第12話

 めちゃくちゃなんだか、繊細なんだか。

 いや、きっとどっちもなんだろうな。めちゃくちゃなところもあって、繊細なところもあって。それが普通の人間ってやつなのだ。


「じゃあ、これからも水葉ちゃんのことたくさん褒めてもいい? 触ってもいい?」

「褒めるのはいいけど、触るのはちょっと」

「えー。私たちの仲なのに」

「惠利沙も私にベタベタ触られたら嫌でしょ」

「私はいいよ。……水葉ちゃんになら」


 彼女は全く冗談に聞こえない声色で言う。

 ほんと、ずるいし。


 そんなこと言われると、触れたくなってしまう。その柔らかな髪に、頬に、掌に。だけど私が本当に触れたいのは、そういう表面的なところじゃなくて。もっと深い、彼女の心の奥底に触れたいのだ。


 今日、私は彼女がどういう存在なのか前よりも深く知ることができた。


 でも、全てを知れたわけじゃない。

 他人の全てを知ることなんて不可能だって、わかっているけど。だけど私は、惠利沙のことだけは、全部知りたいって思ってしまうのだ。


「なら、早速触ってもいい?」

「いいよー。どこ触る? 胸?」

「胸はもういいから」

「じゃあ……お尻とか?」

「私のこと変態だと思ってる? 屈んで」

「はいはいー。髪、触りたいの?」

「違うよ。キスする」

「そっか、キスかー。……え?」


 不意打ちするのは好きじゃないから。

 私は静かに宣言してから、少し背伸びをした。屈んだ彼女の唇に、自分の唇を合わせる。自分からするキスの感触は、この前とはまた少し違っていた。


 なんだろう、この感じ。

 嬉しいと怖いの中間か、あるいはそれらがミックスされているみたいな、不思議な感じ。よくわからない感情が、彼女の唇の感触と共に記憶に染み付いていく。私はくすくす笑って、彼女から離れた。


「ご馳走様。惠利沙の唇、柔らかいね」

「水葉ちゃん」

「うん。なあに、惠利沙」


 彼女は私の腕を引っ張ってきた。

 そして、そのままキスをしてくる。


 私とは違って、惠利沙は不意打ちがお好きなようだ。ちゃんとキスするって言ってくれた方が、もっといいのに。


 ……何がいいかって聞かれたら、答えらんないんだけど。

 強く押し付けられる唇に反発するみたいに、私からも唇を押し付ける。しばらく経った後、彼女は静かに唇を離した。


「私……水葉ちゃんとキスするの、好き」

「そっか」

「水葉ちゃんは?」

「私は……まだよくわからないよ。慣れてないし」


 夢と現実は違う。

 まだ現実では片手の指で足りるくらいしかキスしていないから、好きとか嫌いとかそういうのはよくわからないのだ。ただ一つ確かなのは、またキスしてもいいかなって自分が思っているってことくらいで。


 惠利沙は、ドキドキしてくれているだろうか。

 もし私とのキスで、ドキドキしてくれているのなら。毎日キスしてもいいって思うのに。


 さっきと違って、惠利沙の感情は読めなくなっている。だから私はそれ以上何も言わずに、ただ彼女に笑いかけた。彼女もまた、私に笑いかけてくれる。今はそれで、よしとすることにした。





 私は小悪魔になりたい。

 なんてことを人に話したら、怪訝な顔をされそうだけど。実際そうなんだから仕方ないよね。


 相手をドキドキさせたり、惑わせたり、ちょっとからかってみたり。


 そういうのをうまくやれるのが小悪魔だって思うのだが、今のところ全然なれる気配がなくて。この前やっと一度だけ惠利沙をドキドキさせることに成功したけれど。あれ以来一度もドキドキさせられていないから、まだまだだって思う。


 ……また胸に触らせる、とか?

 いや無理無理無理。


 あれはあの時限定というか、素面で触らせないでしょっていうか。いやいや別にあの時酔ってたわけではないんだけど。雰囲気には酔っていたかもしれないけれど。


「水葉ー。何見てるの?」


 琴春が言う。

 昼休み、私はぼんやりと窓の外を眺めていた。桜はもう散ってしまってけれど、緑溢れる景色が眼下に広がっていて、春だなぁって感じがする。


 春というのは人をワクワクさせる季節だ。こうして緑に覆われた木々を見ているだけでも、心安らぐ——なんてことはなく。


 私の頭はどうすれば惠利沙をドキドキさせられるかって考えでいっぱいになっていた。胸……はないにしても、またキスしてみるとか。でもこの前キスした時はドキドキしてたってより単に驚いてただけだったし。


 せっかく私の方からキスしたのに。もっとちゃんと、ドキドキしてよ。


 ……はああぁ。

 なんか私、ちょっとめんどくさい感じになってない?


「外見てた」

「それはわかるけど。で? 例の作戦はうまくいってるの?」

「全然。人をドキドキさせるってむずいね」

「んー……水葉って普段どんな感じのことやってんの?」


 彼女は私の机に座りながら言う。


「どんな感じって……普通にボタン多めに開けたりとか?」

「ふーん。そういうの、水葉には合ってないと思うけど」

「え。じゃあどんなことなら私に合ってるの?」

「無邪気な感じでやってみるとか?」

「無邪気?」

「そ。さりげなくボディタッチを増やしてみたり」

「うーん……」


 ボディタッチ、ねぇ。

 手を繋いだりキスしたりっていうのはもうやったけれど、他にできそうなことはあっただろうか。


 さりげないボディタッチというのがどういうものなのかも、よくわからないし。


「あとは、思わせぶりなこと言ってみるとかは?」

「思わせぶり……」

「そ。好意ありますよーって感じのこと言えば、相手もドキドキするんじゃない? わかんないけど」

「そういうものなのかなぁ」


 そもそも私は小悪魔になりたいと思っていながら、小悪魔についてまだ詳しく知らない気がする。

 こうなったら、まずは情報を仕入れるところから始めるべきか。

 ……よし!


「……決めた。私、もっと小悪魔について勉強してみる!」

「うん?」

「ちゃんと小悪魔になれてるか、琴春にも今度見てもらうね。じゃ!」

「え、ちょ」


 私はそそくさと教室を後にした。お昼ごはんはまだ食べていないけれど、今日はそれよりも情報収集の方が大事である。


 私は色んなクラスの友達の元に行って、話を聞いた。彼氏がいる子とか、今気になる相手にアプローチしている子とか。皆それぞれ頑張ってるんだなぁって感心するけれど、今日は雑談が目的ではない。


 人をドキドキさせる方法を片っ端から聞いて、メモしていく。

 そろそろ教室に戻って考えをまとめようと歩き出した瞬間、私は何かにぶつかった。柔らかくて、甘い匂いがする。昔の私だったら大きなお菓子にでもぶつかったのかと勘違いしていたかもだけど、今の私はそんな勘違いしない。

 その柔らかさも、甘さも、温かさも、全部よく知るものだから。


「惠利沙」

「ダメだよー、水葉ちゃん。前見て歩かないと、怪我しちゃう」

「確かにね。気をつけるよ」

「すごいスマホ見てたけど、何かあった?」

「ちょっとね」

「ふーん……」


 惠利沙は私をぼんやりと見つめながら、あくびをした。

 よく見たら、目の下にちょっと隈ができているような気がする。メイクで隠しきれていないところを見るに、昨日はずいぶん夜更かしをしたらしい。

 私は小さく息を吐いた。


「惠利沙、昨日ちゃんと寝た?」

「あんまり。漫画読んでたら止まらなくなっちゃって」

「しょうがないなぁ。そのままだと午後の授業寝ちゃうでしょ。ついてきて」

「え? み、水葉ちゃん?」


 私は有無を言わさず彼女の手を引いた。

 仮眠ができそうな場所を、私は一つしか知らない。彼女の手を引いて向かった先は、保健室だ。軽くノックをしてみるけれど、反応はない。扉を開いてみると、中には誰もいなかった。


 少しベッドを借りるくらいなら、許されるだろう。

 幸い昼休みは後三十分くらいある。これならさっと仮眠して、午後の授業をちゃんと受けることもできるだろう。


「はい、惠利沙。寝て」

「ね、寝るって……こんなところで?」

「あれ、惠利沙って家のベッドじゃないと寝れないタイプだったっけ?」

「そうじゃないけど……しないの?」

「……する?」

「……えっちなこと」

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