第2話 魔王軍の動向、そして
数日後──
「ほう、勇者の血を引く者が待遇への不満から、その役目を
魔王ナグ・ル・ケルは、玉座で口もとをゆるめた。
鋭い角とドクロに似た恐ろしい
宝珠を散りばめたローブは漆黒に染められている。
報告を終えたコウモリめいた使い魔が、闇へ飛び去った。
「ふんっ、人間はすぐ愛や絆などと綺麗事を並べるが、欲望が絡めばこんなものよ。やはり圧倒的な力と恐怖による支配。魔を
邪悪な魔力をほとばしらせると、
「勇者を欠く人間の軍勢など敵ではない。これで人間界は我が物だ、まずは主要な都を一斉に攻め落とすとするか」
手のひらを前に突き出し、
「いでよ! 4つの軍団を指揮する、我が忠実なる
彼の呼び出しに即応し、4体の上級魔族が現れる。
普段ならば。
しかし、今は何も起こらず、辺りには静寂が落ちるだけだった。
「なにをしている⋯⋯いでよ、四魔将たち!」
再び呼んでみるも、声だけがむなしく、広い部屋の中を渡っていく。
「どうしたことだ。そういえば、作戦参謀や秘書官もこのところ見かけんが」
魔王が不審に思っていると、扉が開いた。
「し、失礼いたします」
現れたのは魔族の一般兵士だった。
驚くべきことに、この魔王城において人間を連れている。
「おい、そいつはなんだ。誰の許しで、我が城の門に人間をくぐらせた」
「魔王様、大変申し訳ございません。しかしこの人間は、四魔将様と作戦参謀様と秘書官様、つまり魔王軍幹部クラスの連名による巻物を持っていましたので」
「なに、連名の巻物をだと?」
「はい、魔力による印が押された本物です。この者を魔王様のところまで丁重に案内せよ、とメッセージも添えられておりまして。詳しいことは、私などにはまったく分かりません」
兵士は機嫌を損ねないよう、ペコペコと何度も頭を下げながら退室した。
魔王は残された、ローブの人間を睨みつける。
その男は恐れるどころかスマイルを作り、
「はじめまして。私、「退職代行会社いのちだいじに」のセージと申します。本日は配下の方々の件でうかがいました」
「退職代行、先の報せで聞いたな。いったい何用だ? 人間風情が、なぜ幹部連名の巻物など
「その幹部の方々から、ご依頼をお受けいたしまして。単刀直入に申し上げますと、皆様、魔王軍を辞めたい、とのことで」
「なんだと!? 圧倒的な我が力によって統率される幹部たちが、辞めたいとはどういうことだ!?」
「皆様がた、日常的な暴力とたび重なるハラスメントにもう我慢の限界だそうです。力による統率とは、受ける側からすれば恐ろしい恫喝に他ならないわけでして」
「今まで目をかけて取り立ててやったというのに」
なんと情けない奴らだっ!
魔王は拳を震わせる。
その前でセージは平然と巻物を開くと、
「こちらには忠誠の誓いを破棄する呪文と魔王軍離脱の理由、血によるサインが。私たち人間でいう退職届が記されています」
「そこに我への忠誠を軽んじる言葉があるのか」
「ああ、この巻物を破ったり、私に危害を加えたりしても何も変わりませんので。それだけはご理解を」
「お前など殺したところで何になる。構わん、奴らの理由とやらを説明してみせろ」
「かしこまりました。こちらも好都合です。依頼のさいに、離脱理由やメッセージを伝えてほしいとお願いされていまして」
セージはコホンと咳払いすると、
「まずは暴力ですね。自分の意に沿わないことがあるとすぐに殴る蹴るの暴行を加える。不機嫌だと、受け答えが気に入らないなどの些細はことで、不可視の魔力の衝撃波で壁に叩きつけられる。そのうえ、へこんだ壁の修理代まで請求されたと」
「力によって統べるのが魔族のやり方だ。今さらそれに不満を覚えるとは、腑抜けた奴らよ」
「次は個々の理由です。水の魔将ザパーン様から。
作戦内容を変えたほうがいいと控えめに進言しただけで、うるさい黙れ、と大怪我を負わされた」
「我の考えに口を挟むなど、千年早い。海路を封じるために海にいくつも大渦を作れと命じたのに、港を制圧すれば済むのでは、などと口答えしおって」
「接岸を不能にする、そちらのほうが合理的かと」
「合理、不合理の話をしているのではない。いかにして人間に恐怖心を抱かせるかが問題なのだ」
「ああ、左様で。次は地の魔将ジャイアズ様から。
明確な注文をされずにゴーレムの改良を命じられ、徹夜で何度作ってもリテイクを繰り返された。そのたび、自分が鉱物で体を復元しやすい種族のためか、罵倒を受けながら攻撃魔法で体の半分近くを吹き飛ばされた」
「奴が、あのでかい岩の
「はあ⋯⋯いやあ、うちでもよく相談されるのですよね。具体的な説明をせずにダメ出しばかりするバカ上司の件」
「⋯⋯今、遠回しに我のことバカって言った?」
「いえいえそんなまさか、遠回しになど全然。次は」
「風の魔将シュバッツだろう。あの男は人間から敗走しておきながら、少し叱っただけで不服そうな空気を出していたからな」
「幹部の方々、その他大勢の前で「お前など四魔将で最弱、人間などに敗れるとは、魔族の面汚しよ」などと、どこかで聞いたような言葉で延々なじられたと訴えておいででした。これは精神的に苦痛を与える、モラルハラスメントですよ」
「ふんっ、
「なに「上手い皮肉を言ってやった」みたいな顔してるんですか。はい、では次です、秘書官エロイナ様。
なにかあると隣に立つ私のおしりを撫で回してきた。幹部が揃う軍議の途中でも平気で触ったり揉んだりが常態化していた。⋯⋯あーこれは完璧なセクシャルハラスメントですね」
「尻たぶと太ももの間に
「なにが悪い、と申されましても」
「まったく、この魔王じきじきのスキンシップをセクハラなどと拒んでいたとは。本来なら寵愛を
「⋯⋯魔王なのに、精神構造が人間のセクハラ常習者となんら変わらないとは」
「口をつつしめ。尻を触る理由1つ取っても、魔王のほうが高尚なのだ。ところで、四魔将をリーダーとして預かる火の魔将マナツ・ノーナベヤ・キウドゥン、作戦参謀プランネルガは何と言って我から離れるつもりだ。聞いてやる」
ではお伝えしましょう、とセージは眼鏡を直した。
「作戦参謀プランネルガ様より。
魔王様は私の立案した作戦を信頼せず、いつも横槍を入れてくる。そして無茶な作戦を強制させ、上手く行かなければ、努力が足りないからだと部下に責任転嫁し、見せしめに末端の兵士を処刑したりもした。
過剰に恐怖をあおっては魔族といえど兵の士気は保てない。そう何度もお
敗走したと言われるシュバッツ殿も、わずかな手勢で魔法王国の精鋭部隊、上級魔術師100余名のもとに突撃させる無謀な作戦の被害者と言える。命令通りに
火の魔将マナツ殿も私の思いに同感だと語った。
折に触れてシュバッツ殿を貶める言動には、武人としてつねづね腹に据えかねるものがあったと。
これには2人が幼稚園のころからマナちゃん、シューくんと呼び合う仲だったのも関係するだろうが。
仲間意識の強かった魔将らはこれまでの扱いを語り合い、相談して、離脱の意向がまとまった」
「奴らが結託して、このような真似をしでかしたか」
「最後に「我々は魔王軍を離脱するが、
「反旗を翻したつもりはないだと? 我に対し、反逆と取れる行動は絶対に許さん。この魔王の前には従属か死あるのみ。魔王軍全軍をもって、奴らを倒す」
「ああ、それについてですが」
「なんだっ!?」
「申し上げにくいのですが、魔将を慕う軍団はみんなあちらについていくそうで。つまり魔王軍を構成する4つの軍団、全員が退職届を出しています」
「え、ええ!? 待て、なんだ全員が辞めるとは。現在、我が軍が制圧する地域はどうなっている」
「すでに撤収を始めているそうです。その動向を知らないのは、この城にいる兵士くらいなもので。ですが情報が広まれば、ここの兵たちもおそらく」
「待て、待て、配下がいなくなったら、誰が現場を回すのだ。侵攻した地域をすべて人間に奪還されたら、さすがに我だけでは、どうしようも──」
ぐぬぬ、と魔王は魔力を噴出させて歯噛みすると、
「おのれ、プランネルガめ! こうなれば我自らの手で死の鉄槌を下し、奴の首をもってして再び軍団を服従させてくれるわ!」
「ああ、お待ちを。その場合について、追加でお伝えするメッセージがあります」
「なんだ、まだ何かあるのか!?」
「プランネルガ様の想定によりますと、魔王はどの点においてもこちらの能力を
「そうとも、我は魔なるモノたちの王だ!」
「だが一致団結して挑めば、必ずこちらが勝てる」
「む!?」
「我々は魔族ゆえ、離脱の意思を伝えれば必ず壮絶な殺し合いへと発展する。むやみにことを荒立てたくはないので、今回、退職代行を頼むという形にした。
しかし、あえて戦おうとするのなら、いつでも全員でお手向かいする準備は整っている。とのことです」
「ぬうっ⋯⋯」
魔王も瞬時に想定する。
幹部たちが一斉にかかって来たとしたら。
すべての力を出し切っても、良くて全員と相打ち。
参謀がこうしたメッセージを用意している以上、相手はその辛勝の結果すらも覚悟の上なのだ。
振り上げた腕を下ろせず、魔王はそのまま震える。
「う、うううう⋯⋯」
「では、以上で私の仕事は済みましたので、失礼させていただきます」
「待て!」
「ほかに何か?」
「退職代行会社のセージといったな。お前の会社はどんな職でも辞めるための手配をするのか」
「はい、お客様のご希望であれば」
「そうか⋯⋯⋯⋯我、もう魔王を辞めたいんだが」
かくして、魔王軍は自壊に近い形で無力化し、世界に平和が訪れた。
暗雲は晴れ、鳥が歌い、大地に花が咲き誇る。
平和だ平和だ、と国王カッタルイと大臣メンドイはのんきにしていた。
が、戦費を理由に過剰に税金を取り立てていたことや、勇者を粗末な装備で旅立たせようとしたことが露見する。
カッタルイは大きく支持を下げ、メンドイは大臣職を追われた。
国王は民からの不人気が尾を引き、やがて早々に王子へと王座をゆずって、隠居するはめになった。
一方、魔王の元幹部たちは軍団を連れて魔界に戻り、プランネルガを中心とした小国を作った。
ジャイアズとザパーンが治水で住みやすい環境を作り、シュバッツとマナツはどさくさに紛れて夫婦になっていた。
エロイナはメリハリのある大迫力のボディで、無自覚に周囲を魅了し続けている。
魔王を廃業したナグ・ル・ケルも魔界に帰ったが、その後しばらくして、野望とともに再起をはかる。
しかし。
人間と干渉しない穏健派の魔族との勢力争いに敗れ、辺境の小さな領地へと追いやられた。
国王と魔王。
立場は違えど、2人は自らの名を地に落とした。
「下の者にもっと手厚く接していれば⋯⋯」
しょんぼりしながら後悔しても、もう遅い。
冒険者となって、よろしくやっているダリィ。
その先祖である、伝説の勇者ダルツ。
伝説とは得てして、語り継がれるなかで多くの武勇伝が
彼の場合も例外ではなく、実際はあまり戦わずに当時の魔族を退けた。
そこには、弁が立ち、知識を生かした交渉で味方を増やし、肝のすわった駆け引きで敵を切り崩す。
そんな、文字通りの「賢者」の活躍があったからだという。
賢者の子孫が今なにをしているのか。
その情報はどこにも残されていない。
旅立ちの日、勇者は城に向かわず退職代行へ行った @chest01
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