第34話

「なんで、そんなことを?」

「だって……」


 彼女は、にこりと笑った。


「そっちの方が水葉ちゃんは、ドキドキするでしょ?」


 その笑顔は、私の知る惠利沙のものではなかった。人を惑わすような、妖しい笑み。私は鼓動が速くなるのを感じた。


「わかるよ。水葉ちゃんが、私にドキドキしてるの。その感情が欲しいの。どうして惠利沙はこんなことをしてるの? って、私のことで悩んでほしいの。それに……」


 彼女はきゅっと、自分のスカートを掴む。子供のような仕草だけど、実際目の前にいるのは、子供の惠利沙なのだ。


「無邪気なふりをしないと、水葉ちゃんがいなくなっちゃう」


 そう言って、彼女はブランコを漕ぎ始める。私は彼女を追うように、ブランコを漕いだ。風の感覚が心地いい。夢の中でも、春であることは変わらないらしい。


「いなくなるってどういうこと?」

「そのまんまの意味。私が本気で、水葉ちゃんにえっちな目で見てほしいから誘惑してるんだって知ったら……気持ち悪いって思うでしょ?」

「思わないけど……」

「え?」


 いや、これまでの天然加減が全部演技だったなら、演技力やばすぎない? とか小悪魔すぎない? とか色々思うけど。


 でも。

 あんな下着見せてきたりとかキスしてきたりとか諸々のことが全部、私にその、えっちな目……で見てほしいからやったんだって思うと。


 嬉しいというか、そんなに想ってくれてありがとうっていうか。

 実際そういう目で見ちゃってたっていうのも少なからずあるし。……いや惠利沙はともかく私はキモいか? いやいやでもでも。


「どんな形にせよ、惠利沙が私を想ってくれるのは嬉しいよ。気持ち悪いわけないじゃん」

「ほんとに? 本当は、水葉ちゃんが私をどう見てるかとか、こうしたらきっとこう思うとか、全部計算してやってたんだよ?」

「これまで私がドキドキしてたってこと、全部バレてるのは恥ずかしいけど……それでもいい。だって私、惠利沙のこと大好きだから!」

「……水葉ちゃん」


 ずささ、と音がする。彼女は地面に足をつけて、ブランコを止めていた。私はブランコから飛び降りて、彼女の方を振り返った。


 ブランコが、なくなっている。

 いつの間にか中学のグラウンドに変わっていた。


 惠利沙は、どこにいるだろう。私は校舎に向かった。

 すぐに見つかると想ったけれど、見つからない。教室を探してみても、校舎の隅っこを探してみてもどこにもいない。もしかして、街の中に隠れているとか? そう思った時、上からくすくすと笑い声が聞こえてくる。


 見上げるとそこには、上の階から私を見下ろす惠利沙の姿があった。


「いたなら声かけてよ」

「やだ。水葉ちゃんに見つけてほしかったんだもん」


 子供みたいなセリフだ。

 私は小さく息を吐いて、階段を上った。


 屋上に続く扉の前に、彼女は立っていた。もうだいぶ、私の知る惠利沙に近くなってきている。


「めんどくさいって思ったでしょ」

「全然。かくれんぼもたまにやると結構楽しいね。童心に返れる感じ」

「ふーん……」


 彼女は退屈そうに言う。これが惠利沙の、本当の姿なんだろうか。


 その時、ざわめきが聞こえてきた。さっきまでしんと静まり返っていて誰もいなかったのに。足音とか話し声とか、そんな様々な音で校舎が満たされていく。惠利沙はゆっくりと、階段を下り始めた。


「私ね。ずっと前から思ってたの。こんなことしたら気持ち悪いって思われるかもって心配なのに、それでもやっちゃうのは……私がサキュバスだからなのかなって」


 廊下にはたくさんの生徒が歩いていた。彼女はそのまま、流れるように廊下を歩く。私も少し後ろからついていって、やがて止まった。


 目の前に、二人の女の子が立っている。

 友達と話しているその子は、間違いなく。

 かつての私だ。


「サキュバスだから許されることがあって、水葉ちゃんと深く繋がれたりもして。でもサキュバスだから、踏み込めない。肝心なところで怖くなって、足を引っ込めちゃう」


 中学の頃の私は、楽しそうに友達と話していた。かつての自分をこうして見ていると、なんだか不思議な心地になる。


「こんな力なければよかったのにって、ずっと思ってきたけど。この力がなかったら、私がサキュバスじゃなかったら……水葉ちゃんとも、ずっとずっと、ただの友達のまま」


 彼女はくるりと私の方を振り返る。その表情は、ひどく寂しそうだった。


「本当は、ずっと水葉ちゃんのことを独占したかった。でもこれが本当の気持ちなのか、サキュバスとしての本能なのかもわからなくて、怖くて……だけどやっぱり、抑えられなくて。気持ち悪いよね、私」

「どうして惠利沙はそんなに、気持ち悪いとか気にするの?」

「だって……私は水葉ちゃんとは違うから。違うから、変に見られちゃうかもって心配になるの。不安になるの」

「皆、人とは違うところがあるものじゃないの?」

「そんな単純じゃないよ。夢を操れる人なんて、精気を奪える人なんていないでしょ?」

「それはそうだけど……」


 惠利沙の気持ちを、心から理解することはできない。良くも悪くも、私は人だから。でもこうして言葉を交わして、友達でいられるのなら。それは大した差ではないようにも思えるのだ。


「ねえ、水葉ちゃん。こんなぐちゃぐちゃな私でも、まだ好きって言える?」

「言えるよ。私は、惠利沙のことが好き」

「水葉ちゃんのこと、閉じ込めちゃいたくなる私でも?」

「うん。それも惠利沙でしょ?」

「……あはは。ずるいなぁ、水葉ちゃんは」


 惠利沙はそう言って、私をそっと抱きしめてきた。


「私、これからもたくさん水葉ちゃんに迷惑かけるよ。まだまだこの力も、気持ちも、全然制御できてないから」

「うん。私もきっと、惠利沙に迷惑かけると思う」

「水葉ちゃんの思う迷惑なんて、迷惑のうちに入らないよ」


 甘い匂いがする。私のよく知る惠利沙の匂いだ。その匂いと温かさにドキドキしながら、私は彼女を抱きしめ返した。


 やがて彼女は、私を解放してくる。

 いつの間にか、廊下からは人の気配が消えていた。


「……私のことよろしくね、水葉ちゃん」


 彼女はそれだけ言うと、景色に溶けるように姿を消した。次はようやく、私の知る惠利沙に会えるだろうか。そう思っていると、不意に体が浮遊感に包まれた。


 またですか?

 いい加減自由落下はもう十分って感じなのですが。


 そんな思いが通じたのか、今回の落下は短かった。また草原に帰ってきたのかと思ったけれど、違った。そこは並木道だった。花も葉っぱもついていない、寂しげな木々に見下ろされた並木道の奥に、惠利沙が立っている。気温は春って感じなのに、景色だけが冬だった。

 私は彼女に駆け寄った。


「引いたでしょ、色々」


 開口一番に、彼女は言う。


「全部、ほんとのことだよ。天然のふりしてたのも、ずーっと水葉ちゃんのこと独り占めしたいって思ってたのも……」

「それの何が悪いの? 私だって、惠利沙のことできるなら独り占めしたいよ」

「だって……ずっと、隠してきたし」

「別に隠したっていいじゃん。隠し事の一つや二つくらい、誰にだってあるし」

「でも」

「でもじゃない」


 強く彼女の手を握る。惠利沙の気持ちを、全部はわからない。わからないけど。


「私は惠利沙のこと、好きだよ。好きだから……もっと頼ってほしい。甘えてほしい。変なことだってなんだって、ちゃんと私にぶつけてほしい。今回みたいに、チャームをかけようとするんじゃなくて」

「……いいの?」

「いいよ。言葉でちゃんと伝えてくれたら、私も受け止められるように頑張るから」

「私……まだまだ未熟だから、たまに今日みたいに暴走しちゃうよ」

「それでもいいけど……逃げないでよ。悲しいから」

「……ごめんなさい」

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