第五話 陽翔の見た景色
今日は――珍しく、静かだ。こんなに静かな日はいつぶりだろう。
学校帰りに商店街のアーケードを歩いていても、いつものような緊張は胸の奥で小さな火のようにくすぶっているだけで、すぐに消えそうだった。戦闘のない日が続くと、身体は楽だけど落ち着かない。
俺はいつでもすぐ変身できるように、呼吸を整えて胸を張る。そうすることで自分を保っているんだと思う。
駅前でふと見覚えのある姿を見かけた。パンの耳をちぎってハトに与えている――あの人だ。藤原大地。皆が「あの人」と呼ぶやつだ。
なぜ名前まで知っているのかというと、毎回怪人との戦闘に巻き込まれてて、必ず無傷で帰っていくから。何ならあいつのおかげで勝てているようなもんだし、あいつがヒーローなんじゃないかって思えてくる。
そんなあいつが気になって声をかけたのがきっかけだ。今では普通に会うたびに会話をする仲だ。
コテンパンにやられている俺よりあいつの方がよっぽど強いと思うんだけど。――あれは、どう考えても普通じゃない。
正論で考えれば、スーツの力なんてないはずだ。俺たちのスーツは神様に選ばれた証で、防御だって攻撃だってあれこれ備わってる。だがあいつは変身せずに怪人の必殺をものともせず平然としている。何か――秘密があるに違いない。あるいは、別の理由が。
店先でハトに餌をやる彼の横顔を見ていると、不思議と嫉妬と敬意が入り混じった感情が湧く。自分はヒーローとして神様に選ばれている。だが、実際に人を守る冷静さや落ち着きは彼の方がずっと上だ。なんだろう、羨ましい。情けないくらい、羨ましい。
そのとき、澪が駆け寄ってきた。制服に手袋、眼鏡の縁が曇りかけている。
「陽翔先輩、今日は練習あるんですか?」
「あぁ、午後に少し。あ、あの人見たか?」
澪はパン屋の方をちらりと見て、少し眉を寄せる。
「あの人、私が選ばれたときに一緒にいたおじさんですよね。あの人強い......ですよね?神様の基準って……」
「分かんねぇよ。単純に羨ましいなって思っただけだ」
俺は素直に言った。澪は少し考えてから首を傾げる。
「おじさん、戦った後も表情が変わらないですよね。なんなら戦闘に巻き込まれている時だって何一つ困った顔していないですよ。強い人って、そういうものなんでしょうか?」
その言葉で胸の中のざわつきが少し落ち着いた。だが同時に、別の疑問も膨らむ。
強さを持ちながら選ばれない理由があるとしたら、どんな理由だ? 神様の”基準”は何なのか。正義心の純度? 食いしん坊かどうか?
話しこんでいると、パン屋の店主が俺たちに声をかけてきた。パン屋の前で立ち話をしていたらしい。気づかなかったぜ。
「陽翔くん、この前はありがとうね。子供たちが喜んでたよ」
その一言で、心の中の小さな炎がまた大きくなる。俺はただ、できる限りのことをしたいだけなんだ。スーツに選ばれた重さは、ただの証明じゃなくて、誰かの笑顔を守る責任だと信じたい。
結局俺は自分に言い聞かせる。
「誰が選ばれるかは分からない。神様の采配は分からない。でも、ここで怯むわけにはいかない」
最後に、少しだけ大地の方へ寄ってみた。大地は餌の袋をたたんで、こちらをちらりと見た。心のもやもやを振り払い話しかける。
「ここでなにやってんだよ、大地」
彼は困ったように笑って、肩をすくめた。
「いや、仕事が終わったから……ちょっとここでのんびりと、な」
その言葉の軽さに、救われるような、ちくりと痛むような、複雑な気持ちになった。彼の”ただの”が本当にただのものならいい。だが、どこかで彼が抱えるものがあるなら、いつか自分が理解できるようになりたいと思った。
俺は胸を張って、いつものように空を見上げる。
もっと強くなる。誰かに見守られて、安心してもらえるヒーローになるために。
それが今の俺の役目で、恐怖と期待を抱えたまま、俺は歩き続ける。
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