活字を使ってキャラクターを読者に「読み取らせる」ということ
えー、あんなに元気よく「深淵に一歩を踏み出しましょう」とか言ったくせに、すみません、最初だけ「語るな、見せろ」とは別の話です。
ちょっとね、本論に入る前に一つ、覚えるべき前提があるんですね。まあ、パッパと簡単にいきましょうか。
それは、小説は言語芸術であるということです。活字芸術とも言い換えられます。むしろこっちの方が筆者の主張が伝わりやすいので、今後は活字芸術と呼んでいきます。
訳は、視覚的な動きのある漫画やアニメ、映画と違って、小説は完全文字だけでキャラクターやストーリーのすべてを表現しなければならない、という意味です。
このまま専門用語をなるべく使わずにぜんぶ説明しちゃいます──がんばるぞー。
視覚情報がないことによる「物語ること」への影響は、欠点と利点とに分けられます。
まず欠点です。大きく二つあります。「キャラの外見がよく分からない」、「インパクトが弱い」です。
一つ目、「キャラの外見がよく分からない」とはそのままのことで、立ち絵がない小説ではキャラクターの外見は読者の想像に丸投げするしかないのです。
「奇抜な銀色の髪型」も、「特殊な赤い瞳」も、「甘い乳白色の囁き」とか言われても、読者ごとに思い浮かべるキャラクターは当然違います。
ちなみに今の三拍子を聞いて筆者は、「エヴァンゲリオン」に出てくる渚カヲルを想像しました。なぜカヲルくんなのかというと、単純で、銀髪のキャラ=渚カヲルという固定概念のようなものが筆者の中にあるからです。
この点は、もうお分かりかと思いますが、第一章で紹介した個性の5つのジャンルのうち、①「外見や性格、口調、仕草など、表面の個性」において特に注意しなければなりません。
二つ目、「インパクトが弱い」とは、絵画や映像と違って活字芸術はどうしても読者が能動的に読み進める必要があるので、物語を摂取する努力にエネルギーが使われて、その分作品の魅力が読者に伝わりづらい、ということです。
読書経験の中でみなさんも一度は、ぼーっとしていて何度も同じ行を繰り返し読む、という愚かな行為をしまったことがあると思います。現代文の授業なんかではあるあるですよね。しっかり読もうと意識してもやはり数秒後にはまた同じ現象が起こる。それを何度も繰り返して、
では、同じことを映画館で体験した人はいるでしょうか。
なんか主人公が戦ってるけど、ぜんぜん頭に入ってこないよ~。
流石にそんな人はいないですよね。どれだけ興味のない映画だったとしても、今主人公が繰り出したビーム攻撃を見逃す観客は一人もいません。いたとしてもそれは、だいたいが眠気に負けているだけです。
言っておきますが、国語の教科書に載る小説も映画館で見る映画も、どちらも社会で高評価された物語であることは間違いないです。すなわち、キャラクターの言動も素人が作った
小説は活字芸術です。どんなに面白いキャラクターも、読者に能動的に読んでもらわないとなにも始まらない。考えたプロットを文字にする際には必ずこのことを意識してください。
まずは読者に読んでもらえる文章を書く。その後に、個性的な設定がちゃんと個性的になっているかをチェックするのです。
それで、今度は利点ですが──。
「キャラクターの内面描写に長けている」
意識するのはこれ一つでいいです。挙げればキリがないですが、やはり活字のすべての利点はこの一つの焦点に結ばれます。
内容はみなさんのご想像通りです。
映画等の映像芸術と違い、小説ではなんの
戦闘シーンをどんなに鮮やかに書いてもやはり活字止まりで、読者は魔法の
一方で、「わあ、きれいな魔法だ」とキャラクターが感嘆したさまは、ただそう呟くのを読むだけでなく、なぜ感嘆したのか、感嘆してどんなことを考えたのかなど、キャラクターが一瞬のうちに巡らした思考をそのままの活字で摂取することができます。
魔王がどんな技を繰り出したのかも確かに記憶に残りはしますが、読後感の大部分を占めるのは戦闘シーンそのものではなく、確実にキャラクターの心情変化のほうでしょう──なんてことだ、こいつ、俺より強い、殺される──その絶望感はアニメで味わうものよりも一際と生々しいものです。
このように、活字芸術の欠点と利点を述べましたが、まとめると、ある残酷な教えが浮かび上がってきます。それも、特に、いわゆるなろう系作家の方々に対して、残酷な教えです。
素直に、この教えに気づいたときの筆者の思考回路を提示します。
「小説ではキャラクターの外見があんまり伝わらなくて、基本的にインパクトが弱くて、反面キャラの内面の描写は得意らしい。
外見ってのはたぶん顔とか背丈とかだけじゃなくて、動きも分かりづらいってことでしょ? でも、戦闘シーンはその動きを書かないといけない。もちろん内面もしっかり書くんだけど、どうしても動きが主体になっちゃう。『左下から剣を振り上げ、そのままの勢いで相手の懐に忍び込み、』とかって、読めばちゃんとなにしてるか分かるけど、テンポを大事にしたいシーンなのにやっぱり観客に読む努力を強いることになるよな。
……あれ? ファンタジー小説、実はめちゃくちゃ難しい?」
筆者は創作活動を始めて早々にこの事実に気づいたため、ファンタジー小説を書くのは諦めました。諦めたというか、まずは戦闘シーンが少なめの他ジャンルから練習していこうと決意したのです(ホラーや純文学、恋愛、ミステリ等周回していますが、未だファンタジーだけは書ける気がしません)。
毎度のことながら、ちょっと多方面に失礼をかまします──えいっ(失礼を投擲するさま)
──キャラクターの心情なんてあんま気にしない、とにかくバトルを読みたいんだ、という読者は、正直言うと、「キンキンキン」で満足してくれます。
歩く音が「スタスタスタ」だったり「コツコツコツ」だったりしても許してくれます。事実、そんな小説を読んで、「バトルが面白い! これなら私でも書ける!」と意気込み、新しい「キンキンキン」を生み出した小説家の方もいたでしょう。
ですが──批判覚悟ではっきり言います──筆者は、そんな雑な小説、絶対に読みたくありません。
面白いと思わない、ではないです。読みたくないのです。
なぜなら、その剣を振るうキャラクターは、「キンキンキン」などというような、そんな薄っぺらい人物では絶対にないからです。小説家にとって自分の分身とも言えるキャラクターにそのような薄い活字を与える作者のことを、筆者は同じ小説家だとは思いたくありません。
完全にエゴの類いですね。
繰り返しになりますが、面白さは否定しません。
実際に「キンキンキン」を読んで楽しめた読者がいることは事実ですし、必要以上に描写をしないカジュアルな文体というのも理解できます。堅苦しい言葉で世界観を作るよりも先に、簡単でいいからバトルの全貌を描け、というような考えがあるのも知っています(『人を惹きつける技術』小池一夫 より)。
ですが、だからこそ、せめてキャラクターの内面の描写くらいはしっかりしてほしいんです。
仮に一人称一元視点なら、心臓をわしづかみにされるような緊迫感のある戦闘中に、そもそも剣のぶつかる音なんか耳に入らないはずです。むしろ、相手が踏み込んでくる際の土の跳ねる音、「ザッ」のほうを活字にするべきでしょう。そうすれば、キャラクターが相手のどこを見て、どう考えて次の攻撃を躱すのか、読者にばっちり伝わります。「キンキンキン」と剣の音を聞かせるよりよっぽど面白いはずです。
筆者はつまるところ、小説を設定の垂れ流しにしてほしくないだけです。
とまあ、いろいろ失礼攻撃を繰り出しましたが、「小説は活字技術である」の説明は以上。ややこしい考え方がたくさんでてきて、正直、筆者自身も混乱しています。
でも!
これでようやく、「語るな、見せろ」へと足を踏み出せます!
もうホント、「語るな、見せろ」について論じるのを、『はじめに』を書いたときからどれだけ待ち望んでいたか! 執筆の動機のほとんどが、ここからの数話にぎっしりと詰まっています!
なのでみなさんも、どうか気合いを入れて。入れちゃって。
今度こそ、「語るな、見せろ」の深淵へと歩んでいきましょう!
【語るな、見せろ】小説におけるキャラクター表現論~個性的なキャラ設定を個性的に書けないあなたへと捧ぐ~ c8v8c @c8v8c
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