第29話
琴春のところに戻ろうとした私は、体が動かないことに気がついた。まさかこんなところで金縛り? なんて思ったけど、そうじゃない。誰かにぎゅっと抱きしめられているのだ。琴春とも惠利沙とも違う柔らかな感触に、柑橘系の匂い。
それは、とても懐かしい匂いだった。少し寂しくて、でも嬉しいような。
その匂いは——。
「……恵伶奈さん?」
「久しぶりだねー、水葉ちゃん! おっきくなっちゃって!」
後ろから、透き通った声が聞こえてくる。最後に会った時よりも声に深みが増しているというか、なんだかドキドキするというか。
「あ、あの恵伶奈さん。動けないんですけど……」
「ごめんねー。でももうちょっとだけ。んー、水葉ちゃんの香り……」
私、ぬいぐるみか何かだと思われてる?
いや、別にいいんだけど。
あれ、ていうか。
「いつ帰ってきたんですか?」
「うん? 昨日だよ。こっちで仕事するのもいいかなぁって思って、偵察に来たの。しばらくはいるつもり」
「そ、そうなんですか」
「水葉ちゃんって今何年生になったの?」
小学生に対する質問みたいに聞こえるけれど。これって私が敏感になりすぎているだけですか?
「高校二年生です」
「高校かー。そっかそっか。もうそんなになるかー。あのちっちゃかった水葉ちゃんがねー」
「恵伶奈さんは、もう働いてるんですか?」
「ん? まあぼちぼち。お母さんを見習って、学生のうちから色々ねー」
この自由な感じは、クロエさんそっくりだ。以前にも増して自由な感じになっている気がするのだが、多分気のせいじゃないなこれは。
「水葉ちゃんは? 元気してるー?」
「はい。私も、ぼちぼちです」
「ぼちぼちかー。いいね! 惠利沙とはど?」
「相変わらず、友達やってます」
「そっか、友達かー。……なら」
彼女は私を解放してくる。振り返ると、そこにはさっき見た女の人の姿があった。キャップとサングラスでわからなかったけど、恵伶奈さんだったんだ。
……。
あれ、ってことは私、恵伶奈さんに嫉妬してたってこと?
恥ずかしすぎない?
そりゃ家族相手なら私には見せないような顔も見せるし、親しそうにもなるよ。実際親しいんだもん。
……う、うぅ。穴があったら入りたい。
「水葉ちゃんの精気、私にわけてくれない?」
彼女はにこりと微笑む。サングラスの奥に見える青い瞳は惠利沙と同じ。だけどその輝きは、恵伶奈さんの方が強い気がする。
「えっ。そ、そういうのはちょっと」
「えー。水葉ちゃんと私、絶対相性いいと思うんだけど……」
「お姉ちゃん」
その時、惠利沙の声がすぐ近くから聞こえてくる。見れば、琴春も惠利沙の横に立っている。……なんだか気まずそうな表情で。
「あんまり水葉ちゃんを困らせたら、ダメだよ」
「困らせてないよー。まだ誰にも手ぇつけられてないみたいだったから、私のものにしちゃおっかな? って思っただけで」
「それは……! 私が、つけてるから」
「え? てことは惠利沙、もう……」
「それは、まだだけど」
「えー。よくないよそういうの。やっぱり私が——」
「お姉ちゃん!」
私は琴春と顔を見合わせた。なんか、喧嘩になってる?
「ごめん、水葉。尾行してたこと惠利沙に言っちゃった」
「な、なんで……!」
「だってさぁ。なんで水葉ちゃんと手ぇ繋いでたの? なんて圧かけられたら黙ってんの無理だって」
「えぇー……」
ひそひそと話していると、不意に視線を感じた。見れば、惠利沙と恵伶奈さんが私をじっと見つめていた。
こうして見ると、やっぱり二人ともすごい美人さんだ。ちょっと怖いくらいに。
「せっかくだし今日は、皆でお出かけしない? そっちの子も、水葉ちゃんのお友達だよね?」
「あ、はい。
「どうもどうもー。私、望月恵伶奈って言います。惠利沙の姉です。よろしくねー」
「は、はい」
いつもは誰にでも物怖じしない琴春もさすがにたじたじである。わかるよ、うんうん。恵伶奈さんにはこう、人をドキドキさせる魅力があるよなぁ。数年前よりその魅力に磨きがかかっていて、さすがの私も——。
「水葉ちゃん。なんか、楽しそうだね?」
冷たい声。
私は惠利沙の方を見た。
な、なんか圧を感じるんだけど。もしかして私が恵伶奈さんと仲良くしてたから、嫉妬したとか? え、それってつまり私に気があるってこと?
いやいや落ち着け私。惠利沙は元々私が他の友達とあんまり仲良くしていると機嫌が悪くなってしまうような子だったじゃないか。親友に対しての独占欲が強いというか、別に恋愛的な意味はないというか。
いや、ここは都合よく解釈した方がいいかな。でもなぁ。
「えっと……ほら! 久しぶりに恵伶奈さんに会えて嬉しいっていうか、恵伶奈さん前よりもっと美人さんになっててびっくりっていうか……」
おい何を言っているんだ私は。
「ふーん……確かにお姉ちゃんは、綺麗だよね。水葉ちゃんは、私よりお姉ちゃんの方が好きなの?」
「それはないよ」
私は断言した。
「惠利沙が一番大事だし、一番好きだよ」
「そう、なんだ」
恋心に振り回されて、色々とわけのわからないことにはなっているけれど。私が惠利沙を大事に思っているってことだけは変わらない。
なんにせよ、彼女が好きだってことも。
……。
ちょっと待って?
今めっちゃ真剣な顔で一番好き、とか言っちゃったけどこれ大丈夫かな? 告白だって思われてないよね? いや別にそう思われてもいいのかもだけどもうちょっとちゃんとアプローチしてからがいいっていうか。
でもでもあんまり時間かけすぎるとほんとに惠利沙にいい人が現れちゃうかもだし。
私、どうすればいいんだ?
「なら——」
「水葉ちゃん! この辺は私、昔よく来てたから案内するね!」
「えっ。は、はい」
恵伶奈さんは私の手をぎゅっと握りながら言う。惠利沙の手よりも少し大きくて、ひんやりしている。
こういうところは昔から変わらないなぁ、と思う。私は惠利沙の方を見ようとしたけれど、その前に恵伶奈さんに手を引かれた。
恵伶奈さんは人混みを縫うように歩いていく。その堂々とした横顔を見ていると、恵伶奈さんに憧れていた頃のことを思い出す。大人びていて、かっこよくて、自由で。そういう人になってみたいって思っていたけど、この歳になっても私は私のままだ。
だけどそんな私のことが、私は嫌いじゃない。
そりゃまあ、たまに人と比べて落ち込むことだってあるけれど。
恵伶奈さんはそのまま、私たちを色んな場所に案内してくれる。観光名所らしいお寺とか、有名なカフェとか、人気のショップとか。どこにいても何をしていても楽しそうな様子に、私までつい笑顔になってしまう。
クロエさんも恵伶奈さんも、惠利沙も。
皆それぞれ異なる魅力があるよなぁ。
「そういえば、恵伶奈さん。どうしてキャップとサングラスを?」
「ああ、これ? こうして顔隠してないと、色んな人に声かけられちゃって困るんだよねー。ほら、私って目立つから」
「なるほど……」
「でも、まだちゃんと私の顔、水葉ちゃんに見せてないし……一回取っちゃおっか」
そう言って、彼女はキャップとサングラスを外す。
私は目を見開いた。前より綺麗になったってことは、サングラスをかけていてもわかったけれど。遮るものが何もないと、より強く魅力を感じる。
背中まで伸びた金色の髪。楽しそうな感情に満ちた、青い瞳。
すっと通った鼻梁、白い肌、薄い唇。
全てが完璧な絵画みたいで、私は少し圧倒された。同じ言葉を話していて、同じ場所にいるのに。同じじゃないって、強く感じる。
……でも。
「恵伶奈さん、前よりもっと綺麗になりましたね」
「……ふふ。そ? 水葉ちゃんにそう言ってもらえると、嬉しいよ」
恵伶奈さんは、ぴたりと止まる。
私はふと、後ろを振り返った。そこには琴春の姿も、惠利沙の姿もない。どうやらいつの間にか、はぐれてしまったらしい。
二人を探しに行こうとするけれど、恵伶奈さんに手を握られているから、身動きが取れない。リードを引かれる犬にでもなった気分だ。
「惠利沙と琴春が……」
「うん、わかってるよ」
彼女はふわりと笑う。
惠利沙に似ているけれど、根本的な何かが違う笑み。私はなぜか、背筋が寒くなるのを感じた。
「ちょっとだけ、二人で話さない? 私、水葉ちゃんと話したいことがあるんだー」
「……わかりました」
「決まりね! じゃあ少し歩いてこ!」
彼女はそう言って、ゆっくりと歩き始める。
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