第10話「もふもふ無双」

 森全体を震わせるほどの荘厳な咆哮。その声の主が、ただの魔物でないことは、歴戦の騎士であるライオネルにはすぐに分かった。これは、伝説や神話の領域に属する存在の咆哮だ。

 騎士たちの混乱が、恐怖へと変わる。馬はいななき、暴れ出した。アルフォンスでさえ、その圧倒的な威圧感に顔を青ざめさせている。

 やがて、木々の間からゆっくりと姿を現したのは、黄金に輝く巨大な影。

 鷲の頭と翼、ライオンの体を持つ、伝説の聖獣――グリフォン。


「グ、グリフォンだと……!? 馬鹿な、神話の中の生き物ではなかったのか!」


 騎士の一人が、信じられないといった様子で叫ぶ。

 グリフォン――レオンは、侵入者たちを冷たく見下ろし、ゆっくりと歩みを進めてくる。その一歩一歩が、大地を揺るがすようだ。カーバンクルたちは、レオンの周りを守るように飛び回っている。

 そして、そのレオンの背後から、一人の少女が静かに姿を現した。

 プラチナブロンドの髪を風になびかせ、森の緑に映えるシンプルなドレスを身にまとった、エレオノーラだった。彼女の表情は穏やかだったが、その瞳には確かな意志の光が宿っていた。


「エレオノーラ!」


 アルフォンスが、憎々しげに彼女の名を叫んだ。


「ようやく姿を現したな、悪女め! 国に呪いをかけるとは、万死に値するぞ! おとなしく捕まれ!」


 エレオノーラは、その罵詈雑言にも表情一つ変えず、静かに首を振った。


「お久しぶりですわ、アルフォンス殿下。ですが、人違いではございませんか? 私は、呪いをかけた覚えなど、一切ありませんけれど」

「白々しい! 聖女リリアナが、そう証言しているのだ!」


 アルフォンスが指さした先、馬車の中からリリアナが怯えたように顔をのぞかせている。エレオノーラの視線がリリアナに向けられると、彼女はびくりと肩を震わせ、すぐにアルフォンスの影に隠れた。

 エレオノーラは、小さく溜息をついた。


「そうですか。……ですが、ここは私の家です。私の大切な家族が暮らす場所。これ以上、あなたたちの好き勝手にはさせません」


 彼女がそう言うと、レオンが再び低い唸り声を上げる。森の木々がざわめき、蔦が騎士たちの体をさらに強く締め上げた。


「家族だと? 魔物どもに誑かされたか! 騎士団、かかれ! あの聖獣ごと、エレオノーラを捕らえよ!」


 アルフォンスの狂乱した命令が飛ぶ。しかし、もはやまともに動ける騎士はほとんどいなかった。ライオネルを含めた数名が、覚悟を決めて剣を構える。


「レオン、カーバンクルの皆。やりすぎては駄目よ。少しだけ、懲らしめてあげて」


 エレオノーラの優しい声が響く。

 それが、戦いの合図だった。

 レオンが雄叫びを上げ、翼を広げて天高く舞い上がる。そして、急降下しながら巻き起こした突風は、巨大な竜巻となって騎士団を襲った。


「ぐわあああっ!」


 騎士たちは、木の葉のように空中に巻き上げられ、なすすべもなく地面に叩きつけられる。幸い、エレオノーラの魔力による加護か、地面はクッションのように柔らかくなっており、大怪我には至らない。だが、完全に戦意を喪失させるには十分だった。

 カーバンクルたちも、応戦する。彼らの額の宝石から放たれる光は、騎士たちの剣や鎧を、まるでお菓子のように砕いていく。

「きゅいー!」と放たれた一撃が、アルフォンスの乗る馬のすぐ足元に着弾し、馬が驚いて彼を振り落とした。


「ひっ……!」


 泥だらけになったアルフォンスは、腰を抜かしてへたり込む。目の前には、巨大なグリフォンの影が落ちていた。

 圧倒的、という言葉すら生ぬるい。それは、もはや「蹂躙」だった。王国最強の騎士団が、一人の少女と彼女の「家族」の前に、手も足も出ずに敗れ去ったのだ。

 ライオネルは、砕かれた剣を手に、呆然と立ち尽くしていた。


『これが……エレオノーラ様の、本当の力……』


 彼女は、国を呪うどころか、その気になれば国一つを滅ぼせるほどの力を持っている。そして、その力を、自らの平和を守るためだけに使っている。

 どちらが正義で、どちらが悪なのか。もはや、考えるまでもなかった。


「さて、殿下。これで、お分かりいただけましたでしょうか」


 エレオノーラが、静かにアルフォンスに歩み寄る。


「私の家族に手を出すなら、容赦はしません。速やかにお引き取りください」


 その時、森の入り口の方から、複数の馬の蹄の音が近づいてきた。

 それは、グランツ王国の騎士団とは違う、見慣れない紋章を掲げた一団だった。そして、その先頭に立つ人物の姿を見て、エレオノーラは目を見開いた。

 そこにいたのは、数日前に森を去ったはずの、旅の薬草師――カイだった。しかし、彼の纏う雰囲気は、以前とは全く違っていた。高貴な装束に身を包み、その瞳には王族だけが持つ威厳が宿っている。


「そこまでだ」


 凛とした声が、森に響いた。カイウスは馬から降りると、まっすぐにエレオノーラへと歩み寄った。

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