後編

あれから洞窟を抜け、森に入り、さらに半日歩いて探し回った。けれどもダイヤモンドというやつは手がかりさえも見つからない。日は完全に落ち、俺は自分の体から発する光で道を照らしていた。使い慣れない脚を長時間使って疲れていたし、ミカもいつしか俺の手を握って、縋るように歩いていた。2人ともが、今夜の寝床について各々考えているようだったが、『2人で眠る』という行為について言及することがどことなく憚られて、俺たちは闇雲に歩き続けていた。

そんな時、俺の光が照らした先に、樹齢の高そうな、大きな木が現れた。自然と立ち止まった俺たちは、繋いでいた手を離して、薄明かりの中で木を見つめた。


「…今夜は…ここで休もう」


俺がそう言うと、ミカは静かに頷いた。そして魔法の言葉であっという間に寝床を創り出すと、疲れ切った体を横たえ、ふぅ…と息を吐いて目を閉じた。その横顔を見つめながら、俺もコートを脱いで隣に座った。細い蔓で編まれたベッドは見た目よりも頑丈で、2人分の体重を優しく受け止めるように緩く沈んだ。

体の光を最小限まで弱め、空を眺める。こまかな星々が無数に広がる宇宙。いくつかの星を回ってきたが、この小さな星でミカと出会えたことの奇跡を想うと胸が高鳴る。すぐ隣からミカの息遣いを感じ、少しだけ顔をそちらへ向けてみたが、否が応でも体の光が強まってしまう。


「ふふ…」


目を閉じたままのミカが微かに笑う。


「何だ、…なに笑ってる」

「貴方の光、すぐに分かります。目を閉じていても、瞼の裏が赤くなるから」


見透かされたのが照れ臭くて、ミカに背を向けようと体を捻ったが、ローブの裾から覗く細い腕に静止され、俺は諦めて、その手の甲にそっと掌を重ねた。お互いの体温を静かに感じながら、やがて緊張の糸が解けていくと、頭上を覆う大木の一部に溶け込むかのような不思議な感覚に襲われる。


「この木…とても古そうですね。まるでこの星が生まれた時から、ずっとここにあるような」

「そうだな。すごく、力を感じるよ」

「少し…怖いです。あまりに偉大で」


ミカの指先が、俺の指の間へゆっくりと差し込まれる。全ての指が交互に絡み合うと、俺は求められるままに手を握り返した。


「大丈夫だ。俺がいれば暗闇は近づけないし、君だって無敵の魔法使いだろ?」

「…無敵なんかじゃ…」

「それに」


片腕をミカの首の後ろへ回し、脈打つ首筋へ鼻先を埋めた。


「何だって怖いのは、最初だけだ」

「ン……」


俺を素直にさせたのは、大自然の懐の深さか、はたまた君の潤んだ瞳か。とにかくもう、ようやく絡み合った指を解く気にはなれなくて、柔らかな肌をきつく吸い上げた。


「ぁッ…ルース…」

「ミカ…綺麗だ」

「…私、分からないんです…。ただ誰かに愛されたいのか、貴方に…愛されたいのか…」

「俺が君を愛す。君も、俺を愛せ」

「……///」


まるで光を放つような白く輝く四肢を、この手で暴いていくことの背徳感。恥じらいながらもローブの裾をずり上げるミカの仕草は、さながら禁断の果実が剥かれるようで、言葉に出来ないほどに艶かしい。


「こんなに綺麗な体を隠してるなんて…この布が憎い」

「ローブは…魔法使いの正装です」

「そうか。正装で乱れるのも、悪くないか」


耳元で囁くと、ミカの体がぶるっと震え、小さく開いた唇が俺を誘った。せっかく焦らしながら触れていたというのに、その声のあまりの甘さに、俺は勢いよく腰を引き寄せた。手脚は華奢だが、手のひらに収まる臀部の膨らみは意外にもムチムチとしている。片手で味わうように揉みしだきながらも、一方の手はまだ固く繋がれたままだ。


「そんな触り方…恥ずかしい…」

「そんなって、…どんな触り方?」


広い宇宙の片隅で、かつてのヒトの本能がもう一度二人を結びつけようとする。本能というのはいつも強引で、どんなに進化し、発達した生き物からも理性やロジックを奪い取っていくのだ。


「ミカのここ、また真っ赤になってる。昨日のこと、思い出してるみたいだな」


ピチピチと、魚が跳ねるように小刻みにヒクつく熱の塊に鼻を近づけ、蒸れた匂いを一息に吸い込んだ。脳が痺れるような妖艶な香りが、喉や肺の隅々まで行き渡る。絡みあった手をミカの顔の横でベッドに押し付け、もう片方の手で脚の間の小さな蕾をくすぐった。


「昨日のは…成り行きです…」

「じゃあ、今日のは何?」


ミカは答えはしなかった。けれど、俺の胸の辺りをぎゅっと掴んで、湿った唇を俺の顎先に近づけるとそれが答えであるようにキスをせがんだ。くちゅ…と唾液を交わすたび、昨日よりもっと深く繋がりたいという焦燥に駆られていく。

苦しげに眉を寄せているミカも、同じ気持ちだろうか…。


「ここ…指が入りそうだ」

「だめ…そんなところ…」

「痛くはしないよ」

「ぃ…痛いのは、我慢できます…でも…」


否定の言葉を続ける代わりに、ミカは大きな目に涙を溜めて、意を決して脚を開いた。


「いくよ」

「……ぁッ…」


中指を少しずつ挿し込んでいくと、異物感に身を捩るミカ。痛みがあるのか、強く目を閉じて耐えている。先端からは昨日と同じく透明の蜜が溢れているが、中の粘膜からは何の分泌液らしきものも出てこない。


「そうだ。魔法…」

「……?」

「君が唱えれば…きっと気持ちよくなれる」

「何…を…?」

「そうだな、、『とろとろ』とか?」

「……///」


火がついたように頬を真っ赤にしたミカは、信じられないとでも言いたげに顔を背けて右手でその横顔を覆った。


「恥ずかしい?」

「当たり前です…」

「ここには二人きりだ。誰も見てない」

「……」

「さぁ、唱えて」

「……とろ、とろ…」


ミカが目を閉じ念じると、たちまち指先に当たる粘膜がとろけ出していく。熱く、柔らかで、瑞々しい感触に誘われるように、指を動かしミカの顔を見つめる。


「ぁっ……ルース…熱い…」

「…熱いだけ?」

「…気持ち…ぃ…」

「ならよかった」


指を増やしながら中を優しく撫で続けると、ミカの表情が次第に和らいで、上気した肌にうっすらと汗が浮かんできた。楽な格好にしてやろうと、繋ぎ続けていた右手を解くと、昨日見たのと同じ、光の玉が出来上がっていた。白く輝く小さな玉の周りを、色とりどりの光の糸が揺らめいている。昨日は驚いて手を引いてしまったが、今は不思議と…この先を見てみたいと思った。手のひらを見つめたまま、ぼうっと物思いに耽っている俺に気付いたミカは、頭巾を脱いで、もう一度俺の右手を取った。


「繋いでいてください…、このまま」


君が望むなら、と、さっきよりもしっかりと指を絡ませあって、俺たちは、深く堕ちるようなキスをした。

重なり合う体、ミカの美しい輪郭をなぞる。俺の昂った熱はいつしか、『とろとろ』になったミカの中心へ吸い寄せられるようにあてがわれていた。


「…いい?」

「これが、…ヒトの愛し合い方、なんでしょうか…」

「分からない。でも…違ってもいい。君と繋がれるなら」


人類の始まりは、こんな風だったのだろうか。俺たちの祖先はこうして繁栄し、この広い宇宙へと散らばっていったのだろうか。ミカの中へと火照った熱を捩じ込み、擦るように腰を動かすと、きつく纏わりつく壁が時折きゅっと収縮して俺を締めつけた。


「ッ…く……ミカ…」

「ハァ…ァッ…だめ…」

「このまま一緒に…」

「ルース…、待って…」

「なんだ」

「しばらく…このままがいいの…。とても、安心できるから…」


目の前の刺激や快楽よりも、安心と、心地よさを噛み締めているミカはどこまでも純粋で、愛しさで胸が張り裂けそうになる。俺はミカの手を引いて、その穢れを知らないまっさらな体を抱き寄せた。


「いつまででも、こうしていよう」


ミカの中に収まっていたモノを入口まで引き抜き、また奥まで挿し込む。じゅぶッ…とぬかるんだ音が響き渡るたび、ミカの脚は僅かに震え、腰が浮いた。ミカの緊張が解けるまで、俺はひたすらゆっくりと律動した。

夜の闇が一層暗くなったころ、ミカは自らの体を開け放つようにベッドへ背中を預け、重なる俺の耳元で囁いた。


「来て…ルース…」


決して外からは開かない扉が、ミカ本人によって開かれていく。何かを観念した表情で、けれどその瞳はとても満ち足りて見えた。

俺は緩やかに続けていた動きを速め、昨夜の感覚を辿るように一気に駆け上る。肌がぶつかる音が空気を揺らし、俺のこめかみを流れた汗がミカの胸に跳ね返った。


「…あっ…ぁ…!!」

「ミカ…凄いよ…」

「ん…ッ……ル…ス…」

「君を感じる、一番深いところで…」

「や……ァッ…!!」

「出る…」

「……!!」


"あの感覚"に到達した瞬間、暗闇は遠のき、俺達は真っ白な光の中にいた。俺の体から溢れた強烈な光が、ミカの体内を貫き、その体をほんの僅かな時間、虹色に輝かせてみせた。月や太陽とも違う、見たことのない輝きだった。


ミカの中には、ほとぼりの冷めやらぬ俺のモノがまだ存在感を放っていて、同じリズムを刻むお互いの鼓動を、しばらく抱きしめ合っていた。やがて鼓動が落ち着くと、即席の寝床の上で隣り合って座り直し、それと同時にどちらからともなく、繋ぎ続けていた手に視線を落とした。ゆっくりと指の絡まりをほどく。そこには、指先で摘めるほどの大きさの、透き通った石が転がっていた。俺の光を取り込んだ時のミカと同じ虹色を纏い、ポツンと、しかし生命力すら感じる煌めきで輝いていた。


「凄い…こんなのは、見たことがない。光の一族の繁殖で見る光の玉とは、また違う物だ」

「…これです」

「…?」

「ダイヤモンド」

「…これが…?」


ミカの口から、驚くべき事実が飛び出した。2人で今日一日探し回ったダイヤモンド。美しく、丈夫で、滅多には見つからない貴重な石。それがこの、虹色に反射する透明な石だという。

けれど、なぜそれが俺たちの手の中から生まれたのか、俺には全く見当もつかなかった。1人が魔法使いなのだから、何が起きても不思議ではないのだが、それにしても、こうも都合よく"導き"があるのだろうか。頭を掻きながらミカの横顔を見つめると、少し呼吸が荒くなっているのか、肩が微かに上下していた。


「ミカ、大丈夫か」

「私は…石の種族の石英種だと聞いて…これまで生きて来ました…。でも、クリスタルからダイヤモンドは生まれません。全くの別物です…」

「つまり、君はクリスタルじゃなくて、ダイヤモンドの種だった…ってことか?」

「そんな…」

「だとしたら何か、問題があるのか?」


ミカはぎゅっと自身の肩を抱いてうずくまった。戸惑い、恐れ、不安…そんなものに押しつぶされそうな背中に、俺は静かに手を置いた。


「ダイヤモンドの種は…見る者の心を奪う力が、あまりに強いので…別名を悪魔の種とも言われています。かつて、ダイヤモンドを奪い合うために人々が争いを起こし、多くの血を流したと…」

「そんなことが…」

「私はずっと、魔法の力のせいで種族から追放されたと思っていたのですが…違ったのかもしれません。。私が…悪魔だから…」

「それは違う。人を魅了する力が強いから悪魔だなんて。そんな道理がまかり通るか」

「いいえ…。貴方が近づいてくれたのも、きっとダイヤモンドの種が待つ、人を惑わす魔力のせいです…。やっぱり私は、1人で暮らした方がいいんです…誰にも触れず、関わらずに…」


小さく震えるミカの肩を抱きながら、俺はあの洞窟で出会った瞬間の、ミカの目の輝きを思い出していた。確かにあの輝きは、一瞬で俺の心を捕えて離さなかった。そしてあっという間に、君という存在で頭がいっぱいになっていったんだ。これが人を惑わす魔力だと言われれば、そうなのかもしれないと納得するほどに、俺たちは本当に短い時間で惹かれあった。けれど、俺は認めるつもりはない。君が掴みかけた初めての愛を、目の前で奪い取るなんて到底できない。たとえ君が魔法使いでなく、ダイヤモンドの種族でもなく、何も持ち合わせていないただの「ミカ」という一人の人間でも、きっと俺たちは惹かれあったに違いない。


ミカの傍に置かれた古記録は、ダイヤモンドの在り処が記されたページが開かれており、昼間いた洞窟らしき絵が目に入る。ミカの肩越しにそれをぼんやりと視界に捉えていたが、ふいに吹いた強い風にページが捲られると、そこには光を放つ石の前で剣を交え、血を流す人々の様子が描かれていた。ダイヤモンドに危険な謂れがあると知りつつ、他所の星の…見知らぬ一族の種を存続させるために、強力な力で手を貸そうとしてくれたミカを思うと、あまりにも、辛かった。


───


明け方、ミカの家へと帰り着いた俺たちは、一人になりたいというミカの気持ちを汲んで、その日は別々に過ごした。気晴らしに外へ出てみたりもしたが、この星の穏やかで美しい景色が、今はかえって物哀しく感じられた。ヒトが長きをかけ築いてきた文明において、美しきものは讃えられ、崇められる一方で、人智を超えた美しさは恐れられ、排除される。それが自然の摂理でも、受け入れられるかどうかは別の話だ。


「ミカ…大丈夫、だよな…」


日も落ちる頃、小さな湖の水面を眺めながら鬱々としていると、ふとミカのことが心配になり、遠くに見えるミカの家を振り返る。胸騒ぎがして、俺はすぐにその場を後にした。


初めてここへ来た時、ミカは家の入口を魔法で出していたが、俺が来てからは常に入口は開けてあるようになった。早くこの胸騒ぎから解放されたいと、足早に小瓶の並んだ部屋へと入ると、ちょうどその瞬間、隣の部屋から、バンッ!という大きな爆発音が聞こえ、俺は思わず身を伏せた。


「ミカ…?ミカ……!」


爆発音は一度きりで、俺はすぐに音の出どころである部屋の扉を開けた。


そこには、何かに弾き飛ばされたように壁際でへたり込むミカと、実験台と思われるテーブルの上空に、発光しながら浮遊する、小さな月のような物が目に入った。ミカの頬には傷があり、じんわりと血が滲んでいる。

すぐには、状況が理解できなかったが、俺はとにかくミカを抱き起こして、無事を確認した。


「おい、どうした。なにがあった…」


ミカは右頬の傷にそっと触れると、痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと自転する"小さな月"を見てほっとしたように肩の力を抜いた。


「すみません、驚かせてしまって…。なんとか、出来たと思います。ダイヤモンドと燐光石を掛け合わせた、光源です」

「作ってくれたのか…?」

「…私が言い出したことなので」

「……それは何も知る前の話だろう。無理しなくても良かったんだ…俺なんかのために」


ふと足元を見れば、爆発で飛散して、ミカの皮膚を切り裂いたと思われる石の欠片が、辺り一面に転がっていた。

俺はミカの頬から滲み出た血を拭おうとしたが、ミカはするりと俺の腕を抜けて立ち上がると、ローブの頭巾でさりげなく傷口を隠した。


「ルミエラと、名付けました」

「……」

「燐光石の性質をうまく応用出来たと思います」

「これが…半永久的に光を放ち続ける石、なのか…」

「ええ…でも、まだ完全には仕上がっていません。白の星に持って帰ったら、最後に貴方の光を封じ込めて、完成させてください」

「…ありがとう。本当に…」

「私には、これぐらいのことしかできませんから…」

「でも、その前に…」

「……?」

「会いに行こう、石の種族に」

「ぇ…?」


俺の提案に、ミカは表情を曇らせた。


「石の種族として認めてもらいたいって、そう言ってたろ。そのためにずっと、特別な石を作ってるって」

「…そう思って、生きてきたのは本当です。でも…ダイヤモンドの種族だと分かったら、きっと恐ろしいことが…」

「俺がついてる。何が起きても、君を傷つけさせない」

「……」

「約束する」


孤独を選び、どこまでも1人で生きようとするミカが、これまで何度傷つき、諦めてきたのか俺には想像できない。けれど、今心の底から思うのは、傷つく君をもう二度と見たくないということだけだ。

痛々しい頬の傷を真正面から見る。頭巾の内側に手を差し込み、優しく顔を包み込んだが、ミカは視線を上げなかった。ただ、静かに俺の胸に収まって、消え入るような声で言った。


「……貴方は…惑わされてます。ダイヤモンドの魔力に」

「…それでもいい。君を守れるなら」

「変な人ですね…」


ようやく顔を上げたミカは、俺の目を見て恥ずかしそうに笑った。その笑顔があまりに眩しくて、先のことは分からずとも、今だけを見て進んでいけると、俺は密かに確信した。やがてそれぞれの目的が達成され、別れの時が来るのだとしても、今は見ないふりをして、君の温もりに溺れていよう。


───


翌朝、いつもと変わらぬ、穏やかで抜けるような青空の下、俺たちはミカの魔法で出した新品の服に身を包み、出かける準備を整えていた。


「どうだ?元通りになったか?」

「ええ。凄く…なんというか、目立ちます」

「なんだよその感想」

「ふふ、…嘘です、かっこいいです…ルース…」

「一応白の星では王子なんだからな?特別な仕事の時は、こういう格好なんだ」

「……私は黒い服しか持っていないので、憧れます」


そう言ったミカの目は、本当に、何の含みもなく純粋に羨望の気持ちで満ちていて、身を潜め生きることの息苦しさを物語っていた。きっとミカは明るい色が似合うのだろうと思いながらも、近づく別れがそれを口に出すことを躊躇わせた。離れる時に辛くならないようにと、最低限の会話だけを交わすことで、無意識に予防線を張っていたのだ。


「石は俺が持つ」

「…お願いします」

「じゃあ…行こうか。石の種族の居場所へは、すぐに行けるのか?」

「この星へ来る時に目に入ったかもしれませんが、隣の、黒い惑星が石の種族の星です。この入口から入ると落ちる感覚がありますが、実際に落ちているわけではないので安心してください。それと、移動する階層が深いので、魔法を何重にもかける必要があって、少し目眩がするかもしれません」

「分かった」


ミカの手から少し離れた場所に、異空間への扉が開かれた。充満した紫色の靄は、俺の光すらも全て飲み込み、行く先を照らすことさえ許さない。ここ数日浮遊せずに移動していたが、未知の空間を移動するには浮遊する感覚でいた方が恐怖が少ないだろうと、俺は体が粒子に戻るイメージで、靄の中へと足を踏み入れた。

瞬間、ミカの言っていた落下する感覚に襲われたが、すぐに従来の感覚を取り戻す。不慣れな感覚だがなるべく抗おうおせず、できるだけ魔法の力に身を委ねていると、やがて足元に触れた地面の感触が、どこかへ到着したことを知らせた。恐る恐る、目を開ける。


(着いた…のか…?)

「…ルース、大丈夫でしたか?」


背後から聴き慣れた声がして振り返ると、ミカも無事に辿り着いたようだった。


「よかった、無事に合流できて。ここが…君の故郷なんだな…」

「はい。…とても久しぶりに来たので…どれだけ変わっているか分からないですが」

「この石は、誰に持っていけばいい」

「これは…、首長に」

「居場所は?」

「……」


俺の問いに、ミカは黙ったまま視線を誘導した。ミカの視線の先には、地下へ続く石の階段が、妖しげな雰囲気で口を開けている。鞄の中へ忍ばせたルミエラは何かに共鳴しているのか、いつの間にかほんのりと熱を持っていて、俺たちは目を見合わせながら先を急いだ。


昼間らしからぬ、濃い飴色のランプに照らされた細い通路は、ただ真っ直ぐに目的地へと続いており、時々すれ違う人がミカを見ていたようだが、隣にいる俺が明らかに異星人であるため、無闇に近づいてくる者はいなかった。


「知ってる人はいるのか?」

「いいえ…子供の時以来ですから、あまり覚えていません」

「首長って人は、ミカのことは知ってるんだよな」

「首長だけは、私も覚えています…」


その人物が、どんな言葉で幼いミカを追放したのかと思うと、俺はいたたまれなくなった。胸がぎゅっとなるのと同時に体の光も強まり、仄暗い廊下の壁や天井を意図せず明かりに晒してしまい、冷や汗が出た。周囲にいた人々の視線が矢のように一斉に刺さる。けれど、ミカは俺から距離を取ることなく、ずっとそばを歩いていた。


「悪い…」

「気にしないでください。貴方が私を護ってくれるので、私も貴方を護ります」

「ミカ…」


何度傷つくことがあっても、人一倍の芯の強さを持つミカは、俺を常に励まし、勇気づけ、前へ進めてくれる。俺にとってもそんな存在は、君が初めてなんだ。


石畳の道はそう長くは続かなかった。しばらくすると、様々な色の石がびっしりと埋め込まれた重厚な扉が現れ、俺たちは扉の前に足を揃えて並んだ。鞄の隙間からルミエラを見ると、息をするようにゆっくりと点滅を繰り返していて、それは隣で目を閉じ気持ちを落ち着けているであろうミカの呼吸と、はっきりと同調しているのだった。俺はにじり寄る緊張感を振り払うべく、ふっ、と一息、強く息を吐いた。扉の外に守衛が誰もいないところを見ると、首長とは案外開かれた存在なのかもしれない、と自分自身に言い聞かす。


そして、意を決したミカが、扉を叩いた。

扉の両隣りにあるランプの灯が、開かれた扉の中にいる人物を徐々に照らし出す。


「誰かな…こんな時間に…随分眩しいね…」


年老いた手が、重たそうに石の扉を開いて、よくやくその姿を現した。想像よりも小柄な老人は、体をこちらへ向けてはいるが、薄く開いた目は宙を見つめている。もしかすると、目が見えないか、あるいはかなりの弱視なのかもしれない。


「…16年前に、石の種族から出て行った者です」

「出て行った……それはまた、どうしてかな…」


言葉に詰まるミカを見ていられず、思わず口を挟む。


「貴方に、追放されたんですよ。彼には魔力があるんです。覚えていませんか」

「魔力…。まぁ…中へ入りなさい…」


俺たちは、彼にとって招かれざる客なのか、すぐにはわからなかったが、言われるがままに部屋の中へ入ると、首長の手で重たい扉が閉められた。


「手を…出してくれるかい。最近はめっきり、目が悪くてね…」


首長は、差し出されたミカの手を取ると、手首、腕、肩、と順に辿っていった。そして顔までくると、骨ばった指をミカの白い頬に滑らせた。


「名前は……?」

「ミカと…言います」


頬を撫でていた指がぴたりと止まる。


「…ミカ……。母親の名は、、メルネア・エレンハルト…」

「…はい」

「…エレンハルト?今、そう言ったのか?」


俺は耳を疑った。ミカには言っていなかったが、「ルース・オーレリアン・エリオンハルト」、それが俺の本名だ。遠く離れた星で、こんなにも苗字が似ていることがあるだろうか。これは偶然ではない、きっと、何か理由があるに違いない。首長の次の言葉を聞き逃すまいと、俺は固唾を飲んだ。


「…そこで眩しい光を出してるのは、白の星の系譜の者かい」

「系譜も何も、…俺はその星の王子だ」

「ルース…?」


なにか、見えない糸が繋がろうとする気配に、ミカは僅かに後ずさった。今目の前にいるこの老人が、全てを知っているのだろうか。俺たちは張り詰める空気の中で、静かに答え合わせされるのを待っていた。


「…ミカ…お前を種族から除名すると決めたのは、私じゃない。…メルネア。…お前の母親だよ」

「え……?」

「私に、頼み込んできたのさ…『あの子もいずれ、ダイヤモンドの種であることに気付く時が来る。私の天使が悪魔と呼ばれる前に…時が来たら、どこか遠くへ、追放して欲しい』とね…」

「…母が……?」


首長の言葉に、ミカは動揺を隠す事なく唇を震わせた。俺は力なく崩れたその体を受け止め、そばにあった椅子に座らせると、事の経緯を詳しく聞くために、首長と対峙した。その瞳は温かさの奥に鋭さをたたえていて、樹齢の高い大木のごとく、言いしれぬ畏怖を感じさせた。


首長の話はこうだった。ダイヤモンドの種とはそもそも、大人になるまで表向きには分からないのだと。親だけが知っていたとしても、それを明かせば我が子は"悪魔"と呼ばれてしまう。そのために、明かすことは許されないのだ。

20歳を超え、やがて愛する人と気持ちが一つになる時、昨日の俺たちがそうだったように、ダイヤモンドが結晶となり現れ、そこでようやく自分自身がダイヤモンドの種であると知るのだという。

ミカと同じく、ある日、自身がダイヤモンドの種であると知った彼の母親は、たちまち石の魔力が開花し、一晩にして村中の人が押し寄せた。彼女の最愛の人は暴動に巻き込まれ、そして、ほどなくして命を落とした。彼女はダイヤモンドをめぐる騒乱から、ミカの命が宿った結晶だけを密かに持ち出し、涙ながらに首長の元を訪れた。そして、ミカが一人で生きられる歳になるまで、他の村人と変わらぬ石英種として、かくまって欲しいと懇願したという。そして母親は、ミカの命を託すと、最期の時を迎えた。


「母は……、母は、、どうなったんですか…」


恐る恐る、けれど、産みの親の辿った道を知りたいという、子供として当然の欲求に突き動かされるまま、ミカはぽつりと尋ねた。


「…メルネアは……泣き崩れ、深い悲しみに暮れた……。そして最期には…私の目の前で、体ごと結晶化したのさ……。何万年も生きた私でさえも見た事のない…綺麗なダイヤモンドだった……」


ミカの頬を、一筋の涙が流れ落ちた。それは結晶となり、固く、冷たい地面に落ちて、ころんと音を立てた。

自分を捨てたと思っていた母親が、誰よりも自分を愛し、生き別れることに胸を傷め、深い悲しみの果てに最期を迎えたという事実。そして皮肉にもその姿は、全ての人を魅了するほどに、美しかったのだ。



───


石の種族は、喜びや悲しみや愛情などの感情が極限に達した時、涙晶と呼ばれる結晶を生む。愛し合う者同士の涙晶が混ざり合うと、そこから新たな命が生まれるのだと後に説明を受け、俺は昨日の出来ごとが腑に落ちた。ミカと体を重ね、生まれて初めて愛されることを実感したミカは、深い悦びに触れ、涙晶を生む状態になっていた。そして俺もまた、ミカを愛し手を重ねることで、光の玉を生む状態が整っていた。異種族の俺たちの魂の共鳴。奇跡的に現れた、虹色に輝くダイヤモンドの結晶は、その発露だったのだろう。


ミカの出自が明らかとなり、その心を長年苦しめた棘は、これから少しずつ抜けていくのだと、ほんの少し安心した。母親の物語はまぎれもない悲劇ではあったが、そこには、無いと思われた至上の愛があったのだ。ミカの気持ちは、必ず良い方へと向かうだろう。


けれど、俺にはもう一つ気になることが残っていた。ミカの苗字が、なぜ「エレンハルト」なのか。


「エレンハルトは、石の種族にもよくいる名前なのか?」

「そう多くはない……けれど、この星の誕生に由来している、由緒ある名前さ……」


首長はゆっくりと揺り椅子に腰掛けると、掠れた声で昔話を始めた。

宇宙には元々、【光る石の星】があったそうだ。それがある時、星の核が引き裂かれるコア分極という現象が起きた。一つだった星は、光の星と石の星に分裂し、遠く離れた場所で、それぞれの時間を刻むこととなった。


「【光る石の星】…その名前こそが……」

「エレンハルト…」

「そうとも……そこにいるお前さんの、エリオンハルトという名も……エレンハルトを起源につくられた、新しい一族の名だろう…」

「同じ星だったの…か…」


今全てが、一つの線で繋がった。かつてこの石の星は"黒の星"と呼ばれ、白の星と分かれた星だと誰もが知っていたが、何万年もの時が経つうちに、その歴史は忘れ去られ、人々はそれぞれに、新しい営みを送った。

知ることのなかった過去。知ることのなかった、祖先の痛み。涙。全てを知った今、俺たちは何をすべきなのか。

俺は心の震えを押し殺すように、涙の跡をうっすらと残したままのミカをきつく抱きしめた。首長がすぐそばにいることも気に留めず、その小さな体を壊してしまいそうなほどに、力尽くで抱きしめた。


「……苦し…」

「……戻ろう、ミカ。俺たちの星に」


長い時を経て、もう一度元の姿に戻る時が来たことを、鞄の中で熱を放つルミエラが教えていた。俺が鞄を開け、ミカがその石を取り出す。椅子に座った首長の膝の上にそっと手渡すと、輪郭を包んで確かめ、そして感嘆とともに、深く息を吐いた。


「燐光石とダイヤモンドを掛け合わせた、ルミエラという【光る石】です……」

「…創ったのかい…」

「ミカの魔法の力が悪ではないことを知ってもらおうと、それを見せにここへ来たんです。光を断たれた白の星のために、彼はこんなにも、完璧な光源を創り出してくれました。でもそんな証明も、必要なかったみたいですね。貴方はミカを、本当の意味で追放などしていなかった」

「…魔法が悪などというのは、…ただの口実さ……」


首長は安堵した表情で続けた。ミカの母親は、種族の争いを起こさぬために黙って運命を受け入れた、とても優しく勇敢な人であった。そんな彼女が命をかけて守ろうとしたミカを、首長もまた守り抜いたのだ。


「ミカを、連れて帰ってもいいですか。白の星に」

「…ルース…?」

「…未練はあるか?」

「……」


俺の問いかけに、ミカは睫毛を伏せ、おもむろに首長に歩み寄った。そして足下にひざまずくと、敬意を込めて首長の手の甲へと額を寄せた。ここへ来てからずっと、目の奥に張り詰めたものを湛えていた首長は、ようやく肩の荷を全ておろし、目を閉じることができたのだ。


「長い間……お世話になりました」

「……たったの十数年など、私にとっては…なんてことはない…。この石を持って、どこなりと行きなさい…そして……どこにいても、メルネアのように、強くありなさい」

「はい」


───


石畳の道をもう一度通り、俺たちは地上へ出た。その道のりは、来た時よりもずっと短く、明るく感じた。無論、俺の体が過剰に発光していたというわけではない。きっと、俺たちの気持ちが、同じように前を向いていたからだろう。


ミカの呪文によって、再び異空間の扉が開かれた。だがミカはすぐには入ろうとせず、入口の前でくるりとこちらを向いた。


「あの…、さっき言っていたこと…」

「ん?」

「白の星に…私を"連れて帰る"、って……」

「ああ…」

「それって、その…」

「凄いことがあるもんだよな…。俺たちの星は、元は一つだったんだ。ほんと、驚いたよ」

「一緒にいられるっていう、ことですか…これからも」

「…そうだ、ぽてぽても連れて行かないとな」

「ねえ…」

「先行くぞ」

「まって、ルース…!」

「ふふ、早く来いよ」


手を引いた反動で、腕の中に倒れかかってきたミカは、くすぐったそうに身を捩りながらも大人しく俺に抱かれていて、愛されることを少しずつ受け入れ始めていた。求めあう指先、無重力のなかで重なる唇。もう二度と、君は悲しまなくていいんだ。


───


ミカを白の星へ連れ帰ってから、1週間ほど経ったある日。侍女の一人が部屋を訪ねてきた。


「ルース様、お願いされていた、白聖衣が出来上がりました。ミカ様にご試着いただいてください」

「ありがとう」

「……?」


侍女の置いて行った箱を、遠巻きに、何のことかと眺めるミカをそばに呼び、箱を開けるよう手渡した。

言われるがまま、ミカがそっと蓋を開くと、薄っすらと光りを放つ、白い衣が姿を現した。


「これは…?」

「ミカをこの星に迎え入れたから、俺たちと同じ服を着てもらおうと思ってね」

「…綺麗…」

「光の糸で編まれてるんだ。ほら、あの光の玉の周りにできる、細い糸。着心地もなかなかだよ。持ってごらん」


金の模様が施された白聖衣は、その繊維一本一本が意思を持ち、しっとりとミカの手に馴染んだ。


「ここに来る前、言ってたろ。黒い服しか持ってないって」

「はい…」

「黒も、ミカの色気が引き立って悪くないけど…」

「そんなこと思ってたんですか…?」

「あっ!そんな…変態を見るみたいな目で見るなよ、褒めてるんだからな、一応…!とにかく、その…、これからは俺たちの家族だから」

「…家族…」

「まぁまずは着てみてくれ。魔法使いの正装にも使えるように、形はミカのローブに似せて作らせたから…」

「…はい」


これ以上変なことを口走る前に、と顔を背けて待っていると、視界の端に黒いローブがはらりと落ちた。そんなことだけで、ミカと初めて会った夜を思い出し、何故だか妙に緊張してしまう。とろりと滑らかな衣擦れの音が僅かに耳をかすめたあと、咳払いして声を整えたミカが、俺を呼んだ。


「…どうですか?」


振り向いた先にいたのは、黒いローブを着ている時よりも格段に、眩さと存在感の増したミカであった。


「……綺麗だ、思ってたよりずっと」

「……落ち着かないです…///」

「すぐに慣れるよ」


自分の美しさに無自覚なダイヤモンド。強大な、誘惑の力と無限の光。

二人で持ち帰ったルミエラは、まだ塔の上で小さな光を放ち始めたばかりだ。けれど、君と愛し合う度、その光は強くなる。君となら、世界を照らしていける。


こんなに広い宇宙で何万年という時を超え、また出会えたのだから。


「父さんにも見せに行こう。ちょうど話があるって言われてたんだ」

「私はいいです。ルースのお父様、声が大きいから…」

「塔のみんなに、君が綺麗だって知れ渡るよ」

「っいいです」

「行こう、ほら!」

「もう…」




おわり

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魔法使いと星の王 @mizmanju

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