第二十四話 過去と後悔の残滓
目の前に広がる景色が、まるで別の時代のものに見えた。深く生い茂る森と土の道。石碑も消え、残っているのは小さな祠と切り立った崖だけ。さっきまであったはずの柵もない。足を滑らせれば真っ逆さまに落ちてしまうだろう。
街の端は、藁葺き屋根の家がぽつぽつと建っているだけだった。現代の喧騒も便利さもここにはない。タイムスリップした、と考えるのが一番わかりやすい。けれど頭は追いつかず、頬をつねってみたが....うん、夢じゃない。
状況を整理しようとしていたとき、背後から声が聞こえた。
「さ、もうつくでな。祠さお供えして家さ帰んべ」
「うん!」
振り返ると、ぼろぼろの衣服を身に着けた痩せた男とその子どもがこちらへ向かって歩いていた。
「ほら着いたぞ。神様、こんなもんしかありませんが、お召し上がりください」
「……ください」
祠の前に膝をつき、持ってきた小魚と木の実を置いた。
「なぁとうちゃん、ここの神様はなんの神様なんだ?」
「おらたちの村さ見守ってくれている神様なんだ」
会話を聞きながら、俺は彼らの横顔を見ていた。男は老人に見えるほどやつれていたが、子どもはまだ幼い。生きるために必死なのが伝わってくる。それでも祠に手を合わせ、何かを願わずにはいられないのだろう。
ここに立っていても驚かなかったし、ちょっと質問してみるか。
「あの、すいません。少しお尋ねしたいのですが」
声をかけてみるが、彼らは俺の言葉をまるで聞いていないかのように帰ろうとする。
「あっ!ちょっとまってください!」
慌てて肩に触れようとした瞬間、俺の手はすり抜けた。
「……なっ」
幻ではない。地面の石や木の幹には触れられる。だが、彼らには届かない。混乱する俺の耳に、別の声が降ってきた。
「そりゃあそうだろう」
頭上から聞こえた声に身構えると、枝にとまる小鳥がいた。鮮やかな羽を揺らし、まるで笑うように首をかしげる。
「危害を加えるつもりはないよ。君は何者だい? 私の記憶の中に入り込むなんて、普通じゃないね」
「……どっちかって言うと、それを聞きたいのは俺なんだが」
「ん?いや、すまない。名乗り遅れたね。と言いたいが……名乗りたいが、もう名前なんて忘れてしまった。ただの鳥さ」
「俺は藤原大地だ。この時代の人間じゃないが、まぁただの一般人だ」
俺が名乗ると、小鳥は目を見開いたように動きを止めた。
「ただの一般人か、なんで君はこんなとこにいるんだい?人の記憶の中に入り込む趣味でもあるのかな?」
鳥は遠くの村を見ながら会話を続ける。
「馬鹿言うなよ、そんな特殊な趣味はないし、普通出来ないだろ」
「まっそりゃそうだろうね」
小鳥は祠の前に下り、供えられた小魚をついばむ。
「おい、それは神様へのお供え物だろう?」
「そうだよ?だから美味しくいただいているのさ」
「?」
「ここに祀られている神様は僕なんだよ」
!? じゃあなにか?この黄色い小鳥がこの村を守る神様なのか?
「そうだよ、この小鳥が神様なのさ。不思議だろう?」
心を読まれてる。悪口は言えないな、言葉使いも気を付けないと。
「気を使わなくていい。小鳥相手に丁寧な言葉を選ぶ必要もないさ」
ぐっ....。心を読まれてるんだから何を考えても結果は同じか。
「わかった、じゃあこのままで失礼するぞ。その神様がここに祀られているのには理由があるんだろ?」
小鳥は少し目を伏せ、静かに語り始めた。
「僕はね、村に災いが迫るとき、さりげなくそれを避けるように村人を誘導したりしていたんだよ。崖崩れの前に人を遠ざけ、病に倒れた者には薬草や木の実をこっそりと届けた。誰も僕の存在を知らなかったけれど、村人たちは“山の神様が助けてくれたと信じ、やがてこの祠を建てて祀り始めたんだ」
声に重なるように景色が揺らぎ、過去の断片が浮かぶ。飢えに苦しむ村人、薬草を抱いて涙を流す母親。確かにそこには小さな奇跡があった。
「祀られることで力を得て、僕は言葉を念として伝えられるようになった。そんな時だったかな、ひとりの少女がよくここに通ってきたんだ。楽しそうに話してくれる彼女の声が、僕にとっては何より嬉しかった。孤独ではなかったから」
鳥の瞳が、懐かしさに揺れる。
「だが……嵐が来たんだ。山を揺るがす大災害。僕は必死に念を飛ばし避難を促したが、轟く風と恐怖にかき消され、村人たちは混乱のまま飲み込まれていった。多くの命を救えなかったよ」
小鳥の声が震える。俺は黙って聞くしかなかった。
「さっきの親子もその嵐で死んだ。この祠もその時に壊れてしまったよ。彼女は重傷を負い、生死の境をさまよっていた。僕は怖くて、それ以降会いに行けなかった」
小鳥は小さな体を縮め、ただうつむいた。
「……僕はね、過去にとらわれているんだよ。自分の後悔の念が、僕自身をこの記憶に縛りつけている。巻き込んでしまってごめんね。まぁ普通は巻き込まれることはないんだけどね」
痛みが伝わってくる。鳥の告白に、胸が締めつけられるようだった。
「....確かに、お前が守れなかった命もあっただろう。でも、それだけじゃないはずだ。守れた人もいたんじゃないのか」
鳥は黙る。俺は言葉を続ける。
「未来を見たことはあるか? 俺の時代には、この場所に石碑が建っていたんだ。あんたが嵐から救った人たちが、祠の代わりに祀り続けて、立派な石碑を残したんじゃないのか?」
「……確かに、僕は未来を見ていない。怖いんだ。祀られなくなって、この村も消えていたら……僕は耐えられない」
「だったら、一緒に確かめに行こう。大丈夫だ。理由はわからないけど、なんでだろうな、保証できるぜ?」
鳥の小さな瞳に、わずかに光が戻る。
「……そうか。そこまで君が言うなら、行ってみよう。この過去がどんな未来へと繋がったのかを」
その言葉とともに、世界が眩い光に包まれていった。視界は白に染まり、音も消えていく。俺はただ、その先にある未来を願いながら目を閉じた。
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