第9話「騎士団、魔の森へ」

 グランツ王国騎士団。それは、王国最強の武力を誇る、精鋭中の精鋭が集う組織である。その中でも選りすぐりの五十名が、王太子アルフォンスの直々の命令を受け、魔の森へと進軍していた。

 先頭で馬を駆るのは、団長の任を一時的に任された、実直な騎士ライオネル。彼は、今回の任務に強い疑念を抱いていた。


『本当に、エレオノーラ様が国に呪いを……? あの方が、そのようなことをするとは到底思えない』


 かつて、王城で何度も見かけたエレオノーラの姿を思い出す。彼女は常に礼儀正しく、誰に対しても優しく微笑む、まさに貴族の鏡のような令嬢だった。そんな彼女が、嫉妬心から国を呪うなど、信じられるはずもなかった。

 しかし、王太子の命令は絶対だ。ライオネルは、自らの感情を押し殺し、部下たちを率いて鬱蒼とした森の中を進んでいく。

 魔の森に入って数時間が経過した。しかし、一行はまだ入り口付近をさまよっている。


「おかしい……地図では、とっくにこの辺りは抜けているはずなんだが」


 副団長が、地図とコンパスを睨みつけながら首を傾げる。どういうわけか、まっすぐ進んでいるはずなのに、いつの間にか同じ場所に戻ってきてしまうのだ。


「まるで、森そのものに拒まれているようだ……」


 騎士の一人が、不安そうにつぶやく。その言葉通り、森の木々は不気味なほど静まり返り、鳥の声一つ聞こえない。濃密な魔力が、じっとりと肌にまとわりつくようだ。

 アルフォンスから「案内役」として同行を命じられた聖女リリアナは、馬車の中で震えていた。


『なんなの、この森……気持ち悪い……』


 彼女の微弱な聖属性魔力は、この森の強大で清浄な魔力の前では、風の前の塵に等しい。むしろ、その異質さゆえに、森から敵意を向けられていることすら感じていた。


「リリアナ、どうした。聖女の力で、道を開くことはできんのか」


 馬車の窓から、アルフォンスが苛立たしげに声をかける。


「も、もちろんですわ、殿下。ですが、エレオノーラ様の呪いが強力で、私の力が阻害されて……」


 またしても、苦し紛れの言い訳。しかし、アルフォンスはそれを信じて疑わない。


「やはりあの女の仕業か! ええい、鬱陶しい! 力づくで進め! 邪魔な木は切り倒してしまえ!」


 王太子の乱暴な命令に、ライオネルは眉をひそめたが、逆らうことはできない。騎士たちが剣を抜き、行く手を阻む木々を切り払い始めた、その時だった。

 ズズンッ……!

 大地が、わずかに揺れた。


「な、なんだ!?」


 騎士たちが驚いて足を止める。すると、彼らが切り倒そうとした木の根元から、太い蔦が蛇のように伸びてきて、騎士たちの足に絡みついた。


「うわっ!?」

「足が! 離れない!」


 蔦は驚くべき力で騎士たちを締め上げ、身動きを取れなくしてしまう。ライオネルが剣で蔦を断ち切ろうとするが、鋼の剣が甲高い音を立てて弾かれた。


「馬鹿な、魔法植物か!?」


 混乱が広がる中、今度はどこからともなく、キラキラと光る小さな球体が無数に現れ、騎士団の周りを飛び回り始めた。


「きゅいきゅい!」

「きゅー!」


 それは、エレオノーラに懐いているカーバンクルたちだった。彼らは、森を荒らす侵入者たちに怒り、小さないたずらを仕掛け始めたのだ。

 光の球が騎士の兜に当たると、ポコン、と間の抜けた音がして、中から甘い花の香りが弾けた。また別の球は、馬の目の前で弾け、目くらましのように光を放つ。


「目が、目がぁー!」

「なんだこの匂いは、眠く……」


 騎士団は、完全にパニックに陥った。武器を振るおうにも、相手は素早く飛び回る小さな精霊たち。攻撃は全く当たらず、逆に自分たちの鎧や武器が蔦に絡め取られていく。

 それは、戦いと呼ぶにはあまりに一方的で、どこかコミカルな光景だった。


「な、何をしている! たかが精霊ごときに、この国の精鋭騎士団が!」


 アルフォンスが馬上から怒鳴りつけるが、もはや彼の声は誰にも届かない。

 ライオネルは、この異常事態の中心にいるであろう存在に、思い至っていた。


『これは……精霊や森そのものが、誰かを守っているのか……?』


 この森は、もはやただの魔の森ではない。一人の少女の聖域と化しているのだ。我々は、その聖域を土足で踏み荒らしてしまった。

 ライオネルが戦慄した、その時。

 森の奥から、すべての音を圧するような、荘厳な咆哮が響き渡った。

 それは、この森の真の主が、怒りをもってその存在を知らしめる、警告の雄叫びだった。

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