第32話

 そう意気込んで迎えた放課後。今日は他の友達に誘われることもなく、惠利沙と二人きりになることができた。肩を並べて歩いていると、それだけでドキドキしてしまう。私の心は、ひどく単純だ。


 胸に手を当てて深呼吸してみる。

 何度も頭の中でシミュレーションしてきたけれど、実際に好きです付き合ってくださいって言おうとすると、胸がぎゅって痛くなる。一歩踏み出すのは怖いし、何が起こるかわからなくて不安だ。でもその先に、良い未来が待っているかもしれないのだ。なら、言わなきゃ。

 私は大きく息を吸い込んだ。


「惠利沙、あのね。私——」

「水葉ちゃん」


 私の言葉は、惠利沙の静かな声に止められる。彼女はぴたりと止まって、私を見下ろしていた。自然と彼女の顔を見上げると、その瞳が暗いことに気がついた。


 黄昏時。

 そういえば、この時間は逢魔時って言われることもあるって、誰かが言っていたっけ。この時間は魔の物に遭遇するとされているらしいけれど、実際どうなんだろうって思う。


 惠利沙は、サキュバスだ。でも魔物とも妖怪とも違うし、私にとって惠利沙は他の子と変わらない友達で。


 それなのに、今。彼女の瞳を見て、どうしてか私とは違う存在なんだって強く感じた。人間もサキュバスもそう変わらないって、彼女に信じさせたかったはずなのに。背中が、変にぴりぴりする。


「最近、なんか。色んな子と仲良しだよね。お姉ちゃんとも結構遊んでるし……」

「うん。タイミングが重なったみたいで」

「水葉ちゃん、いつも楽しそう。私のことなんて、もう忘れちゃったのかな」

「惠利沙……?」


 惠利沙の様子がおかしい。私が他の人たちと仲良くすることが単に気に入らない、という反応でもなさそうだ。

 でも。


「ずっと胸が苦しいの。水葉ちゃんが遠くに行っちゃう気がして。水葉ちゃん、最近ちょっと変わったし」

「それは……」

「私じゃダメなの? 私は、水葉ちゃんのことが好きだよ。ずっと昔から。水葉ちゃんが望むなら、私……!」


 私はぎゅっと、彼女の手を握った。

 惠利沙が今、どんな気持ちでいるのかはわからないけれど。こんな時に私にできることは、一つだ。


「……水葉ちゃん?」

「不安にさせて、ごめん。私も惠利沙のことが好きだよ」


 何度も繰り返してきた、好きという言葉。

 だけどこの「好き」は、これまでの好きと同じではない。私はこの胸の内に宿る全ての感情を吐き出すように、言った。


「気づいたんだ。私は、惠利沙のことがその……恋愛対象として、好きなの! だから私と付き合ってほしくて……」


 最初は勢いがよかったのに、どんどん尻すぼみになっていく。

 告白って、こんなに怖いものなんだ。


 私は胸が張り裂けそうになるのを感じた。今感じているドキドキは、普段感じているときめきとは全く違う。本当に、心臓がどうにかなってしまうんじゃないかってくらいに鼓動が速くなっていた。


「……そっか。嬉しい」

「惠利沙。じゃあ……!」

「これで水葉ちゃんのこと、私だけのものにできるね」

「え?」


 その時、空間が歪んだ。

 いや、違う。歪んだのは空間じゃなくて、空気と——私の心だ。


 甘い匂いがした。同時に、抗い難いほどの強い衝動が私を駆り立てる。惠利沙を、私のものにしたい。その体に触れて、キスをして、ぐちゃぐちゃにして、全部私だけのものに——。


 私は呼吸が浅くなるのを感じた。

 これは。この感覚は。


 チャームの魔術だ。前にクロエさんにかけられたことがあるから、わかる。全身が沸騰しているみたいに熱くなって、抑えられないくらい強い感情が胸に満ちるこの感じ。でも、どうして今。


「ずっと、ずーっと考えてたんだー。水葉ちゃんをどうすれば私のものにできるだろうって。でも水葉ちゃんにも自分の生活があるし、どうしようかなって思ってたんだけど……両思いなら、いいよね?」

「えり、さ」

「……ふふ。サキュバスの力も、こういう時は役に立つね」


 ゆっくりと、彼女は私に近づいてくる。彼女の背後で、尻尾がゆらりと揺れた気がした。一歩彼女が私に近づく度に、衝動は大きくなっていく。惠利沙以外の全てが目に入らなくなって、彼女さえ手に入るのなら全てがどうでもいいって思ってしまう。


 人である以上、それには抗えないのかもしれない。いっそ身を委ねてしまえば、私も——。


『水葉ちゃんは、私とずっと一緒にいてくれる?』

『惠利沙が私と一緒にいたいって、望んでくれるなら』

『うん! 私、ずっとずーっと水葉ちゃんと一緒がいい! 将来は水葉ちゃんと二人でお城に住みたいなー』

『あはは、二人で住むには広すぎない?』

『いいの! 私たちにはそれくらいが一番いいんだから!』


 ふと、かつての惠利沙との会話を思い出す。あの頃は惠利沙はまだ純真無垢で、サキュバスだってことも知らなかった。初めてサキュバスだと打ち明けられた時、私は何を思ったのだったか。


 ……この子を守りたいって、思ったはずだ。

 私は唇を強く噛んだ。


「惠利沙! ちょっと落ち着いて! まずはちゃんと話し合おう? ね?」


 強い感情は胸の内で暴れているけれど、少し思考がクリアになった。


 大丈夫。チャームは二度目だし、私の胸には何よりも大きい惠利沙への気持ちがある。こんな衝動に、負けたりしない。


「やだ。こうでもしないと、水葉ちゃんが他の子に取られちゃう」

「私は惠利沙一筋だよ」

「でも、私は……!」


 惠利沙は何かを言いかけて、はっとしたように目を見開いた。

 その瞬間、甘い空気が霧散する。同時に、私を突き動かそうとしていた衝動も。私はその場にへたりこんだ。


「私……私、何して……」


 彼女は私に背を向けて、走り去っていく。その背中を追いたいのに、足が震えて立てなかった。


 告白は、成功したはずなのに。何かそれよりも大きな問題に直面してしまったような、そんな気がした。





 寝支度を済ませてから、もう一度スマホを見てみる。

 メッセージには既読がついていないし、何度も通話をかけたけど出る気配がない。彼女に一体何があって、チャームの魔術を使うまでに至ったのか。最近話せていなかったから、その寂しさ? それとも、私の友達に対する嫉妬?


 どれも正しいような、そうでもないような気がする。これまで私が他の友達と仲良くしていても、チャームなんて使ってこなかったし。何より彼女にだって、仲のいい子はいるわけで。


 あれこれ考えてみるけれど、結局よくわからない。

 明日、また話してみるしかないだろう。そう思いながら、私は眠りについた。


 背中に感じていたベッドの柔らかさが、いつの間にか消えている。緑って感じの匂いがして、風が頬を撫でた。ゆっくりと目を開けると、そこには草原が広がっている。どうやら私は、夢を見ているようだった。


「おはよー、水葉ちゃん」

「……恵伶奈さん」


 恵伶奈さんは、普段と違う格好をしていた。

 どこか扇情的というか、サキュバスーって感じの格好っていうか。翼も尻尾も全く隠されていないし。


 そういえば、恵伶奈さんの翼と尻尾を見るのは初めてかもしれない。


 こうして見ると、恵伶奈さんは惠利沙よりもずっとサキュバスらしい気がする。


「水葉ちゃんの夢ってなんか爽やかだね。他の人の夢を見ると、結構どろっとした感じのが多いんだけど」

「そうなんですか?」

「うん。惠利沙が好きになるのもわかるなー。なんか、まっすぐな感じ」


 くすくすと、彼女は笑う。私は目を細めた。


「惠利沙に何があったか、恵伶奈さんならわかりますか?」


 クロエさんは、これから大変なことがあるかもしれないと言っていたけれど。あの言葉は、今の状況を指しているのだろうか。


「んー……端的に言うと、修行不足!」

「……はい?」

「惠利沙は良くも悪くも、人になろうとしすぎてたんだよね。だからサキュバスとしての力の制御とか、感情の制御とか、そういうのがへたっぴなの」


 その言葉に、私は胸が痛むのを感じた。私は惠利沙を人として扱ってきた。惠利沙は人の中でも普通に生きていけるんだよって教えるために。だけどそれは、間違いだったのだろうか。

 その考えに気づいたのか、恵伶奈さんは私の頭を撫でてくる。

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