鎌倉にて
あの日、わたしは高校時代からの友人であるカナに会うため、久しぶりに鎌倉を訪れていた。平日だったけど電車には大勢の観光客が乗り合わせていた。観光客の一群とともに駅の改札を出たわたしは、急ぎ足で待ち合わせ場所の時計台を目指した。
駅前ロータリーの右手の方、ちょっと特徴のあるカタチの小さな時計台。その側に懐かしい顔を見つけて小走りに駆け寄った。向こうもわたしに気づいて歩み寄ってきた。
「ひさしぶりー」
「元気してたぁ?」
わたしたちは手を取り合って再会を喜び合った。
「わたし太ったでしょー」
とカナは自分を指さしながら、しかしまんざらでもないという顔で笑った。
「なに言ってんの? 全然変わってないよー」
別にわたしはお世辞を言ったわけじゃなかった。高校の同級生だったカナに会うのは、彼女の結婚式以来五年ぶりだったけれど、妊娠・出産を経てもなお、彼女の容姿は全然変わっていなかった。強いて挙げるなら髪をショートにしたことぐらいで、そのせいでむしろ若返って見えた。
カナは五年前にこの街へ嫁ぎ、今時珍しく旦那の両親と同居していた。お姑さんとの関係は彼女曰く「フツーに良好」とのことだった。たぶん、それなりに気を遣いながら良好な関係を維持してきたのだろう。
だけど結婚して四年間子供ができなかったので「孫はまだか」というプレッシャーは折に触れて感じていたようだ。カナがわたしに時々送ってくるメールに少なからず含まれていた、子宝安産にご利益があることで有名な寺社仏閣を訪れたというエピソードが、そんな彼女の心境を示唆しているように思えた。
去年の元旦に至っては名古屋の近くにあるという「男性自身」や「女性自身」がご神体という神社にまで、わざわざ初詣に行っていた。
そこは春先に行われる奇祭でも有名だった。丸太から彫って作られた、長さ二メートル以上ある男性のシンボルを神輿に担いで練り歩くというのだ。カナはその「御神体」の写真を嬉々としてメールしてきた。そのあからさまなデザインに、わたしは仕事中にもかかわらず大笑いしてしまった。
カナの解説によると、かつては似たような祭りが日本全国あちこちにあったけど、昭和の高度成長期あたりで急速に廃れてしまったそうだ。彼女が訪れたのは、そんなお祭りとご神体を今に残す、数少ない神社の一つだった。
その霊験はあらたかだったようで、それからほどなく春の訪れとともにカナは懐妊した。そしてその年のクリスマスの朝、サンタからのプレゼントよろしく、元気な女の子の赤ちゃんを授かった。
翌日には彼女からの「出産速報メール」で慶事を知らされたが、その頃のわたしは仕事が大詰めで、ろくに休みも取れなかった時期だった。そんな事情から取り急ぎお祝いのメールを返して、後日電話するのが精一杯だった。
それから三ヶ月があっという間に経ち、三月も終わろうかという頃になってようやく自由な時間を得たこの日、遅まきながら出産祝いに参じたのだった。
「ねぇ、仕事辞めるって本当?」
カナが心配そうな顔で訊いてきた。
「うん、もともと三月末までの派遣契約だったし、無事に仕事も締め切りまでに終わったことだし、今は溜まりに溜まった代休と有休をまとめて消化中なの」
わたしはとある設計事務所で二年前から派遣社員としてCADオペレーターの仕事をしていた。都内某所の再開発プロジェクト立ち上げまでの臨時増員だったから、期間は予め決まっていたし、締め切り前は休みなんて取れないとわかっていた。
だからその後は少し休養しようと初めから計画していた。これから五月中旬ぐらいまではブラブラしているつもりだった。
「五月まで休んで、その後はどうするの?」
カナはわたしの身を案じてくれているようだった。
「同じ設計事務所でまた働く予定なんだ。今度は正社員でどうかって声は掛かっているけど、どうするかまだ迷ってるの」
「そうかあ、なら安心だね。エミの腕が認められたんだね」
「ううん、単に人手不足なだけよ」
内心では仕事に自信があったけど、謙遜してしまう自分がいた。この時はあまり仕事の話はしたくない心境だった。
「前に聞いた話じゃ、どこかの再開発プロジェクトに携わっているんだよね? ねぇ、それってどこ?」
不意にカナが珍しく仕事の内容を訊いてきた。
「うーん……新聞とかで知っているかもしれないけど、トーキョー・クロスの再開発関連ってやつ」
「えー!? そうなんだ! すごいね、そんな大きな仕事に携わっているんだ!」
「たいしたことしてないって。下請け孫請け設計事務所のハケンよ? それも下水配管のほんの一部に関わってるだけだし」
ここでわたしは小さな嘘をついた。実は結構核心に近いところで関わっていたのだけど、守秘義務があったりで説明が面倒くさいので、この時に限らず「孫請けで下水配管の設計を手伝っている」とか適当なことを言って誤魔化してきたのだ。そう言ってしまえば大概の人は「下水配管……じ、地味な仕事ね……」と引いてしまうので楽なのだ。
でもそんな懸念は無用だった。カナには下水配管がどうこうなんて話は聞こえておらず、ただ感慨深げにつぶやいた。
「トーキョー・クロス……もうすぐ解体されちゃうんだよね……」
その目はどこか遠くを見ていた。そう、トーキョー・クロスの解体を惜しんでいるかのように。その気持ちは分からないでもなかった。そしてわたしも遠く空を見上げてつぶやくように返した。
「そうねぇ、あれを解体しないことには再開発を始められないしねぇ……」
十年前に超常現象としか言いようのない経緯で形作られ、普通ならすぐに倒れてしまいそうな異形を保ち続けている巨大な廃墟「トーキョー・クロス」。その周囲半径一キロメートルは、倒壊危険エリアとして立ち入り禁止になっていた。
思えばトーキョー・クロスが出現したのは、わたしたちがちょうど二十歳の時だった。学生時代、夜中に悪友たちと立ち入り禁止エリアへ忍び込んで見物に行った事も、今となっては懐かしい思い出の一つだった。
東京の下町周辺にいれば大概の場所からトーキョー・クロスが見えた。あの非現実的な物体は、わたしたちが二十代を過ごした十年間の背景に焼き付いているのだ。それが解体されて無くなってしまうのだから、なんらかの感慨を持つのが普通ではないかと思う。
わたしたちは五分ほど歩き、コインパークに停めてあった車に乗ってカナの家へ向かった。車は短いトンネルをいくつか抜けつつ、曲がりくねった道を登っていった。やがて視界がひらけたところに出たかと思うと、ほどなくして高台に造成された住宅地の一角に建つカナの家に着いた。
優に車三台は停められそうな広いカーポートの右端に車は停められた。車を降りると見晴らしのよい景色が目に飛び込んでくる。南側の斜面の先、そう遠くないところに穏やかな青色を湛えた海が見えた。
海岸の方から吹く生暖かい南風が少し強く、雲の動きが速い。まだ雨の気配はないけれど、なんとなく天気が悪くなりそうな気がした。
カナの家は白い外壁が真新しく、春の日差しに輝いていた。二階のベランダには赤ちゃんの小さな洗濯物が風に揺れていた。
「ねえカナ、……洗濯物、中に取り込んだほうがいいかも? 後で雨になるような気がする」
わたしは余計なお世話かなぁ、と思いつつもカナに進言した。
「……そうねぇ、後でバタバタしたくないし、先に入れておくかー」
雨の予感はカナも感じていたようだった。
「こっちね」
カナに促されてカーポートを横切り、家の正面に回ると玄関が二つあった。手前に瀟洒なドアとランタン型の照明器具がついた洋風の玄関、その少し奥に木製の引き戸が設えてある純和風の玄関。
たぶん和風の方は姑世帯用で、洋風の方はカナ世帯用の玄関なのだろう。以前、二世帯住宅に建て替えたとは聞いていたが、こういう造りだとは知らされていなかった。
「そういえば二世帯住宅だったねぇ……」
「うん、若夫婦が子作りに専念できるようにってね、お義母さん達が気合い入れて立て直しちゃったのよねー」
苦笑いしつつ話すカナに、わたしは「はあ……」と間の抜けた相槌を打った。二世帯住宅立て替えの理由が「子作り」とは……お姑さんが「お世継ぎ」のために注ぐエネルギーの大きさに目眩がした。家屋そのものという大規模かつ具体的なプレッシャーにさらされて、カナはよく耐えられたものだと感心してしまった。
わたしなら絶対にこんな環境は願い下げだ。いくら二世帯住宅でも生活を完全には分離できないし、姑の強烈な「お世継ぎプレッシャー」まで付いてくるなんて、とても耐えられそうになかった。
「いらっしゃい。遠いところへわざわざようこそ」
そんなことを考えていたわたしの虚を突くかのように、いきなりお姑さんが〝姑用玄関〟から顔を出してお出迎えしてくれた。勢いわたしは無防備な状態でお姑さんと対峙することになってしまった。しかも想定外の微妙な距離感。若夫婦用玄関と姑用玄関は五メートルぐらい離れていた。
「こ、こんにちは! 今日はお邪魔いたします」
わたしはそう言って深々と頭を下げるのが精一杯だった。姑さんへのご挨拶用お茶菓子まで持参しておきながら、それを渡そうにも五メートルの微妙な距離が行く手を阻んでいた。ダッシュで駆け寄って渡すべきか? 後でカナに託すべきか? わたしは一瞬迷った。お茶菓子の紙袋が急に重たく感じられ、早く渡して楽になりたいと焦った。
──渡してしまえ、と決心して右足を半歩踏み出したものの、時すでに遅しだった。
「年寄りに気遣わず、ゆっくりしていってくださいね」
お姑さんはニッコリ笑い、そう言い残して玄関の中に引っ込んでいった。
わたしは「あの、これお持たせですけど」の「あ」を言おうとした口が半開きの間抜けな顔と、ダッシュしかけた不自然な姿勢で固まっていた。一瞬の迷いが深く悔やまれた瞬間だった。
カナはそんなわたしの様子に気づいてか気づかずか「ささ、入って入って」と若夫婦玄関を開けて促した。
モヤモヤした気分とお土産の紙袋を抱えてのお宅訪問となってしまった。
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