第3話:招かれざる訪問者
あれから三日。
私のうつくしい研究室では、『
「――それでね、聞いた話なんだけどさ」
そんな私の集中を、
「
「……薬草園で?」
思わず、解析の手を止めて顔を上げる。
「ええ。
私の険しい表情を見て、
「……ねえ、姫さん。これって、もしかしてこの間のアレと同じじゃないのかい? あの気味の悪い黒い
彼女の言葉を引き取るように、お茶を淹れていた
「姫様、尚食局でもとは……。あれが、広がっていると?」
「ええ。その通りです。同じ現象である可能性が極めて高い」
私の肯定に、二人は息を飲んだ。後宮全体に広がりつつある『
「あなたの言う通り、これは危険な兆候です。今は冷静に情報を集めるべきです……あなたにしか頼めないことがあります」
「あたしにしか……? なんだい、改まって」
「あなたの情報網が必要です。その噂の出所と、枯れた場所の正確な位置を、可能な限り詳細に調査し報告してください。これは重要な任務です。対価は、先日約束した美肌の丸薬に上乗せします」
「へえ、重要な任務ねえ……。いいじゃないか! その話、乗ったよ!」
「……ただし」と、
「あんまり無茶するんじゃないよ、
***
静寂を取り戻した実験室で、私は思考の海に深く潜った。原因の特定を急がなければ。しかし、先日の簡易的な分析では、
「……計算が合わない。これでは、
私が新たな解析術式の設計に没頭していると、静寂を破るように、固い足音が廊下に響いた。
やがて足音は私の部屋の前で止まり、遠慮のない、しかし統制の取れた扉を叩く音が響いた。
「開けていただきたい。公務での調査だ」
思考を遮られた苛立ちを覚えながら、私は仕方なく立ち上がり、扉を開けた。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。涼やかな切れ長の瞳を持つ、すらっとして背の高い男。質素だが隙のない官服を身にまとっている。
「(……妙な男だ)」
それが、私の彼に対する第一印象だった。
私の顔を見た男たちは、たいてい二種類に分かれる。一瞬息をのみ、顔を赤らめるか。あるいは、卑しい視線を胸元に落とすか。どちらも、非論理的で醜い、雄という生き物の標準的な反応だ。
だが、この男は違った。
彼の視線は、私の顔、それも翡翠色の瞳だけを、真っ直ぐに射抜いていた。そこに感情の色はない。ただ、観察し、分析し、評価を下すかのような、冷徹な光だけが宿っている。頬も赤らめず、視線も動かさない。まるで、私が美しい装飾を施された、ただの「物体」であるかのように。
合理的、というべきか。初めて見る反応に、私の胸にわずかな興味という名の不協和音が生まれた。
その背後には、鍛え上げられた体躯を持つ武官が、影のように控えている。眉の上の古い傷跡が、彼の経歴を物語っていた。
「私は
名乗った青年、
「近頃、この
彼の言葉は、私の探究心に冷や水を浴びせるものだった。光と匂い。それは術式を起動した際に漏れ出たものだろう。だが、問題はそこではない。
「そのような
私がそう切り出すと、
「無論、把握している。
「違います。これは自然現象ではありません。何者かが悪意を持って作り出した、『
私は必死に訴えた。だが、彼の黒い瞳には、何の感情も浮かばない。まるで、異国の理解不能な言語を聞いているかのようだ。
「……
「記録にないからこそ、調査し、記録すべき新たな事象です。現状を放置することは、より大きな不利益を生む可能性がある。そう判断するのが合理的ではありませんか」
「
それは、紛れもない警告だった。法と記録された事実。それだけが、彼の世界の全てなのだ。私のような、世界の真理を探求する者の言葉など、彼にとっては意味をなさない
彼はそれだけを言うと、私に背を向けた。隣の武官――
私は扉を閉め、その場に立ち尽くした。無力感と、理解されないことへの
諦念とともに、ふと窓の外に目をやった。中庭を横切り、去っていく二人の後ろ姿が見える。
その時だった。
彼の視線の先にあるのは、私が昨日発見したのと同じ、黒く結晶化した薬草。
彼はそれに近づくと、屈み込み、汚染された葉を指でつまみ上げた。そして、誰も見ていないと思ったのか、険しい顔で、何かを深く思案するような表情を浮かべた。
その横顔は、先ほどの冷徹な官僚のものとは、まるで違って見えた。
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後宮の片隅に追放された天才術師の姫、帝国の闇を『狂いなき術式』で解き明かす 〜方術姫はうつくしい術式しか愛せない 〜 AKINA @AKINA-SE
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