第20話
惠利沙は私の手を振り解こうとするけれど、その手には力がこもっていない。私は彼女の手をぎゅっと握ったまま、フロアの端っこの方に移動した。ここならば、人に見られることもないだろう。
「ごめん、惠利沙。惠利沙とのデート中に他の人のこと考えるのは、よくなかったね」
「そうだよ。……しかもよりにもよって、お姉ちゃんのこと」
「……恵伶奈さんと、仲悪かったっけ?」
「悪くないよ。むしろ良い方。お姉ちゃんが帰ってきたら、一日中一緒に遊ぶこともあるし」
「えっと……」
私は少し、困惑していた。他の人のことを考えたのは悪かったと思うけれど、どうして恵伶奈さんのことにここまで過剰に反応しているのかわからなかった。
彼女はその場にしゃがみ込んで、私を見上げてきた。
「お姉ちゃんでしょ」
「え?」
「水葉ちゃんがいっちばん最初に好きになったのは、お姉ちゃんでしょ」
確かに恵伶奈さんのことは好きだけど、最初に好きになったわけじゃない。私が最初に好きになったのは、お母さんとお父さんのどちらかだと思う。
いや、違う。
そうじゃなくて、惠利沙は。私の初恋相手は、恵伶奈さんだと言っているのだ。
私は少し考え込んだ。確かに私は恵伶奈さんに憧れていたけれど、恋していたかと聞かれるとよくわからない。昔は恵伶奈さんの真似をしてアロマをお母さんに買ってもらったり、何かと彼女にくっついていたりはした。
でも、うーん。
恋。恋かぁ。
胸に手を当ててみる。この胸の高鳴りを、恵伶奈さんに感じていたかといえば、そんなことはない。
だってこのドキドキは、惠利沙に——。
いやいや。別に惠利沙に恋しているってわけでもない。ないんだけど。
落ち着け私。今は惠利沙に恋してるとかしてないとかはどうでもよくて。
私はそっとしゃがみ込んだ。
「違うよ」
「嘘」
「嘘じゃない。恵伶奈さんに憧れてたのはほんとだけど、恋してたわけじゃないよ」
「お姉ちゃんのこと、ずっと追いかけてたじゃん」
「それはまあ……。でも、あの頃だって恵伶奈さんより惠利沙と一緒にいる時間の方が長かったでしょ?」
「そうだけど……」
青い瞳が、私を映している。
「私が一番じゃなきゃ、やなの」
「えっと?」
「水葉ちゃんと一番仲がいいのは、私。一番水葉ちゃんに想われているのも、私じゃないと絶対やだ!」
子供のように、彼女は言う。
私は少し迷ってから、そっと立ち上がって、彼女の頭を胸に抱き寄せた。胸はずっとドキドキしたままで、その感触が余計に私の胸を高鳴らせる。
この胸の鼓動が、全部伝わってしまうのは少し恥ずかしいけれど。
それでもいいか、と思う。だって私が惠利沙に対して抱いている感情自体は、恥ずべきことなど何もないのだ。
私は、惠利沙のことが好き。
どんな好きであるにしても、それだけは間違いのないことである。
「そんな心配しなくていいよ。私にとっては、惠利沙が一番。それはずーっと変わらないんだから」
「だったら、言って? 惠利沙が好きだって」
「好きだよ。惠利沙が好き」
「……なら、いいけど。デート中に他の子を見たら、ダメだからね。ほんとに」
「うん。もうしない」
彼女は私の胸に顔を押し付けながら、背中に腕を回してくる。こういうところはちょっと子供っぽいんだよなぁ。
いいけど。
……。
あの、ちょっと惠利沙さん?
なんか手つきがやらしいんですけど。ちょっ、肩甲骨を撫でるな肩甲骨を。こんなところで謎のフェチを発揮するのはやめてくれません? 見られたら変な感じになるじゃん!
「惠利沙! ちょっと!」
「やっぱり水葉ちゃんの肩甲骨が一番可愛い……」
「全然嬉しくないんですけど!?」
肩甲骨じゃなくて全体を褒めてほしい。もっと色々あるだろう、髪型が可愛いとか服が可愛いとか存在そのものが可愛いとか。
肩甲骨単体で褒められてもどんな顔で受け止めればいいのか全くわからん。
惠利沙だって翼の硬さがいい感じだね! とか言われても困るだろうに。
ああ、もう!
「そういうのは、もっと別の時にしてよ。デートなんだから」
「……あ、ごめん。ついね」
「ついでそんな肩甲骨に触りますかね」
私はため息をついた。
怒り出したと思えば肩甲骨に触ってみたり、惠利沙はめちゃくちゃだ。
ほんと、どうしてこんな子を好きになっちゃったんだろ。
私は惠利沙を抱きしめるのをやめて、また店内を回り始めた。もう恵伶奈さんのことは考えずに、目の前の惠利沙だけに集中する。さっきまで無表情だった彼女も、また楽しそうな笑みを浮かべるようになっている。それに少し、安堵した。
でも、待てよ。
私が他の人について考えていたことをあそこまで怒るってことは、つまり。
独占欲というか嫉妬心というか、そういうものがあるってことで。それはつまり、つまり。惠利沙も私のことを、特別な意味で好きなのでは……?
いや、でも。そもそもサキュバスは自分を一番に思ってほしいという感情が強いんだって、私はよく知っている。何かとクロエさんと一緒にいることが多いから。……おっと。クロエさんのことは、今は考えないでおこう。
惠利沙は私のこと、どう思ってるの?
そんな気持ちを込めて、彼女の横顔を見つめてみる。だけど彼女は私の視線に気づかずに、楽しそうに笑っていた。
もっと私のこと、意識してくれたらな。
もっともっと、私のことを……。
私は首を振った。
先のことは、わからないけれど。今はこうして彼女と二人きりでデートができるだけで、よしとしよう。
午後になると人がさらに増えてきて、惠利沙が色んな人に注目されるようになってきた。知らない人に何度か話しかけられて疲れてきている様子を見た私は、早めにデートを切り上げて帰ることにした。
「ごめんね、水葉ちゃん」
帰りの電車の中で、彼女はぽつりと言う。
私はにこりと笑った。
「何が?」
「気、遣わせちゃって」
「別に遣ってないよ。デートは二人で楽しむものなんだし、惠利沙が疲れてるなら無理に続けない方がいいって思っただけ」
「気ぃ遣ってるじゃん」
彼女はくすくす笑う。
そう、なのかなぁ。
これは気づかいなのか?
「人と話すのは好きなんだけど、知らない人にあんまり話しかけられると気疲れがねー」
「大変だね」
「ほんと。美人は時に損だね」
「自分で言うか」
確かに美人だけども。
私はちょっとため息をついた。彼女は私の肩にもたれかかって、静かに呼吸をしている。呼吸に合わせて少しだけ動く肩が、どうしてか強く惠利沙の存在を強く感じさせる。温かくて、柔らかくて、私より大きいのにどこか頼りない。
惠利沙だなぁ。
いや、そりゃそうなんだけど。
「水葉ちゃん。あと四年……ううん、あと二年待って」
「……何を?」
「あと二年もしたら、きっと……お姉ちゃんよりずっと、綺麗になるから」
彼女の言葉に、私は笑った。
「ならなくてもいいよ。惠利沙は惠利沙のままで」
「なりたいの。なるから」
「……そっか。じゃあ、待ってるね」
「……うん」
恵伶奈さんよりも綺麗になった惠利沙。あんまり想像できないが、どうなんだろう。あの頃の恵伶奈さんは中三だったはずだけど、今の私たちよりもずっと大人びていた気がする。実際どうだったかは、わからないけど。
幼い頃は年上の人が妙に大人に見えたものだ。
あの頃の私たちが今の私たちを見たら、どう思うのやら。
「……お姉ちゃんのこと考えてる」
「今は仕方なくない? 惠利沙から言ったんじゃん」
「そうだけど、ダメ」
「わがままだなぁ」
「一分お姉ちゃんのこと考えたら、十分私のこと考えて」
「えー……」
そんな会話をしていると、電車が地元の駅で止まる。私たちはのろのろと立ち上がって、電車を降りた。
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