シーン4 アーシア大陸

 アーシア大陸。


 かつて「最古の人間」によって作られたという伝承を持つこの土地は、東西にやや潰れたもちのような形を成しており、大きく四つに分けられる。


 大陸の南半分を領有する、魔道と騎兵の国、エンディム王国。


 アーシア天山以北を支配する信仰と武威の国、ドルン神聖王国。


 西の広大な領土を、王をいただかず諸侯たちが共同統治する西部商業同盟。


 峻険な山脈に守られた東の地はさらに四つの国を擁し、大陸の他国とは一線を引いている。それぞれ、カザマ、ミヤウミ、ヒオカ、そしてアケノ。


 大陸中央は古来より国同士がぶつかり合い、国境の判然としない荒野が広がっている。古戦場とも古代帝国跡とも呼ばれるそこは、かつて大陸統一国家が王都を構えた場所と言われるが、今や荒れた土地と立ち枯れた木の下に全てが忘れ去られて久しい。


 そして、そんな大陸の東、東部諸国の最南端に位置するアケノを治めるのが女王ツクヨミであり、彼女に仕える近衛隊の第二十八番部隊員というのが、半月前までのユエの肩書だった。


「……寒い」


 くしゃみと共に目を覚ませば、木立に繋がれた馬が迷惑そうに耳を倒している。


「はぁ……」


 宮仕えをしていた頃は、寝台の上で目覚めると腕の中にツクヨミの寝顔があった。女王の血筋を示す真っ白な髪の中で華奢な呼吸に合わせて肩がゆっくりと上下して、王族の礼服などかなぐり捨てた温かい身体を抱きしめていた。


 自分で選んだこととはいえ、ため息が漏れる。


 だが、なんの罪もない民を斬ることが正しいとはとても思えなかった。ただの正義感からではなく、ツクヨミがそれを知れば心を痛めるはずだと思った。


「いや、陛下のせいにするのはいけないな……」


 軍人として、人を斬ることは慣れたとは言わないまでも、必要なことなら自分は躊躇わずできると思っていた。だがそれは敵味方がはっきりしている戦の話であって、そうでない場面では自分は思ったよりも決断力がないのかもしれない。


 そなたは優しすぎる、とツクヨミはよくユエに言っていた。


「……」


 それを言われた状況を思い出して少し顔が熱くなる。なにせ、草木も眠る夜の夜中に寝台の上で絡み合っている最中に言われることが一番多かった。


 雑念を払うように大きく息を吸い、毛布から這い出る。空はまだ薄暗く、東の山の稜線りょうせんがにわかに白い輝きを帯び始めていた。


 その向こうには故郷があるが、もう戻れない。


 感傷に浸りそうになる自分に思わず苦笑いして、消えかけていた焚火の燃えさしに火口ほくちとして藁を少し足し、炎が大きくなったところに薪をくべる。


 旅に出てからはずっと野宿なので、もう手慣れたものだ。


「ええと……あの山がこの方角で、昨日越えた川がこれだから……」


 地図を開いて道を確認すると、自分がいかにちっぽけな存在か実感する。


 今いるのは、故郷であるアケノ――東方諸国の最南端の国――から山脈を西に越えて、平原に入ったところだ。山と川が織りなす起伏に溢れた国で生まれ育ったので、青々とした草が一面に茂り視界を遮るものがちょっとした丘くらいしかない景色はどこか非現実的なものに思える。だが、地図が正しいなら今いるのはアーシア大陸の南、エンディム王国領ということになる。


「ということは、だ」


 南西に目を向けると、地平線の向こうにぽつんと突き出たような影がうっすらと見えた。まだ相当距離があるが、丘の上に背の高い尖塔せんとうを戴く城館を中心として、市壁が二重三重に張り巡らされていることはなんとなく察せられる。


 国境線といっても本当に線が引いてあるわけでもないので、ここ二日ほどは異邦いほうの地にいるという実感も薄かったのだが、あれがエンディムの都市の一つであるペルディアだろう。エンディムは平原の国とも呼ばれ、肥沃な大地に五つの主要な都市が散って、王都を守る防波堤の役割をしている。


 異国人のユエが呑気に旅できるくらい平和な国だが、そもそもこれほど見晴らしが利く土地を守るのに関所を置いていったらそれだけで地図が埋まってしまう。騎兵が重視されると聞いたことがあるが、さもありなんという感じだった。


 故郷には帰れないなら、せめて異国を旅しよう。


 別にそんなことを思い立ったわけでもないのだが、東方の国にいてはそこら中に女王の面影を見てしまう。それならいっそ、まったく違う国々を巡る方がいいような気がした。


 朝日が昇り、青々とした草原が照らされる。


 エンディム王国。


 故郷とは、似ても似つかぬ土地だった。

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