらカナさん?」
お姑さんはやんわり嗜めようとしつつも、あまり気にしていない風でもあった。カナは揚最中を大きく一口かじった。
「うんうん、ほんと美味しい!」
そう言ってカナは満面の笑顔でおいしさを体現して見せた。お行儀がどうこうなどと些細な事はどうでも良くなってしまうような、眩い幸せオーラを放射する彼女は無敵だった。
カナにならってわたしも揚最中を一口かじった。サクッとした揚最中の食感とちょっぴり塩みが利いた味、そこへ間に挟まれた餡子の甘みがやってくる。わたしの大好きな味のひとつだった。
「あら、ほんと。初めて食べる味だけど美味しいわ」
お姑さんも顔をほころばせた。わたしは我が意を得たりという気持ちだった。自分が愛するお菓子を、人に認めてもらえた瞬間はなんだか幸せだ。
揚最中で少しハイになった気分を鎮めようと、お茶をいただいた。それは普通のほうじ茶よりも美味しく感じられた。
口の中にわずかな渋味と、控えめだけど豊かで芯のある香りが広がる。それは揚最中のどちらかというと主張の強い味とほどよく調和し、それでいてさっぱりとした後味を醸しだした。その感覚は初めて感じる心地良さだった。
「美味しい! 普通のほうじ茶よりずっと芳醇でいい香り。揚最中とすごく合うというか、これ以外はありえないぐらいの組み合わせかも」
思わず声に出してしまったら、お姑さんも我が意を得たりという表情を見せた。
「良かった! 加賀棒茶がお口にあったみたいで。ほんとエミさんが言うとおり揚最中とは特別な関係みたいね。こんなに相性のいいお菓子があったなんてねぇ」
「カガボウチャ?」
わたしは思わず聞き返した。横からカナが口をはさむ。
「去年、お土産に頂いてからすっかり気に入って、今やお義母さんのマイブームなの」
「ちょっとカナさん?」
お姑さんはカナを再び嗜めた。でもちょっと嬉しそうだった。
「そうね、確かにマイブームかしらね。お気に入りのお茶をお出しして、こうやって喜ばれるのは本当に嬉しいわ」
お姑さんはちょっと照れ笑いを浮かべながら、茶筒の缶を手にして見せてくれた。全体が艶のある黒色に塗られた円筒の正面に大きく、けれど控えめに「加賀棒茶」と書かれたシンプルなデザインは、缶を目当てに買ってしまいそうなほどだった。
「素敵な茶筒ですね。美味しい上に入れ物も魅力的だなんて。すっかり加賀棒茶のファンになってしまいました」
お世辞抜きでそう思った。
「揚最中と加賀棒茶のマリアージュを祝して乾杯!」
カナが高々と湯呑みを掲げ、真顔で誇らしげに宣言した。その様子があまりにもおかしくてわたし達は大笑いした。カナの膝の上ではミサキちゃんが、何が可笑しいのかわからない、とでも言いたげにキョトンとしていた。
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