トーキョー・クロス
日和ハル
序章 午後のけさらんぱさらん
EMI(Electric Multiple Interaction)
20XX年3月のある日、夜明け前のまだ暗い時間、東京タワーがぼんやりとした光に包まれた。やがて細かな放電の火花が四方八方に激しく放射し始め、さらにはうねり動く虹色の光が周囲を満たした。そして次の瞬間、高さ三百三十三メートルの電波塔は忽然と消えたのだった。
異変はそれだけで済まなかった。しばらくして夜が明け始めた頃、当時まだ建設中だった〝東京スペースタワー〟の真上にも虹色の光がうねり始めたかと思うと、そこに東京タワーが横倒しの状態で現れたのだった。
空中に浮かんだ横倒しの東京タワーは静かに降下を始め、その大展望台が東京スペースタワーのゲイン塔先端に接触した。鋼鉄製の大型建造物同士の衝突である、たとえゆっくりとした動きに見えたとしても、激しい破壊が起きるはずだった。しかし両者はまるで立体映像であるかのように、音もなく静かに重なり合っていった。
東京タワーの大展望台と、東京スペースタワーの高さ三百五十メートルにある展望デッキが直角に重なると、そこで降下は止まった。虹色の光が静かに消えると、立体映像のような存在だったものが現実の物体として定まり、それまで無音だった世界にギシギシギシッという鈍い金属音が響いた。
姿を現したのは巨大な十字架、あるいは道標のような異形の巨大構造物。
後に人々はそれを「トーキョー・クロス」と呼ぶようになった。
わたしが二十歳の頃に起きた出来事だった。
午後のけさらんぱさらん
「最初に断っておきますが、この話はわたしが見た夢にすぎません。ほんと、荒唐無稽で支離滅裂なんですから。でも、ちゃんと夢で見たままを話すつもり……です」
わたしはやや力んでしまった。〝ぱさらん〟に話すと決心はしたものの、やはりどこか躊躇していたのだ。
「大丈夫、遠慮なく話してね。そもそもエミさんに話すよう仕向けたのは、あたしの方だし」
カウンターの向こうでぱさらんはそう言うと、手にしたゴブレットに揺れるミルクセーキを一口飲んだ。彼女は「ふふっ、甘ぁい」とつぶやき、少女のような屈託のない笑顔を見せた。思わずぱさらんの笑顔に見とれてしまう。それほどに甘くて素敵なミルクセーキならわたしも味見したい、と誘惑されてしまうほどの笑顔に。
ここ〝カフェけさらん〟の
途端にミントの刺激が口の中に広がったかと思うと、それはあっという間に喉へ鼻へと駆け抜けていった。隠し味の微かなレモンの香りが爽やかさをいっそう引き立てていた。
わたしは小さくため息をつき、胸につかえていた力みをミントの残り香と一緒に吐き出した。昂っていた気持ちがゆっくりと静まっていく一方で、気負いが鈍らせていた感覚が少しずつ蘇ってくる。そうして、あらためてカフェけさらんの店内を見渡してみた。
ランチタイムも終盤、お客はわたしの他に一組のカップルを残すのみだった。そのカップルも、そろそろ店を出ようかというタイミングらしい。
古い木製の格子窓からは午後の陽光が差し込み、窓際のテーブル席を明るく照らし出していた。床や柱の年季が入った木材が持つ艶やかな黒色と、純白の漆喰が塗られた壁のコントラストが、テーブルに照り返した光に映えて美しかった。
窓の外には青々とした葉を茂らせた桜の木が何本か見えた。ほんの一、二週間前に訪れていたなら花が綺麗だったに違いない。その向こうに続く、なだらかな山に茂る雑木林の木々が、芽生えたばかりの若葉たちに青さを競わせていた。
カウンターの奥に目を向ければ、厨房の窓に大きな枇杷の木が見えた。その枝には小さな実が付きはじめていた。
〝ケサランパサラン〟は枇杷の木の精だという伝承があるのだと、以前ぱさらんが話していたのを思い出す。でもあの時は暗くて、店の外に枇杷の木があると分からなかった。
四月も下旬にさしかかり、窓の外を彩るすべてが新しい始まりを予感しているかのようだった。そんなことに思いを巡らすぐらいの余裕を、ぱさらんの笑顔とミントジュレップが与えてくれた。
そしてわたしは、自分が今からしようとしていることに戸惑った。この日この店を訪れたのが二度目に過ぎないわたしが、常連客よろしくカウンターで店の主を独占し、夢で見たことを話して聞かせようとしているのだから、ずいぶんと酔狂なことだった。
とはいえ、わたしはぱさらんに望まれてこの話をするのだ。彼女自身が言った通り、あの日ぱさらんが話すように仕向け、今は聞く気満々の態勢で目の前に臨んでいるのだから。
わたしは今ここであの夢のことを話さなくてはいけない、という衝動に駆られていた。それすら、ぱさらんの仕業のように思えた。
それは「あの時」以来、ずっと心の中に引っかかっていた呪縛のようなものだった。そして今朝の夢をきっかけに、わたしを行動させたのだった。
「あの時」……それはわたしが初めて〝けさらんのぱさらん〟に出会った時……三月も終わり近く、夕方から降り出した冷たい雨に、辺りがすっかり暗くなった頃のことだった。
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