出会い厨×好きピおる卍
モ
この人ネトストで…
「この人ネトストで…」
「マジかよ、BANしな」
XXXが退出しました。
沈黙。コメントも止まる。
自分の呼吸音が、マイクを通って耳に返ってきて、異様に大きい。
指先が震えている。ネイルがスマホに当たってコツコツと音を立てる。
画面の端に“退出しました”の灰色の文字が残って、いつまでも消えない。
確かに見られていた。でも、私も見ていた。
どちらが先だったかはわからない。
ただ、それだけは、誰にも話していないし、話せるわけがない。
「この人」は、何回か会ったことのある人だ。
投稿の雰囲気が柔らかくて、どこか居心地のいい人だった。
たぶん私は、最初からその“やさしさ”を自分の居場所みたいに使っていた。
一度目に会ったとき、彼は白いシャツを着ていた。
無口だけど、私の話はよく聞いてくれる。居心地が良かった。
二度目に会った時、私は彼の気を引きたくて、「気になってる人がいる」と嘘をついた。
その人は「すごい人」で、フォロワーが何千人もいて、私をフォローしてくれた人。
「その人と通話した」とか、「LINE交換した」とか、そんな話をしてみせた。
自慢でもなかった。ただ、彼の中で私の存在を強く残したかった。
彼は何かを思い出すように、視線を左上の空へ滑らせて「そっか」とだけ言った。
その「そっか」の音が、妙に冷たくて、それ以降、会話の温度が変わった。
私の中に得体の知れない不安が湧いた。何か大事なものを壊したことに気づくのは、いつも遅い。
駅の改札の前で別れたあと、私は無意識にスマホを見ていた。
LINEの最終ログが灰色のまま動かない。
“既読”にならない。
彼は私をどう思ったんだろう。
何も思ってないんだろう。
そう思うたびに、胸の奥で何かがギュッと縮んだ。
その夜、私は彼をブロックした。
何も悪いことをしていない。そう思いたかった。
でも、ブロックしても、気になってしまう。
気づいたら検索窓に彼のアカウント名を打ち込んでいた。
夜になると、その癖が出る。
彼のアカウント名を検索して、メンションを拾い、会話を推測する。
やめよう、と思っても、指が止まらなかった。
指が勝手に動く。
アプリをタスクキルして、また開く。
その反復が、少しだけ心を落ち着けた。
まるで心拍を確かめるみたいに。
ある夜、彼のアカウントに、知らない女の子と写った写真が上がった。
飲み屋のテーブル。手前のグラスが二つ。
一つは彼の。もう一つは。
息が止まる。
冷や汗でスマホが滑った。
画面が暗くなる。再点灯。
同じ写真がそこにある。
何度見ても、消えない。
脳のどこかで理解している。
「私が壊した」「だからもう他の誰かがいる」。
でも、その現実を認めたら、自分が崩れる。
何分経っただろう。
汗が顎を伝って落ちるのを見て、初めて涙だと気づく。
息を整えようとしても、喉が詰まって声にならない。
頭の中では、あの日のカフェの風景が何度もリピートされた。
ミルクを入れる彼の手、カップの縁、私の笑い声。
もしかしたら、あれが始まりじゃなくて、終わりだったのかもしれない。
「ブロックしたけどさ、別垢で追いかけてくるべきでしょ?」
口から漏れた言葉が、自分のものじゃないみたいだった。
今までの男は追いかけてきた。
“追ってくれた”ことが愛の証だった。
でも彼は追ってこなかった。
あっけなく、何もなく、消えた。
まるで最初から、私なんていなかったみたいに。
SNSのプロフィール欄を開く。
指が震える。
「誰でもメッセいいよ、爆速返信!」
その文を消す。
代わりに打ち込む。
「出会い厨NG、好きピおる卍」
文字を打つたびに、心臓がドクドク鳴った。
これを見たら、彼は何を思うだろう。
“もう次に進んだんだな”と思うだろうか。
“俺が悪かった”と思うだろうか。
焦って、見に来るだろうか。
…いや、来ない。
それでも、見られることを前提に生きている。
誰かの視線に存在を預けていないと、自分の輪郭が溶けていく。
通知は来ない。いいねも来ない。
タイムラインの更新が止まったまま、スマホの光だけが夜の部屋を照らしている。
窓の外の街灯が、液晶の端でゆらゆら揺れている。
自分が誰なのか、一瞬わからなくなる。
鏡を見た。
そこに映る顔は、泣いても笑ってもいない。
ただ、見られることを待っている顔。
“彼”ではなく、“見てくれる誰か”を待っている。
部屋の隅に置いたスピーカーから、小さなノイズが流れ出す。
それは風の音みたいで、耳を近づけると波のように揺れている。
まるで、誰かがどこかで配信しているみたいに。
私はスマホをテーブルに置き、画面の光を見つめながら、
鼻の下をくすぐるような匂いを感じた。
焦げたような、甘いような、懐かしい匂い。
今日もまた、蓋から漏れ出た得体の知れない匂いが、私の中の何かを刺激した。
次の通知が鳴るまでの静寂が、いちばん怖い。
そして、いちばん落ち着く。
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