第21話
最寄駅は当たり前だけどいつもと変わらない。
改札を出ると、自然って感じの匂いがした。デートしていた場所は人工物が多かったけど、この辺は自然の方が多いもんなぁ。
「ねえ、水葉ちゃん。どうして今日は、変なことしてきたの?」
肩を並べて歩いていると、不意に惠利沙が言う。
「変なことて。アプローチって言ってよ」
「……どうして、アプローチを?」
彼女は私を見つめてくる。
どうしてって、それは。惠利沙を、ドキドキさせたかったからで。じゃあなんで惠利沙をドキドキさせたかったのかって聞かれたら。
いつも私ばかりがドキドキさせられているのが、納得できないからで。
「どうして?」
考えに耽っていると、彼女はもう一度問うてくる。
私は返答に窮した。
「友達に人をドキドキさせるテクニックを教わったから、試してみたくて」
「それだけ?」
「それだけだよ、ほんと」
彼女はぴたりと止まる。私も彼女に倣って、立ち止まった。青い瞳はどこまでも澄んでいる。鈍色の空とは正反対だ。その綺麗な瞳に、本当のことを教えてと言われている気がした。
私は一度目を逸らしてから、彼女の目をじっと見つめた。
「惠利沙をドキドキさせたかったんだよ」
「それは、どうして?」
「だって、私は。私は惠利沙のことが……!」
その時。
ぽつぽつと、雨が降ってくる。あっと思った時にはバケツをひっくり返したみたいに強い雨が降り始める。驚いていると、惠利沙に手を引かれた。
「うちに避難しよ! ここからだと私の家の方が近いから!」
「う、うん!」
力強く手を引かれると、やっぱりきゅんとしてしまう。頼りになるなぁ、みたいな。
いやきゅんとしていていいんですかって話でもあるんだけど。こういう時に私の方から手を引けていれば、もしかしたら彼女をドキドキさせられたかもなのに。
走っていると、服が体に張り付いて気持ち悪くなってくる。
なんというか、今日はいまいちなデートになってしまった気がする。全く予定通りにいかなかったし、色々めちゃくちゃすぎたし。だけど大粒の雨の中を二人で走っていると、これはこれでアリなのかなってちょっと思う。
なんか、青春っぽいし。
しばらく走って惠利沙の家に着く頃には、私たちは完全にびしょ濡れになってしまっていた。
彼女は鍵を差し込んで、扉を開いた。
どうやら家には、誰もいないらしい。
「お邪魔します」
「ちょっと待ってて。バスタオルと着替え持ってくる」
惠利沙は靴を脱いで、ぱたぱたと廊下を歩いていく。私は靴を脱ぎ揃えてから、玄関に座って彼女を待った。
春とはいえ、さすがにずぶ濡れになっていると寒い。
「お待たせ。とりあえず体拭いて、着替えて」
「ありがと」
「ううん。私も着替えなきゃ」
彼女から受け取ったバスタオルで、軽く髪を拭く。そうしていると、ふと惠利沙に見られていることに気がついた。彼女の視線は、私の体に向いている気がする。見れば、ぴったりと服が体にくっついている。
もしかして、そういう目で見てる?
……わけないか。私の体なんて見ててそんな楽しくないだろうし。
私は自然と、彼女に目を向けてしまった。
張り付いたワンピースが、彼女のスタイルの良さを強調している。別に私は、惠利沙をそういう目で見たことなんてないのに。どうしてか今は、彼女から目を離すことができない。
濡れた髪。張り付いた服。そして、しんと静まり返った空間。
私は鼓動が速くなるのを感じた。
「惠利沙。……着替えないの?」
「あ、うん。私……部屋で着替えてくるね」
惠利沙はそのまま、階段を上っていく。私はその背中を見送ってから、服を脱いだ。下着までぐしょぐしょになってしまっているから、これも脱いだ方がいいだろう。ちょっと落ち着かないけれど、直接服を着てしまう。
……ちゃんと洗って返そう。
惠利沙が帰ってくる気配はない。私はいつものようにリビングまで歩いて、ソファに座った。家とは違うソファの感触が、今はどこか遠く感じられる。さっきの彼女の姿が妙に鮮明に頭に残っている。
私は自分の胸に手を当てた。
やっぱり、速い。
最近は毎日鼓動が速すぎて、ちょっと大変だ。バスタオルを枕にして寝転がってみると、廊下の方から足音が聞こえてきた。
「水葉ちゃん。何か飲む?」
惠利沙の声が聞こえる。
少し体を起こすと、着替え終わった彼女の姿が見えた。髪はまだ少し濡れていて、見ているとなんだかドキドキしてしまう。
私、ちょっとやばいかも。
今の私はいつもと違うっていうか、何かこう、不埒な感じになってしまっているというか。人のことを見てこんな気持ちになるのなんて初めてだから、どうすればいいのかわからない。
私は彼女を見ないようにして、またソファに横になった。
「ううん、大丈夫」
「そっか。……私も座っていい?」
「いいよ」
ちょっとスペースを開けてあげると、彼女はゆっくりとソファに座った。甘い匂いが、鼻をくすぐる。
「雨、すごいね」
彼女が言う。
「ほんと。この時期にこんな雨が降るのって珍しいよね」
「ね。せっかく可愛いの着てたのに、びしょびしょになっちゃった」
いつもと同じような会話が、妙な調子になっている気がする。惠利沙もそれに気づいているのか、どこか気まずそうにしていた。
結局私、小悪魔になれていないな。
やっぱり小悪魔というのは、慣れた感じで相手を誘惑しないといけないものなんだろう。自分の中に照れがあると、それが相手に伝播して変な感じになってしまう。
今なら、いけるかもしれない。
走った後だから体がいい感じに疲労していて、頭で何かを考える余裕がない。そして、この静かな空気。
何を言ったら惠利沙はドキドキしてくれるのか。それはわからないけれど。
私のしたいようにすればいいか、と思う。
「ねえ、惠利沙」
「なあに?」
「ちょっと、えっちな雰囲気だね」
彼女は驚いたように私を見てくる。私はくすくす笑った。夢と現実の狭間にいるみたいな、不思議な感じがする。ちょっと眠くて、でもすごく、ドキドキしている。それでも今の私の胸に、照れる気持ちはなかった。
「惠利沙はそういう雰囲気、感じられるんでしょ? 今は、どうかな」
「それは……」
彼女は目を伏せる。それはつまり、そういうことかな。
「私は、いいよ」
「……ほぇ?」
「惠利沙がいいなら」
仰向けになってみると、天井が見えた。電気がついていないから、眩しくはない。ざあざあと雨の音がする中で、ぼんやりと天井を眺める。その時、激しい雨の音に混ざって聞き覚えのある音がした。
ばさ、と何かが広がる音。それは間違いなく、彼女の翼の音だった。
脚に何かが乗っかって、重くなる。
見れば、翼と尻尾が生えた彼女が私にまたがっていた。
「ずるいよ」
彼女は小さな声で言う。
「私……ずっと、ずっと我慢してきたのに。水葉ちゃんは、わからないかもだけど。これまでずっと、抑えてきたんだよ」
「何を?」
「全部」
「……抑えるのをやめたら、どうなっちゃうの?」
私の問いに、彼女は答えない。答えないまま、ゆっくりと私に手を伸ばしてきた。青い瞳は無数の感情で濁っていて、さっき見た空の色と似ているって思う。彼女の指先は少し震えていた。
惠利沙がこれまで何を抑えていたのかは、わからないけど。
もし今彼女が私と同じ気持ちでいてくれているなら、嬉しいって思う。
彼女はそっと私の服の裾を引っ張ってくる。お腹が空気にさらされると、少し寒さを感じた。彼女はそのまま私のお腹を撫でながら、荒く息を吐く。
「止まらなくなっちゃうよ。……水葉ちゃん、忘れてる? 私は、サキュバスなんだよ?」
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