こんな時間にこんにちは〜
「こんばんは〜」
今日も夜な夜な配信を始める。
音声のインジケータが上下し、鼓動と共鳴する感覚に陥る。
その時誰かが入ってきた、初見だ。
「XXXさん、初めまして〜」
反応はない、コメントもない。
無言の時が過ぎる。生活音がマイクに拾われ、不整脈のようにインジケータが上下する。
その時、もしかして彼が私を監視している?のではという考えが浮かんだ。
初見さんは作ったばかりのアカウントだった。
その瞬間、得体の知れない満足感と恐怖が同時に心を埋め尽くした。
その感情を払うように、知らない初見をバンした。
それ以降も誰も来なく、インジケータはわずかに揺れるだけになり、配信は静かに閉じられた。
数時間後、普通の人なら眠りにつく時間に配信は再開された。
夜が更けると同時に、自分の心にも影が忍び寄るような気がする。
それを無理に作った明るい声で誤魔化す。
「こんな時間にこんにちは〜笑」
いつもの顔ぶれが入ってくる。
暇な大学生、子供を寝かしつけた後の主婦、何をやっているのかわからない自称経営者。
大学生はすごく慕ってくる。「弟」認定している。話を聞いてくれるというより、聞いてやってる。お金がないから私まで会いに来ない。でも年下に慕われるのは嫌いじゃない。
主婦は本当に暇つぶし、コメントが面白いからたまに拾ってる。旦那の愚痴はだるい。
自称経営者はいつもいるけど、話を聞いてくれる。何をしてるのかイマイチわからないけど、通話もするし、一番心の距離が近い気がする。好きなんだろうか。一応彼には言ってないけど、好きピ卍だ。
「あ…初見さんこんにちは」
声が少し固くなり、警戒モードに入る。初見はどうでもいいコメントを残していく。
「声いいですね」「終電で退勤中にお邪魔します」
少し安心し、コメントを読んでいく。
「姉さん少し声固かった」
「わかる?この前ネトストしてきた人が配信来て…」
事実であり、事実でない。ネトストをしていたし、されていた。
そのことを思い出すと、隣の部屋から親の声がしてきた。
早く寝ろよと思うが、実家にいる手前、大きく出れないので布団を被った。
ここだとやっぱり苦しい。車に行こう。マイクをミュートにする。
インジケータは動かなくなり、世界が止まる。
「少し移動するね」
外に出ると、なんの虫か分からない音が聞こえる。街灯は薄暗い。
自分の車の中に入り、配信を再開する。
車内は無音で、よく分からない寂しさがあるような気がした。
ミュートを解除して寂しさを誤魔化した。まるで再び世界が開かれていくようだ。
そうしていると、さっきの初見が常連と下ネタで盛り上がっていた。
「”姉”なんだ」
「そうそう、この前認定された」
「義理の姉ってなんかエロいな」
「www」
その後、私に対してセクハラみたいなコメントが連投されたが、軽く流す。
悪い気分ではないが、満たされると同時に得体の知れない感情も流れてくる。
毎日これだ。ただこれ以外に満たされるすべを知らない。
「やめてよ〜」
そう言いながら、夜は更けていく。
大学生、主婦の順番で明日があるから抜けていき、初見と自称経営者の2人だけ残った。
なぜか、積み重ねた得体の知れない感情が溢れてきた。
私は思わず、突然、ポツリポツリと過去の男のことを語る。
「いや、それは彼氏が悪いわ」
「そうなんだね」
なぜ急にこのことを話したのかを忘れて、取り止めのない話をしていた。
いつの間にか、初見がいなくなっていた。もう自称経営者しか残っていない。
ふと空を見ると、朝日が地平線の彼方から忍び寄ってきている。
まるでその光が、得体の知れないドス黒い感情を増幅させているように思える。
光から逃げるように家に忍足で入り、自分の部屋に戻る。
トイレに起きたであろう妹と廊下ですれ違った。
「また彼氏と電話?」
「…うん」
妹には嘘をついている。配信をやっているなんて言えない。どう思われるのか、想像するだけで息が詰まる。
嘘をつくたびにドス黒い感情は、さらに黒さを増して自分を包み込むような気がする。
階段を一歩一歩登るたびに感情が増幅される。それに不安というラベルが貼られたあたりで、配信を再開しようと思った。10分だけ。少しだけ。
部屋に戻って、一瞬だけ配信を再開してみる。誰も来ない。
ふと自称経営者のアカウントを見ると、他の女の配信に入っているようだった。
さらに感情が黒く怪しく光るように思えた。それを見なかったことにした。
プロフィール画面を開く。
「出会い厨NG好きピおる卍」を消そうとして、保存ボタンを押せなかった。
この保留の繰り返しに自分の人生があるような気がしたけど、それを認めると、何もかもダメになる気がして考えるのをやめた。
朝日が窓から刺そうとしている。感情の増幅は止まらない。
増幅したそれは蓋を開けて酷い悪臭を撒き散らそうとしているような気がする。蓋の上に睡魔という重石を乗せて全てを無かったことにした。
画面のインジケータが、まだ微かに動いている気がした。
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