第1章:冷宮の天才と最初の穢れ
第1話:冷宮はうつくしい研究室
その広大な版図の片隅、
季節の彩りさえ訪れるのをためらうかのような、静寂と埃に支配された場所。
「……完璧です」
私、
部屋の中央、巨大な水桶で衣類が静かに渦を巻く。動力はない。ただ、水桶の縁に等間隔に置かれた七つの小さな
私が昨夜改良したばかりの『自律回転式洗濯術式』だ。布同士が絡まることなく、汚れだけが効率的に分解されていく。その寸分の狂いもない流れは、完璧な数式が奏でる音楽のようだった。
侍女もいない。訪れる者もほとんどいない。嫉妬や羨望といった、人の感情がもたらす非論理的で醜い雑音の一切が存在しないこの場所。世界の真理たる「
「(祖国を追われた非力な王女。ですが、ここでは私だけが世界の法則を決めることができるのです)」
「あら、
その静寂を破ったのは、戸口に軽薄そうに寄りかかる一人の女性だった。元宮廷楽師の
「これは『妙な術式』ではありません。生活の質を向上させるための、合理的でうつくしい仕組みです。あなたにはこの数理的な調和が理解できないのですか」
「さっぱりね。あたしにわかるのは、姫さんがまた夜更かしして、目の下に隈ができてるってことくらいさ。まったく、国が傾くほどの美貌の無駄遣いだよ」
埃っぽい作業着を着ていても、その立ち姿だけで育ちの良さが隠せない。すらりと伸びた背筋、細い腰。そして、きつく結い上げられた長い黒髪が揺れるたびに、豊かな胸の輪郭が衣越しに浮かび上がる。
「……」
切りそろえられた前髪の下で、術式の真理を映すかのように澄んだ翡翠色の瞳が、目の前の水桶にだけ注がれている。その整然とした横顔は、まるで精緻な絵画のように、非の打ち所のない気品を
本人がその価値に全くの無頓着であるからこそ、その美しさは、いっそう際立って見えた。
「それより、頼まれ物の薬草だよ。見返りは、いつもの『おしろい』だろうね?」
「ええ。ですがその前に、あなたに渡した化粧水、最近効きが悪くなったとは感じませんか?」
「え? ああ、言われてみれば……。あんた、あたしに不良品を掴ませたのかい! それだけじゃないんだ。最近なんだか体も鉛みたいに重くってさ。後宮じゃ、妙な風邪が流行ってるって噂だよ。熱もないのに、まるで生気を吸われちまったみたいに、みんな体がだるいんだとさ」
声を荒らげる
「原因はあなた自身です。その生活では、肌の『
「うっ……。い、言われなくてもわかってるよ!」
彼女はばつが悪そうに顔をそむけると、懐から薬草の包みを差し出した。私は代わりに、
彼女は、化粧品や薬を侍女たちに高値で売りさばく代わりに、様々な材料や面白い情報を仕入れている。
「ほっほっほ。また賑やかですな」
いつの間にか背後に立っていた老宦官の
「
「これは申し訳ございません。厨房で少々、いざこざがあったようでして」
「いざこざって?」
「それが、
「へえ! あの気の強い女同士がねえ。まあ、そんなの可愛いもんさ。今、宮中で一番の噂といやあ、
下世話な話に花を咲かせる
「(村一つを吹き飛ばす兵器? なんと非効率で、醜い力の使い方でしょう)」
私は内心で吐き捨てると、二人の下世話な会話を思考から遮断し、
非論理的ではあるが、不快ではない時間。私が気づかぬうちに築かれつつある、奇妙な調和の一片だったのかもしれない。
***
食後、私は自ら手入れをしている中庭に出た。ここは薬草の栽培も兼ねた、もう一つの研究室だ。
全ての植物は、生育に最適な間隔を計算し、完璧な幾何学模様を描くように植えられている。土の配合も、水の量も、日照時間さえも私が最適化したものだ。その結果、どの薬草も青々と、力強く育っている。この庭は、私の完璧な理論が正しかったことの証明でもあった。
だが、その一角に、異物があった。
一株だけ、不自然に枯れている薬草。それも、ただ枯れているのではない。葉の一部が、まるで黒い
ありえない。
栄養不足でも、病でもない。私の完璧な計算と管理下に置かれた庭で、このような非論理的な現象が起こるはずがない。
それは、完璧に奏でられていた交響曲に割り込んだ、耳障りな不協和音。
私のうつくしい世界に投じられた、最初の
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